吸血鬼氏の家政婦さん・吸血鬼と海
鹿のたむろする公園のある関西の某県在住の「私」。
自分の住むマンションの大規模修繕を間近に控え、修繕一時金を工面せざるを得なくなった吸血鬼ものマニアの「私」は、職業斡旋サイトの、雇用主が吸血鬼だと自己申告している怪しげな「夜間家政婦募集」にこれなら昼の仕事の帰りにバイトできると応募してしまいました。
夜間家政婦には見事採用されたものの、じつは雇用主は本物の吸血鬼でいらっしゃいましてね……なんてこったい。
普通の人間だけれど人狼の亡妻とのあいだに八人のこどもがいるお抱え運転手のフジキノさん、やんちゃ盛りのこども吸血鬼の兄妹、そしてわりとなにごとにも無頓着なバツイチ美形吸血鬼の雇用主。個性派揃いお屋敷に通い始めた、にわか家政婦さんの運命やいかに。
「海に行きたい!」
と、お屋敷のお子さまたちの大合唱で幕を開けた六月一二日のバイト。
お子さまたちの手にはファッション雑誌が握られています。
たぶん、フジキノさんの娘さんのだれかがお屋敷に置き忘れたんでしょう。
開かれているのはどこぞの観光地の海の写真。
「う~み! う~み! う~み!」
と、ふたりとも大興奮で、サバトの魔女の踊りみたいに、くねくね変な踊りを踊りながら居間で暴れ回っているんですが、海に行きたいなら私ではなく自分の父親に言うのが筋だと思うな。家政婦にそんな権限はない。
このままくねくね踊りが続いたら、掃除ができないな……と思いつつ、いちおう、子守も家政婦仕事のうちなので、もうすこしだけ付き合うことにします。
もうちょっと待ってこの魔女踊りが終わらなかったら、そのときは割烹着のポケットにジップロック入りで隠し持った大蒜の出番ね。
蜘蛛の子を散らすように逃げ出す効果は、確認済み。
「家政婦さん、海知ってる?」「行ったことある?」「パパ、海知ってるかなあ?」
くねくね踊りながら、いろいろ質問してくるんですが、君たち、待ちたまえ。
そんないっぺんに質問されても答えられない。
「知ってると言うほど親しい間柄ではないねえ」「行ったことあるけど、あんまり友好的な関係にはならなかったねえ」「そういう質問は本人にしようね」
などと、適当に答えながら吸血鬼マニアとしては、つらつら考えるわけです。
だいたい、君たち、海は平気なの?
吸血鬼は流れ水を渡れないっていう伝承もあるわけで。
ポール・バーバーの吸血鬼に関する民間伝承を集めた書籍『ヴァンパイアと屍体』には川の流れと吸血鬼の関係の考察はあった気がするけど、海の記述は……どうだろう?
東欧って海が遠い地域が多いから民間伝承で海に関係したのってすくないし。
でも、海っていわば巨大な流れ水……
だいたい君ら日光苦手なんだから、その写真みたいな『輝く太陽に煌めく蒼い海! 白い砂浜!』は見られないと思うな。
しかし吸血鬼って、いろんな「苦手設定」が存在していて、東欧の民間伝承通りとは限らないので、一応、雇用主に確認してみることにしました。
ついでに「お子さんたちが海に行きたいって仰ってますが、どうしましょう?」って聞いてみることにします。
相変わらず「う~み! う~み!」と騒がしく私の周りにまとわりつくお子さまたちが、ぴたりと静かになったのは、父親の部屋の前だから、ですね。
こいつら……いやいや、このお子さまたち、猫かぶるのがお上手でございましてね……。
雇用主の部屋にお邪魔すると、起きたばかりの雇用主が眠そうに新聞を読んでいらっしゃいました。
いいなあ……毎日毎日、好きなときに起きて寝る生活でもお金に困らないって。
この方、東京やら大阪やらの一等地に広い土地持ってる地主さんなんですよ。
なので、土地の貸し付けで寝ててもお金が入ってきます。
鉄壁の有産階級。ブルジョワジーというやつです。
しかも無駄に顔がよろしくていらっしゃるので、単に新聞読んでるだけでもさまになってるって、ねえ。
世の中はつくづく不公平だと思うわ、私。
で、お子さまたちが海に行きたいと仰るので、流れ水は平気なんでしょうかと訊ねてみたところ……
「船に乗れば海は渡れた。こどもたちが海に行きたいなら、連れて行ってやってくれ」
とのこと。
いや、もうちょっと具体的に、海に浸かっても平気なのか、とか、その辺の情報を……とは思ったんですが、それ以上なにを仰る気もないようです。
人間如きに弱点に関する情報を漏らしたくないのか、それとも本気で知らないのか。
これまでの実績的には、たぶん知らないんだな。自分のことなのに。
この方、超絶ものぐさですからね!
