漂う遺跡

 オルディアーナ大陸の南に広がる海域は、太古、神々の戦いの最終決戦の舞台になったという伝説から、“戦いの海バトリング・オーシャン”と呼ばれている。
 その“戦いの海”に、漂う町がある――複数の書物が、そう記す。
 古代ダランバース魔道王国時代、王国の暮らしに嫌気が差した人々によって築かれた小さな町。自力で海の上を移動し、大陸近くに寄ってくることは殆どなかった。古代王国滅亡後、新暦時代に入っても漂い続け、出会してしまった船乗り達を驚かせているという。
「そのフロルの町らしき島が、ケルリ沿岸で目撃されているそうですよ」
 声を弾ませる長身の魔道士ソーサラーに、わたしは苦笑した。
 この、わたしよりひとつ年下の青年は、二十二歳というその若さにも拘らず、現代に残されている魔道ソーサラーマジックの主要な呪文全てを修得しており、わたしより遙かに優れた魔道士である。一見穏やかだが自らをたのむ心が強く、不快な相手には「格下の相手に下げる頭はありません」と言い放って憚らない。しかし、“失われた”古代の技を求める機会には貪欲で、その知識を豊富に持つわたしを“格下”の魔道士だと見下すことはない。
「またいつ姿を消すかわからない、調べるなら今の内と魔道士ギルドや冒険者アドベンチャラーたちが色めき立っていますが、誰も上陸出来ていないとか。島全体が強力な結界に守られていて――」
「……調べに行きたいの、セルリ?」
 問い掛けると、銀髪の青年魔道士は白い頬を紅潮させた。
「……わかりますか」
「わかるわ」
 わたしはまた苦笑した。抑え切れず弾む声のみならず、いつも静かな灰色の瞳が緑の彩りを帯びている時点で、彼が“伝説のフロルらしき島発見”の報に「魔道士ギルドや冒険者たち」同等かそれ以上に「色めき立って」いることは明白だった。
「……わたしに遠慮してる?」
「……正直、しています」
 青年魔道士セルリは、神妙な表情を見せた。
「我々現代人には“遺跡探索”以外の何ものでもないと思う一方で、古代王国人のすえであるあなたが“遺跡荒らし”と感じてしまう心情も理解出来る。あなたのその気持ちを無視して出掛けるのは憚られます」
 自分でも馬鹿げた心の動きだとは思いますが――そう言って、セルリは小さく肩を竦めた。
 わたしは、ひっそりと息をついた。
 彼は、どう出ればわたしが首を縦に振るか、計算している。けれども、その計算は、何処か仄かに優しい。
「……わたしも行くわ。探索ではなく、訪問の為に」
 古代の技術で動いているのであろう“島”は、侵入者を排除する仕組を有している可能性が高い。訪問客または招待客でなければ、上陸すら難しい筈だ。如何に二十一歳の若さで魔道の奥義を究めた“稀代きたいの天才魔道士”であっても、現代人――往時の“蛮族”である彼が不用意に近付けば、その身に害が及んでしまうおそれがある。ひとりで行かせるわけにはいかなかった。
「訪ねてみれば、大陸に近付いてきた理由がわかるかもしれない。……支度をして、明朝、出掛けましょう」

