カラスの夏休み

「休演日のバーベキュー、内野も参加だよな?」
「バーベキュー?」
 昼夜の道具の入れ替え時、大道具の佐野に謎の呪文を唱えられた。
「あ、の?」
「あれさ、こっちと東京チームで結構大所帯になってさ。マイクロバス借りたから、当日九時に劇場集合で宜しく」
 言い終えて、さっさと夜公演の道具をプリセットし始めようとする佐野を止める。これだけじゃ、何がなんだか分からない。
「待って! 何の話なのか」
「何のって、だから休演日の」
「俺、休演日は」
「花音さんに二名で宜しくって言われたけど?」
 佐野がピラッと一枚の紙を見せた。参加者名簿のようで、花音の下に内野の名前が記載されている。
 やられた……。内野はガクリと肩を落とした。
 二週間前。東京・桜波劇場舞台課の内野は、先輩の花音と共に福岡・博多入りをした。二人は、先月末まで桜波劇場で上演していた演目を博多で再演するための応援スタッフだ。桜波と博多の劇場では、劇場主催の演目を時期をずらして再演することが多く、東京スタッフと博多スタッフが混在する時がある。今回は桜波が主催だった為、東京から舞台課の内野と花音、舞台監督の他、音響と照明オペレーターが一ヶ月博多に滞在することになっていた。
 休演日当日。風吹き荒れる朝九時前。劇場前で花音が「おーい」と手を振った。佐野が言うマイクロバスはまだ来ていないようで、博多の大道具や東京チームの若手がちらほらと突っ立っている。内野は花音に駆け寄ると、「花音さーん、何で俺を巻き込むんですか」と文句をつけた。花音はケロッとして言った。
「だって、うっちー、唯一の夏休みを寝て過ごしそうだったから」
 舞台課の二人は、仕事上、年の半分が稽古で、残りの半分が仕込みと本番というサイクルで仕事をしている。稽古期間中はスケジュールの関係上、役者は出番がない時は休みになるため、スタッフを含めた全体休みという日はあまりない。また、あったとしても舞台の統括部門である舞台課は衣裳や大道具、本番の手順の打ち合わせといったもので潰れるのがほとんどだ。つまり、スタッフ、特に演出に関わる舞台課や舞台監督が確実に休めるのは、本番中の休演日ぐらいだ。そして、二人は七月の博多の公演を終えて東京に戻れば、九月公演の稽古に合流することが決定している。
 舞台屋の辞書には、盆も、正月も、労働基準法も、存在しない。
「あのですね、俺は今日中に来年の」
「地方スタッフと仲良くするのも舞台課の仕事だよ」
 舞台は一人では作れない。スタッフの連携が舞台の成功の鍵を握っているのは重々承知だ。グッと言葉が詰まる。花音が、ふふん、と胸を張った。
「お二人さーん」
 遠くから呼びかけられて振り返る。いつの間にか、反対側の道路にマイクロバスが到着しており、入口ドアの前で佐野が手を振っていた。ギョッとした。派手な色のTシャツに短パン、ビーチサンダルという出で立ち。舞台裏で見る黒のつなぎの片鱗すらない。
「誰かと思いましたよ。なんすか、その恰好」
「休みの日ぐらい良いじゃないか! 烏じゃねーんだから」
 舞台スタッフの仕事着は、おおむね長袖、長ズボン、靴、皮手袋に至るまで黒で統一される。肌の露出も極力抑える。裏方は表に見えてはいけない存在だ。だから、その反動で私服が派手になる者が一定数いるのは知っている。が。
「つーか、泳ぐ気満々っすね」
「海に行って泳がないのはおかしいだろ。海開きはしてるんだし」
「いや、そうじゃなくって、天気予報見てます?」
「逸れるだろ?」
「逸れるって、あんた、台風が接近していることに変わりは」
「大丈夫、大丈夫。九州男児は頑丈だ」
「なにその根拠!」
 ゴォーと唸る風の中、内野は佐野にバスに押し込められた。
 広大な海、砂浜、バーベキューの道具が置かれている海の家のテーブル。曇天。波は高くはないものの、穏やかとも言えない海は、黒い。入ったら唇が紫になるのは確実だ。
「貸し切りっすね……」
 海辺には内野たち以外、ひとっこひとりいない。
「まあ、わざわざこんな日に来るやつはいないだろうな」
「佐野さーん」
「しょうがないだろっ! 海は逃げないけど、休演日は逃げるんだ!」
 天気ばかりはどうにもならないのは分かっている。雨じゃないだけましだが、それでも恨めしい。
「まあ文句垂れてないで焼けよ。こっちがメインなんだしさ」
 佐野にトングとボウルを渡される。ボウルの中は溢れるほどの海の幸だった。
「ふぉぉぉぉ!」内野が吠えた。
 バーベキューは初めてではないが、貝、海老、蟹、干物といった海鮮バーベキューは初めてだ。ワクワクしながら並べ始めると、隣で同じく顔を綻ばせた花音がいそいそと並べていた。東京ではまずお目にかかれないバーベキューは、海が近い博多ならではだ。佐野がふふんと、満足そうに鼻を鳴らして紙皿と紙コップを取り出した。
 ザァァーッと風が吹き抜けた。海の家以外障害物がないここでは、劇場前の風とは比べ物にならないぐらい強い。ウッと目を細めると、視界の隅に何か代物が写り込んだ。反射的に手を伸ばして掴む。佐野が配ったばかりの紙皿だった。隣を見ると、花音が紙コップを押さえている。