奥さんに愛想尽かされるレベルでね!
君子危うきに近寄らずって言いますけどね。
敵を知り己を知れば百戦殆からず、とも言うわけですよ。
世界各地で吸血鬼ってよく人間に返り討ちに遭ってますけど、だいたいにおいてこの自己分析の弱さが敗因になってると思いますよ!
七月十五日
「で、神戸港クルーズですか」
出航のアナウンスをクルーズ船のラウンジで聞きながら、フジキノさんが仰るのに、私は「ええ」と頷きました。
海の日の前日に、私はお子さまたちと、運転手のフジキノさん、フジキノさんの八人のこどもたちとみんなで「神戸港ナイトクルージング 豪華客船コンチェルトで満喫する二時間の旅」に参加することにしました。
明日、私は浅草で行われる某同人イベントに出るために五時起きで新幹線に乗るんで、別の日にしたかったんですけどね。
結構人気のクルージングなんでなかなか予約取れなかったんですよ。
雇用主さんはいらっしゃいません。
「忙しい」そうです。
日が暮れてから起き出して、お屋敷でまったりしてるだけなのに「忙しい」とは。
絶対、MAXテンションの我が子の相手をするのが面倒なだけに違いない。
雇用主さんには是非、手塚治虫の『ドン・ドラキュラ』をお読みいただいて、ご自身の来し方についてある種の気づきを得ていただきたい。
まあ『ドン・ドラキュラ』のドラキュラ伯爵ほど過保護なのも問題あると思うんですが、うちの雇用主さんは、もうちょっと父性愛とか、そっち方面があっても良いと思うんですよね。
人として。いや、人じゃないけど。
「先日、お屋敷の近所の田んぼの浅い用水路を飛び越してみてってお願いしたんですが、ふたりとも嫌がったんですよ。で、流れ水は言い伝え通り苦手なんだろうなと思ったんで。これなら安全ですから」
「なるほど」
海水浴できるわけじゃないし、お子さま方には不評かな、と思ったんですが杞憂でした。
ふたりとも上機嫌で「う~み! う~み!」と甲板を走り回っています。
さっきまで自分で見張ってたんですが、縦横無尽に走り回るふたりを追いかけるのに、さすがに疲れました。
で、ラウンジで休憩してるわけです。
いまはフジキノさんのこどもたちが交代で見張っててくれてるんですが、そろそろ私も見張りを再開しないとな、あのふたり、普通に重力を無視できるから、嬉しがりすぎて壁とか天井を走り始めるのを阻止しないと……と、ジップロック入り大蒜を隠し持った鞄を肩に掛け直したところで、フジキノさんのお子さんのひとり、タツコさんが真っ青になってラウンジに駆け込んできました。
「お父さん! と、と、跳び込んじゃった!」
いつ、だれが、どこに?
瞬時に浮かんだ疑問の答えは、言わずもがな。
いま、ふたりのお子さま方が、海に。
……なんてこったい。
私はフジキノさんと、急いでラウンジを出ました。
しかし……
ほんのちょっと水が流れてるだけの田んぼの用水路を跨ぐだけでもあれだけ嫌がったのに、なんで跳び込みますかね!