 噂の“漂う町”フロルは、ケルリの都ニフティスの港から辛うじて島影が見える距離へと遠ざかっていた。
昨日きのうまでは、もっと近くに居たんだがね。今朝になったら、あの通りさ」
 このまま離れていくんじゃないか――港で働く男たちは、一様にそう言った。因みに、相変わらず誰も上陸出来ていないとのことで、昨夜も、深更の頃に夜陰に紛れて近付いた冒険者たちの小舟が引っ繰り返されたという。
「そうですか、残念ですが調査は諦めますか。有難う」
 男たちに礼を述べたセルリは、素知らぬ顔で場を離れた。……彼は、年齢の割に用心深い。「我々もこれから行ってみる」などと話せば、昨夜の挑戦者たちの顛末てんまつ同様、他の誰かに喋られてしまう材料になるだけだ――と考えたのだろう。
 暫く歩き、男たちの耳目がなくなったところで、わたしは、問わず語りに示唆を投げた。
「……夜中に近付くのは感心しないわ。下心ありと告げているようなものよ」
「では、正面から訪問して許しを求めるぐらいの低姿勢が良いですね。……古代の町であれば、訪問客は当然の如く魔道士という想定でしょう、“飛行”を使いますか」
 セルリの答に、わたしは思わず微笑む。彼は、わたしの示唆から、そこまで瞬時に考えを巡らすことが出来るのだ。
「そうね。……港から飛べば人目に付いてしまうから、海沿いに少し南へ歩いてみましょう」
 海岸線沿いに半日ほど南へ下ると、フロルらしき島が、港から見たより近くに見えるようになった。辺りに人影がないことを確認したセルリとわたしは、それぞれに“飛行”の技を使い、空からくだんの島へと近付いた。
 見下ろせば、住居だったらしき建物跡は、十軒程度。後は、知識神ナファールの礼拝堂とおぼしき、尖塔を持つ建物がひとつ。小さな町、と書物には伝えられているが、これでは精々“集落”だろう。
「……周囲に結界が見えますね」
 魔力を感知する呪文を唱えたセルリが、目を細める。風がフードを撥ねているが、肩を過ぎ越す長い銀髪は首の後ろで括られ、見苦しく散らばったりはしていない。
「迂闊に寄れば弾はじかれそうだ。……声を掛けてみますか」
「わたしが掛けてみるわ。……あなたには不快な遣り取りになると思うけれど、許してね」
「無事入れてもらえるなら、あなたの従者扱いで一向に構いませんよ。私が、かつて“蛮族”と呼ばれた人間たちの子孫であることは事実ですし」
 セルリは軽く笑う。……本当に、頭の回転が速い人だ。わたしが口にしなかった「不快」の中身まで、く察している。
 わたしは、古代王国時代の日常語であった一般魔道語ジェネラルで、礼拝堂の尖塔に向けて声を掛けた。
「フロルの方々――わたしは、“異端の天才”サラ=ファティジンの子孫、サラ=ヴァジリキと申します。この島がわたしの住まう町の近くを訪れたと耳にし、御挨拶の為に参りました。従者共々、暫しの滞在をお許しくださいませ」
 何かしらの魔力が向けられたのを、肌で感じる。敢えて抵抗せず受け容れると、ひと呼吸置いて、柔らかな女声が返ってきた。
「ようこそお越しくださいました。狭い島ですが、どうぞごゆるりと」
「有難う」
 わたしは穏やかに感謝の意を示した。隣でセルリが「……結界が消えました」と呟くのを聞きながら。

