伝えなかった未来の約束
世界の果てに誰もたどり着けない宝島がある。そんな夢物語が、船乗りたちの間で言い伝えられていた。
宝島なんてあるわけないと言う者もいれば、島にたどり着いて宝を独り占めした人間があとから噂を流したに違いないと言う者もいる。
「果ての島はある」
そう断言する若者がいた。
「ジーク、お前はなぜそう思うんだ」
「理にかなっているからだ」
ジークは古びた世界地図を広げて、卓上にバンと叩きつける。大きな円が描かれ、その中に5つの大陸といくつかの島が書き込まれていた。
「果ての島があると言われているのはここだ」
円の外縁の一端を指差す。
「そしてちょうど円の反対側、こっちには大昔に沈んだ島の伝説がある」
それも有名な話だった。海底に沈む宝船の噂は無数にあるが、島がひとつ沈んでいるというのは世界でもそこだけだ。円で描かれた世界地図の、円の下端に「最果ての宝島」が、そして上端に「沈んで消えた島」の伝説が、ちょうど対になっている。
「だから、ここに果ての島があってもおかしくない」
「沈んだ島の伝説は何の根拠にもならないぞ」
ブランガルがぼやく。このやり取りも、もう何度目か。
ジークとブランガルは、親友だった。二人とも少年の頃から船乗りに憧れ、大海を夢見ておとなの船に勝手に乗り込んではつまみ出されたり海に放り投げられたりして共に育った。世界の果ての宝島の話も、この頃に誰かから吹き込まれた。
世界はまるい。円の外縁の向こうは海が途切れていて、船は世界の外へ落ちてしまうと言われているが、実際には縁までたどり着けずに波や風に押し戻される。あるいは渦に飲まれて海底に沈む。
だから本当は、果ての島どころか、ぐるりとまるい縁のどこにも、誰もたどり着けないのだ。船乗りたちはそれを承知でなお夢の島を語り継ぐ。
二人は共に大きな船の正規の乗組員として働きながら、資金を蓄え技術を磨き、それぞれ自分の船を手に入れた。独立。小さな船だが一人で世界の海のどこにでも行ける、その解放感は最高だった。事故や詐欺、難破しかけたり遭難しかけたのも良い経験だと、たまにどこかの国の陸の酒場で笑い合った。
昔から性格は似ていなかった。ジークは頭が切れ、子どもの頃から冷静で慎重だった。何でも気さくに話してくれていると思わせて、大事なことをずっと胸に秘めているような男だった。
ブランガルはそれほど思慮深くはなく、考えるより先にやってしまうことの方が多い。秘密を持つのは苦手だったので、あるとき雇った年かさの乗組員が「果ての島の海図を持っている」と言うのを、たまたま再会したジークに話してしまった。
ジークはすぐに「海図を買い取らせてくれ」と申し出て、かなりの、おそろしいほどの大金を支払った。
「偽の情報だとは疑わないのか?」
「確かめる方法は実際にこの海図を見ながら行ってみるしかない」
いつもの慎重さからは考えられないジークの思い切りの良さに、ブランガルは驚いた。
海図を売った乗組員の男は、自分では島に行っていないと言う。
「この海図を渡して、俺の船に行ってほしかったのか?」
「行きたいとは思わない」
「じゃあなぜ海図を見せたんだ」
ブランガルに追及されて男はもじもじと口ごもる。ジークは笑った。
「俺が最果ての島に行きたがっていることは界隈の連中なら誰でも知ってる。ブランガルと親しいこともな。だがいい、俺はこの海図を買ってやった。あとは好きにさせてもらう」
ジークはそれから1年消息を絶った。距離だけで言うなら、一番近い港から最果ての島まで往復で半年ほどだ。行けるとすればの話だが。外縁に向かうと海流が逆向きになったり渦を巻いたりして進みは遅くなるし、ジークのことだから出発前にはじっくり時間をかけて準備をしたに違いない。
だから1年経って、そろそろどこかの船舶組合や港の酒場でジークの噂を聞けるのではないかと、来るならきっとこの街だろうと見当をつけてブランガルは頻繁に顔を出していた。しかし2ヶ月通っても、誰もジークの噂をしない。
3ヶ月待ってブランガルも諦めた。死んだという噂も聞かなかったから無事ではいるのだろう。そのうちまたどこかで偶然出会ったら、今回の挑戦の顛末を面白おかしく話してくれるだろう。ブランガルは長い休暇を終えて、自分の仕事に戻った。
数年後に偶然再会したジークは、以前と少しも変わらない様子で酒を飲んでいた。
久しぶりの再会に二人とも笑顔で乾杯し、ブランガルは早速、最果ての島の話を聞く。
「いや、島にはたどり着けなかった」
そう告げるジークの表情には潤みがあった。
「海図は正しかったが十分でもなかった。もっと情報と経験が必要だな」
ジークは世界の外縁に挑んで生還した船乗りとして、貴重な体験を語った。外縁すれすれのところまで船を持っていくと、海流がめちゃくちゃで想像以上に海は荒れた。海図に印のあった場所の何倍も、不規則に渦が発生して船はまっすぐ進むことなどできなかった。おまけにどんなに上手く渦を避けて島に向かおうとしても、外縁から押し返す大きな海流に巻き込まれて流されてしまう。