甲板の向こうに広がる黒々とした海、右手にはまだ間近に港が見えます。
飛び込み地点は甲板に繋がる右舷通路。
船体後方じゃなかったのは救いかな……スクリューに巻き込まれてバラバラになったら、元に戻るの大変そうだし。
とはいえ、こうなってしまうと、私には如何ともしようがありません。
頼みはフジキノさんのこどもさんたちです。
フジキノさんがてきぱきと指示を出して、雇用主のお子さま方を追いかけて跳び込んでいきました。
かなり嫌そうでしたが。
まあ、それは分かる。今夜は三日月ですからね。
彼ら、人間と人狼の混血さんたちで、満月に近ければいろいろできるんでしょうが、いまは人間よりすこし丈夫なだけだもんね……。
それはそうと、一応心配しなければいけない雇用主のお子さま方ですが、吸血鬼って、流れ水で死体に戻るんですよね。
死体に戻って、また動けるようになるか、という問題ですが、ハマープロダクションの映画『帰ってきたドラキュラ』で、流れ水に閉じ込められたドラキュラが流れ水から抜け出せた途端、復活するネタもあるわけで、灰になったり溶けたりしてないから、復活は大丈夫だと思うんですが……どうだろう?
元に戻らなかったら、さすがに責任問題か……でも、どう考えても不可抗力……。
三十分くらい経った頃でしょうか。
フジキノさんの携帯電話が鳴って、お子さま方を無事確保して、港まで泳ぎ着いた旨、連絡がありました。
出航してすぐで、岸が近かったのも幸いしました。
連絡手段は港にいた人に携帯電話を借りてるんでしょう。
「死んだみたいに動かないんだけど大丈夫だよね?」
と心配そうに話す電話の向こうのタツコさんに、
「たぶん大丈夫だと思うが、救急車を呼ばれてバイタルを取られたら間違いなく面倒だから、タツコ、マモル、トオル、済まないがもうひと頑張りしてそこから逃げて欲しい」
と、指示を出すフジキノさん。
さすが、お屋敷勤めが長いだけあって、的確です。
私はクルーズ船の船縁から黒々とした海を眺めながら
「私、明後日、ご当主に掛け合って、一晩、焼き肉店貸し切りにしてもらいます。もちろん、お子さん方が元気になられたら、ですが」
そう、フジキノさんに申し上げました。
焼き肉店貸し切りは、もちろん、フジキノさんのこどもたちの慰労会用に、です。
「そうしてやってください」
溜息を吐くようにそう答えるフジキノさんも、こころなしかお疲れの模様でした。
七月二十日
某所イベントも無事終わり、私は今日も今日とて昼の仕事帰りのパートタイム家政婦にいそしんでおりました。
お子さま方は一日ほどで水が抜けたのか、無事復活、今日も元気に……え~……海ごっこしていらっしゃいます。
私がいまから掃除機かけようとしている絨毯の上に寝転んで動かない遊び。
海ごっこというより、死体ごっこ?
ざぶーん、ぶくぶくぶく……(動かない)……(むくりと起き出して)うわー海だったねえ! 楽しいね! きゃっきゃ! ねえ、お兄ちゃん、もう一回!
というのを、さっきからふたりで飽きずに十回ほど繰り返していらっしゃいましてね。
いや、私、その遊びのどこが楽しいのか分からないんですけど?
っていうか、掃除ができないから、こども部屋に帰って?
そろそろこのガキンチョどもを追い払う最臭兵器、大蒜爆弾の出番かな、と考えつつ、掃除機片手にふと、思うわけです。
たぶん、この子らにはあの真っ暗な夜の海が、なにか違った風景に見えていたんだろうな、って。
それが美しいものなのか、恐ろしいものなのか、あるいはもっとべつのなにかなのか……それは分からないんですが、それがどんな風景であれ、きっと私に見えている風景とは違うのは間違いない。
もうちょっとふたりがおおきくなったら、どんな風景が見えてるのか、教えてくれないものかと私、ちょっと期待してるんですよ。
そんなこと教わって、どうするのかって?
もちろん、それをネタに吸血鬼小説書くんですよ。
決まってるじゃないですか。
サークル名:バイロン本社(URL)
執筆者名:宮田 秩早一言アピール
異世界ファンタジー、ヨーロッパを舞台にした小説を発行しています。
すべて吸血鬼小説。
「吸血鬼氏の家政婦さん」は、無料配布のコピー冊子です。テキレボでも配ってるので、気軽に代行申し込み、またはブースにお立ち寄りのうえご入手ください。作中の「私」が作者に似てる気がするのは、気のせいです。