「これ、全部飛ばされるぞ」
 大惨事になりかけているテーブルを横目に、内野は鞄を漁った。
「はい」テーブルに置いたのは白のガムテープ。
「なんだ、うっちーも持ってきてたんだ」花音が鞄から黒のガムテープを取り出していた。
 舞台課の三種の神器。ガムテープ、蓄光テープ、ペンライト。
「ちょっと待て。そんな粘着力の強いやつだとテーブルがぐずぐずになる」
 ガムテープで皿を固定しようとする二人を佐野が止めた。よく見ると、木製のテーブルは潮風の影響か、天板がささくれ、一部は剥離さえしている。確かにガムテープだと、テープと共に木片も剥がれるだろう。
「こんなこともあろうかと」
 佐野が「ジャーン!」と自分で効果音をつけながら右手を掲げた。その手にはバインド線(太い針金)が握られている。
 大道具の三種の神器。ノコギリ、ナグリ(金づち)、バインド線。
「鉄骨や木を止めるわけじゃないだろうが!」
 全員のツッコミが入った。佐野は、うっ、と唸ると「じゃあ、インシュロックでどうだ!」と結束バンドを取り出した。
「用途は同じ!」
 総攻撃に佐野はスゴスゴと引き下がった。その背中を音響と照明がポンポンと慰めるように叩き、声高に叫んだ。
「好きな方を使うが良い!」
 ワイヤレスマイクのヘッドマイクを止める医療用の肌色テープを頭上に掲げる音響屋と、色とりどりのビニールテープが通されている紐を肩にかけている照明屋。
 音響、照明の三種の――以下、略。
「こう、セロハンテープが出てこないあたりは、舞台屋のサガか」
 内野が、苦笑いを浮かべながら照明屋からビニールテープを借りて皿を固定していると、突然「ちょっとぉぉ!」と花音の声が飛んだ。なんだ、と振り返ると、花音は網を指さしていた。網の上には海鮮と、トウモロコシと、ジャガイモと。
 おにぎりがいくつか。
「誰の仕業よ!」
 海苔は巻かれていないが、間違いなくコンビニのおにぎり。海の家で用意されたものではないのは一目瞭然だ。誰かが皆の目を盗んで置いたに違いない。
「こ、こっち見んな……」
 博多スタッフが一斉に佐野に視線を注いでいる。
「佐野さぁーん?」
「い、良いじゃないか。焼きおにぎりぐらい」
「まあ、幹事がそう言うなら別にいいですけどぉ」
「網に米が引っ付いても知らないですけどぉ」
 ガッと反論する佐野に、内野と花音はわざと語尾を伸ばしながら言った。佐野は、「あー、もう、うっさい!」とトングを振り回して、次々と焼けた海鮮を皿に盛りつけた。二人で顔を見合わせる。
「郷に入れば、郷に従え」
 笑いながら、海老と貝にかぶりついた。
 多すぎではと思われた具材は、おにぎりも含めて、あっという間になくなった。大道具チームの食欲は凄い。体が資本は伊達じゃないな、と佐野のおにぎりに妙に納得した。
「さて!」
 何かの合図のように、佐野が声をあげると博多スタッフの全員が颯爽と服を脱ぎ捨てた。東京の若手の音響屋も服を脱いだ。水着だった。お前も泳ぐのか、と内野は呆れた顔を浮かべた。
「頼むから風邪だけは引くなよー!」
 駆け出していく音響屋に声をかける。地元のスタッフは緊急時には代わりの手があるが、東京チームはギリギリで回しているため、這ってでも舞台についてもらわなければならない。
「分かってますよぉー!」
「あれは分かってないね」花音が、はぁ、とため息を零した。
 海に飛び込んだ音響屋は、あっという間に博多チームの格好の餌食になった。キャーキャーいいながら沈められないように逃げ回っている。合わせるように佐野の笑い声が響く。どこにでもいる、海で遊ぶ人たちだ。
 こうして陽の元で遊んでいると、自分たちは役者と違ってただの人なんだな、と実感する。同時に、肌の白さが際立ちもする。別に美白をしているわけではない。もち肌だ。
 陽が高くなる前に小屋入りし、陽が落ちた頃か夜に小屋を出る舞台屋は、日光に当たる時間が極端に少なく、基本的に白くなる。例え、体格の良い大道具であっても同じで、佐野も白い。白さは、勤勉の証でもある。
「闇夜は烏、海は鷺」花音が笑った。
 なら、今日だけは、鷺でいられる束の間の夏休みだけは、光の下で主役として謳歌しよう。
 明日からは、またカラスなのだから。

カラス……?スズメ目カラス科の鳥のうち、大型で嘴が大きく、全体に黒色のものをいう。?(カラスの性質から)口やかましい人、物忘れの酷い人。?(全身が黒いことから)舞台裏の仕事に従事する人。
《舞台屋の辞書より》


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サークル名:シュガーリィ珈琲(URL
執筆者名:ヒビキケイ

一言アピール
自分らしく生きていきたい人をそっと後押しできるものを、をモットーに活動しているサークル。ジャンルは、ティーンズラブ、ラブロマンス、現代ファンタジー、コメディの他、舞台用脚本なども。寄稿文は、前回の「祭り」とは違い、舞台裏の人たちの、裏側です。

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