樹海で一番怖いのは

 ミディアミルドに於いて、森林のたぐいが“樹海”と呼ばれるには、三つの条件がある。
 ひとつは、少なくとも森とは呼べるだけの面積を持つ樹木の群落地帯であること。
 もうひとつは、その群落一帯で“ナブオーヴァ化”――多くの人々が当たり前のように何かしらひとつは使える“超能力オーヴァ”が全く使えなくなるという不思議な現象――が起きること。
 そして最後のひとつは、そこに“水場蛭みずばひる”という奇怪な生き物が棲息せいそくしていること。
 小さな蛇ほどの大きさで、単体だと青く透明に近い細長い紐のような見てくれをしているが、寄り集まると互いにくっつき合ってぶよぶよしたゼリー状と化し、一見、いや二見三見しても池や大きな水溜まりにしか見えなくなる。樹海の湿った窪地に群棲し、うっかり“水面”に触れた人間や動物を寄ってたかって“水場”に引き摺り込み、喰らい付き、血を吸い尽くすまで放さない。
 所謂いわゆる“超能力”と呼ぶにはささやかな代物ではあっても、何らかの能力者オーヴァであることが普通というミディアミルドの人々にとっては、ナブオーヴァ化が起きる樹海の中では絶対に出会いたくない、恐怖の対象だ。
 ……何故か、「水場蛭は居るがナブオーヴァ化は起きない」とか、「ナブオーヴァ化が起きるが水場蛭は居ない」とかいう森が存在しない為、古くログリアムナス王朝時代には「水場蛭がナブオーヴァ化を引き起こす」との説が唱えられたこともある。しかし現在、その説は完全に否定されている。ナブオーヴァ化自体は、特定の洞窟や海域など樹海以外の場所でも折々に見られる現象であるからだ。
「……ただ、水場蛭がナブオーヴァ化の起きる森を好むことは、恐らく間違いないだろう」
 青い瞳を伏せ気味にするケーテル・サート・フェグラムの言葉に、ミディアム・カルチエ・サーガは首をかしげた。……夕食後、メリアしゅの瓶と互いの銀杯だけが残る卓上から、自分に宛がわれているはいを取り上げながら。
「何で」
「過去に、それを窺わせる事例がある」
 低さと涼やかさとが違和感なく同居している声で、ケーデルは淡々と応じる。
「長寿族リュカオーネの里があることで有名なセードの森は、昔は樹海だった。しかし、ログリアムナスちょう滅亡後にナブオーヴァ化が起きなくなり、その後ひと月と経たぬ内に水場蛭まで居なくなったと伝えられている。そして今以て、セードの森には水場蛭が居ない」
 だから、水場蛭がナブオーヴァ化を引き起こすわけではないとしても、水場蛭の方は、ナブオーヴァ化が起きない森では暮らしづらいのではないか――と、ケーデルは言った。
「私の推論に過ぎないが、ナブオーヴァ化が起きる場所は、水場蛭のように“如何にも水場のように振る舞い、触れた相手を引き摺り込む”といった、人や獣の認識誤りを誘うことで獲物を捕らえるたぐいの捕食者には、生存にとって有利に働くのではないかな」
 困ったな、難しい言い回しが色々出てきたぞ……と思ったミディアムであったが、前後の流れで何となく意味が掴める気もしたので、一々訊き返すのはやめ、代わりに、自分なりの言い換えで返してみた。
「オーヴァが使えなくなった人間が水場蛭を見抜きにくくなって、その分、餌になってくれ易くなる……だから樹海に棲み着くんだろう、ってことか」
「そういうことだ」
 ケーデルは、苦い笑みを浮かべながら酒杯に口を付ける。……どうやら、ミディアムの表情や相槌から、自分の説明が平易とは言えなかったことに思い至ったらしかった。
「それこそ、一瞥いちべつした程度では本当にわからないほどの擬態だ。近付けば水のような匂いもするし、風が吹けば細波さざなみのように震えもする。オーヴァが使えないと避けるのは厳しい、と皆々が思うのは自然なことだろう」