「すると、帆の勝負になるのか?」
「帆はむしろ使えなかった」
風も逆向きに押し返してくるし、ときどき突風が海の上につむじ風を起こす。航海中に大きな帆を一枚だめにしたジークは、予備の帆の張り替えを諦めた。
「あの島へ行くには、正確な航路を見つけ出して慎重にたどるか、そうでなければ船ではたどり着けないだろうな」
その言い方は、激しい悔しさでも、絶望でもなく、何とも言いがたいしっとりとした情熱を隠していた。
ブランガルはこちらの近況もあれこれ伝えた。
「最近は荷運びと半々くらいでやっているんだよ。俺は人運びを中心に商売したかったんだけどなぁ」
「人間を運ぶ方が割がいいからな」
にやりと笑ってジークが応じる。荷物は船室いっぱいに積め込んでも文句を言わないし、乗船中の食料や飲料の心配をする必要もないが、単価で考えれば人間を運んだ方が手っ取り早く稼げた。
「だが、お前の高速船では少人数しか運べないし、稼ぎを増やすなら船を大きくするしかないんじゃないか」
それはブランガルにもわかっていたが、大きくすると小回りがきかず、速度も出せなくなる。長年の悩みだった。
やはりディアニアとシャルウィンの二国間の貿易が一番活発だとか、あそこは海峡が狭いから短期間にたくさん仕事がこなせていいとか、アキンダムで受ける依頼はどれも危険だとか、どこそこの船長が一山当てたらしいとか、他愛もない話をたくさんした。
「それとな、やんごとなき人物をお忍びで運んだりもしたぞ。あれは相当な身分に違いない」
ちょっと声を潜めてささやく。
「特別に訓練された兵士がぴったりくっついていて、航海中ずっとぴりぴりしていたよ」
依頼主の正体は不明だったが、大国エル=オーヴァの港から大陸をぐるりと回り込んで、シャルウィンの一番有名な海岸へ直接行き、帰りも送り届けるという仕事だった。
「俺くらいの小型船じゃないと浜まで直接行けないし、足の速さが必要だったらしい」
「しかしお前、それは大儲けだったろう」
「正規料金を請求したが、支払いは多かったな。ああいうときは口止め料だから断らない方が良い」
「金持ちなら専用の海水浴場だってあるだろうに、一般人が居るような外国の砂浜が見たかったのか。物好きだな」
「シャルウィンの浜にはどこかの学生がわらわら居たよ。林間学校だと言ってたかな?」
「なんだ、貴人がお忍びで観光地に行って若い娘を誘惑する話か」
にやにや笑うジークに、まさか、とブランガルは笑い飛ばす。
「学生たちはほとんど男ばかりだったし、俺が運んだ御仁とは親子ほども歳が離れていたぞ」
「お前も観光地の砂浜を満喫できて良かったな」
「そうだな」
最後にやはり、どうしても気になってブランガルは尋ねた。
「……もう最果ての島のことは、諦めるのか?」
「果ての島は、あった」
ジークはこちらを見ないで答えた。
「そんなに宝を見てみたいのか?」
「あそこには、宝以上のものがあるんだよ」
見つめる飲みかけの酒の水面がゆらゆらと、明るい水色はまるで波のように揺れる。ジークはその奥に遠い島影を見ていたのかもしれない。
ああ、こいつの心はその島に捕まってしまったのか。ブランガルはジークの表情を見て、その答えを聞いて、やっと腑に落ちた。
「遠かったけれど、確かに島があった。近付けなかったけれど、あれは無人島などではなかった。次はきっとたどり着く」
ジークは1、2年姿を消してはふらりと酒場で再会する、そしてまた年単位で姿を消す――そんなことが何度か続き、いつの間にか船乗りの間で「夢追い人」と囁かれるようになっていた。荷運びや漁業を生業としている船乗りからすれば、ろくな仕事もしないでふらふらと夢を追っているろくでなし――そんな揶揄を込めた呼び名だ。
たどり着けない果ての島を目指す挑戦は、見果てぬ夢を追う日々は、楽しいだろうか。ブランガルも、心のどこかではそんなジークをうらやましいと思っていた。
最初に船乗りを目指したあの少年の日に、自分が思い描いた船長像は、何か途方もなく大きな夢を追い掛けていた。それが何かは知らなかったが、とにかく想像の中の船長はかっこいい存在だったのだ。
もしかすると自分も、そのうちジークと一緒に夢の宝島を目指すのだろうか。そんな想像に自分で笑う。だが、それもいいだろう。宝以上のものがあると、親友に言わせたその島へ。あと十年か二十年、仕事でしっかり蓄えて、そろそろ好きにやってもいいんじゃないかと思えたら、そのときは、親友を誘って果てに舵を切ってみよう。
――その日までどうか、健やかに。
サークル名:えすたし庵(URL)
執筆者名:呉葉一言アピール
この二人の船長がその後どうなったのかは、テキレボで頒布する「ESTASIA」1章の冒頭で書かれていますのでよろしければそちらもどうぞ。<前回のアンソロ「祭」も読んでくださった方へ>
ご愛読ありがとうございます。こちらはB面です。A面では前作の彼らが林間学校(海)に行っていました。