 礼拝堂前の、広い場所に降り立つ。
 上空から見た時にも感じたが、緑が乏しい。潮風に強い草が僅かに生えているだけで、枯れて久しい木々の朽ち果てた株すら殆ど目に付かない。
 ただ、古代王国滅亡から七百年ほど経つのに、礼拝堂の白い外壁は古びていない。他の建物は全て屋根が失われ、壁も崩れていたから、この礼拝堂にのみ、強力な“腐敗劣化防止”が施されているに違いない。
 奥へ進むと、知識神ナファール聖印ホーリィシンボルが掲げられていた。ナファールの信徒として自然にその前に赴き、祈りを捧げる。……特に“啓示”が訪れることもなく、静かで穏やかな時間が過ぎる。
 わたしが祈りを捧げているあいだ、如何なる神にも帰依しない青年魔道士は、堂内を興味深げに歩き回っていた。その目に“魔力感知”の効果が残っているのか、足を止めては「ああ、これか……いや、これか」と独りごつ。
「尖塔下に位置する少女の彫像に、結界を作る魔法装置マジックエクイップメントが組み込まれています。台座に刻まれた上級魔道語ハイヤー合言葉キーワードが、起動と停止のふたつしかない。で、面白いことに、排除するのは“人間またはそれに類する存在”だけで、鳥や魚といった、食料になりる生き物は除かれている。……島を動かしているのが、こちらの、島の模型に見せ掛けた魔法装置。様々な操作の合言葉が、台座に多数記されている。その中でも『要補給』の合言葉が掛けられた状態になっているのが、今回、この島が大陸に近付いた原因だと思われます」
 セルリは、装置のそばに落ちていたという海鳥の真新しい羽根を見せてくれた。
「これは全くの想像ですが、此処へ迷い込んだ海鳥の鳴き声が、合言葉“ミャウー”に適合したのかな、と。『補給完了』の合言葉を掛けてやれば、海上を漂う状態に戻せるでしょう」
 短時間でそこまで調べて仮説まで立ててしまうとは、流石さすがと言うほかない。
 ほぼ崩壊している他の建物も、念の為にと見て回る。かつての住人の名残はなきに等しかったが、魔法工芸品マジックアーティファクトらしき日用品がひとつ、奇跡的に発見された。
「これは……昔の書物に言う“時計”ですか?」
 セルリが拾い上げたのは、丁度成人男性の掌に乗る大きさの立方体。一瞥いちべつで高級石材製と知れる。円い文字盤が嵌め込まれ、色や長さの異なる針が三本。……驚いたことに、赤い針は規則正しく僅かずつ動き、盤上を巡っている。
「小型で、間違いなく一般家庭用なのに、秒針まであるのは珍しいわ。王国末期の物ね」
「秒針?」
「ええ。王国後期、呪文の効果時間を計る為に、秒まで可視化する時計が創られるようになったの。一般家庭用に組み込まれたのは、王国の最末期。……大陸では、一般庶民は“大災厄”で真っ先に犠牲になったから、このしゅの品は殆ど失われたわ」
「……この島は、古代王国を襲った“大災厄”を免れたのでしょうか」
「自給自足だけで生きるには、多分この島は狭過ぎる。だから時々大陸に近付いて上陸し、物資補給していたのでしょうけれど……」
 上陸した住人が無事に戻れたとは思えない。古代王国滅亡当時、王国人は、王国人だというだけで往時の“蛮族”たちに“狩られて”いたのだから。
 そして、上陸の危険を知った住人はこの島に閉じ籠もり、やがて死に絶え、家々も朽ち果てた。けれど、魔法装置は生き続け、島は海上を漂い続け……
「……この“時計”も、魔法工芸品であるが故に、朽ちることなく海上を漂い続けてきたのですね。この針の動きを見る者が居なくなっても」
 持ち帰っても良いですか、と控え目に問うたセルリに、わたしは静かに頷いた。
「人の傍らに戻してあげて。……魔法装置の方は無理だけど、せめてその時計は」


Webanthcircle
サークル名:千美生の里(URL
執筆者名:野間みつね

一言アピール
架空世界物や似非歴史物が中心。架空世界の一時代を描く長編『ミディアミルド物語』が主力。大河ドラマ『新選組!』の伊東甲子太郎先生や超マイナーRPG世界を扱う等、ニッチな二次創作も。今回は、今夏刊行を目指す『魔剣士サラ=フィンク』の舞台を使い、本編から二十数年前の一篇を。300字SSポスカ作品とも連動。

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漂う遺跡” に対して1件のコメントがあります。

  1. きよこ より:

    古代より漂い続ける遺跡、ロマンですね……。
    魔法装置の仕組みが詳しく描写されていてワクワクするし、今回、遺跡が陸地に近づいた経緯がおもしろいです。
    「魔剣士サラ=フィンク」の刊行準備冊子と合わせて読むと、こちらは主人公の母親の物語だと分かります。それではサラ=フィンクが一族で忌まれる理由に、青年魔道士セルリも関わっているのか……? 本編の刊行が楽しみです。

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