「うーん、水場蛭の見分け方は、樹海の近くで育ったっていう傭兵仲間から、昔、教わったけどなあ」
 ミディアムはメリア酒を飲み干すと、瓶を引き寄せ、手酌で二杯目をいだ。……遠慮は要らないといつも言われるが、やや控え目に。
「あいつらは日光に晒されるのを嫌うし、あんまり大きな“水場”には擬態出来ないから、樹木の枝で覆われてないくらい水面が広かったら間違いなく水だ、って。……あと、これは俺の経験だけど、その辺の石を投げてやれば、沈まないから一発でわかる」
 初陣の時、それで助かったようなもんだし、とミディアムは笑った。
「トヴィーラ樹海の戦いでか」
「ああ。樹海に陣が敷かれた時、今思うと本当に無謀だったんだが、自陣の柵が破れてる所から抜け出して、水場を探して乗り馬を洗ってやったんだ。最初に見付けた所は綺麗過ぎて何か嫌だなと思ったから、次に見付けた場所で」
「……最初の水場の方が水場蛭だったと?」
「結論から言えば、そうだ。……まあ、あの時は、水場蛭なんて生き物が居ること自体知らなかったからな。帰りにまたその水場の近くを通った時に、水切りしようと思って石を投げたら、変な跳ね方をして、そのまま水面に乗っかって」
「その見分け方は、万人には推奨しかねるな」
 ケーデルは再び苦笑した。
「残念ながら、物をぶつけてみるというのは必ずしも巧い手立てではない。擬態が巧みな集団も居るから、遠くから石を投げてみたら沈んだので安心したら水場蛭だった、という話もある。棒を突っ込んでみたら“水撥ねのように”飛び掛かられた事例もあるという」
「うっ……そ、そいつは厄介だな……」
「お前が教わったという、水面が広くてその水面に日が当たるようなら水場蛭ではないというのが、例外のない見分け方だ。……ただ、問題は、樹海と呼ばれる場所には、そんな大きな水場は数えるほどしかない、というところだろう。喉がひどく渇いている時に、目の前の泉が本物か偽物かを判断出来るかどうかだな」
 酒が入るとケーデルは若干饒舌じょうぜつになる――と、ミディアムは感じている。そして、ミディアムにとって、そんな彼は思いのほか、不快ではなかった。酒が入った時の彼に喋らせると、何々を美味しく食べるにはいつ頃がいいだの、市場で値切る時の交渉術だのといった、仮にも“マーナの知将ドー・ルーム”という異名を持つ男にしては卑近過ぎやしないかと思ってしまうような話から、戦場での敵味方の心理という“らしい”話や、今のようなミディアミルドの地理歴史にまつわる話まで、とにかく話題の幅が広く、聞いていて飽きが来ない。……だから、ついついこうして毎夕食後、彼が話し出す切っ掛けになりそうな辺りに水を向けては、延々語らせてしまう。
「うーん、でも、幾ら喉が渇いてても、水場蛭に食い付かれたら一巻の終わりだからなあ、流石の俺でも気にはする。バルバミラ樹海で彷徨さまよった時も、よく襲われなかったなと思う。あいつら、血のにおいを嗅ぎ付けたら“怒濤の”勢いで“流れて”きて襲うって言うだろ?」
「戦の時には、血を流して倒れる者が少なくない。だから水場蛭も、こう言っては身も蓋もないが、早々に獲物に有り付ける。満腹になった水場蛭はそれ以上には獲物を求めないし、しかも夜の間は動けない。お前があの樹海で彷徨ったのは、私の聞き知る話に間違いがなければ日没近くから夜に掛けてだった筈だが、既に水場蛭の活動可能時間帯を過ぎていた可能性が高い。ひとことで片付ければ“運が良かった”ということになるな」
「片付けるなよ」
 ミディアムが口を軽く尖らせると、ケーデルは珍しく声を立てて笑った。
「……樹海を歩く時は、バルバミラ樹海で暮らすベルセラ族から水場蛭の乾燥粉末を買っておくといい。彼らが自分達の為に作り、余った分を大地の民われわれに売っているだけだから、そう多量に出回っている物ではないが……水場蛭に食い付かれても、その粉末を振り掛けてやれば綺麗に離れてゆく」
「へ? 本当に?」
「私自身、試してみたことがある」
「た、試した!? 水場蛭を食い付かせたのか!?」
「ナドマ老の塾生だった頃、研修旅行でバルバミラ樹海まで来た時にベルセラ族の行商人と出会って口上を聞き、好い加減な物を売っているのではないかと子供心に疑ったのでな」
 からになったらしい銀杯を弄びつつ、ケーデルは肩を竦める。
「取り敢えずひと袋だけ買うことにして、彼がその粉の原料として採取していた水場蛭の中に手を突っ込んで食い付かせ、買った粉を振り掛けてみたのだ。ぼろぼろ剥がれ落ちたから本当だったとわかったが、行商人には『何て無茶をする坊主だ』と怒られたよ」
 ……戦場では殆ど前線に出ない謀将なのに存外行動的な奴だ、とミディアムは思う。ケーデルの話には、自分でやってみた・試してみた、という言葉が意外に出てくるのだ。
「何故その乾燥粉末を使うと水場蛭が離れるのか、その理屈自体は今でもわからんが、樹海を抜けねばならない時は、持っておけば気休め程度にはなる」
「……とはいえ、そう簡単に手に入る物でもなさそうだし」
 ミディアムは二杯目のメリア酒を名残惜しげに飲み干すと、溜め息をついた。
「一旦“水場”に引き摺り込まれたら、少々の乾燥粉末じゃ離れてくれないだろ。樹海では迂闊に水場に近付くな、というのが一番なんだろうなあ」
「確かに、それが一番だ」
 ケーデルは微苦笑で同意する。
(……こういうところが、こいつの怖さだよな)
 ミディアムは内心に呟いた。彼の知る限り、頭の切れる人間とやらは得てして、自分ミディアムのような武勇一本槍の人間の意見を軽視する傾向がある。だが、ケーデル・フェグラムはそんな態度を一切見せず、こだわりなく耳を傾け、受け容れる。……それが却って恐ろしい。
「ただ、そもそも樹海などに近付かないのが最も無難ではあるが」
「……おい、カクタス樹海を戦場に選んだ奴が言う台詞か?」
「敵が嫌がることを仕掛けるのが、軍師の役目だよ」
 涼しい表情で応じられ、ミディアム・サーガは口を“へ”の字に曲げた。どんなに話が愉しくても、“知将ドー・ルーム”としての顔には全く可愛げがないぞ――そう思いながら。


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サークル名:千美生の里(URL
執筆者名:野間みつね

一言アピール
架空世界物や似非歴史物が中心。架空世界の一時代を描く長編『ミディアミルド物語』が主力。大河ドラマ『新選組!』の伊東甲子太郎先生や超マイナーRPG世界を扱う等、ニッチな二次創作も。今回2本目は『ミディアミルド物語』から、さりげなく主人公ふたりを登場させる恰好で、一種ワールドガイド的な樹海談義の一篇を。

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コメント

  1. きよこ より:

    このふたりが、こんなくつろいだ雰囲気で会話してるなんて! ミディアムがケーデルの扱いを心得ているようなのがまた、ここに来るまでの時間の積み重ねを感じます。
    ケーデルの、危険があっても実践して確かめる姿勢は昔から変わらずですね。
    本編を読んでいる途中の身には、かなり気になる先のチラ見せでした。

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