海辺にて

「彼女が初恋の君、か」
 僕はからかうように言った。
「葵は大切な友人だよ」
 そうは言ったが、彼女を見つめる視線は優しい。
「深山さぁん、松浦さぁん、一緒に泳ぎませんかー?」
 深山は重い腰を上げる。
「お呼びだ」
「僕はいいよ」
「泳ぎは苦手だった?」
「それもあるが、見ている方が楽しい」

 僕は夏の間、例年通り深山家の別荘に遊びに来ていた。
 だが、今年の客人は僕だけでは無く、変わり者の深山に僕以外の交友があった事に驚いた。
 一人は、先刻の小谷葵嬢。深山の元・同級生。
 深山と僕は小学校以降は別の学校だったが、葵嬢の話は聞いていた。
 もう一人は葵嬢の恋人、槙正明氏。招かざる客だろう。と、僕は邪推する。
 しかし、葵嬢と槙氏は初日以降、痴話喧嘩中らしい。

「チャンスじゃないのか?」
「何を言い出すんだ、君は」
 夕食後、僕らは腹ごなしに浜辺へと散歩に出た。
「それに今更すぎるよ……っと」
 深山が語尾を濁した理由は、その視線の先にあった。槙氏だ。
「やあ、君たちも散歩かい?」
 彼は一人で、明らかにバツが悪そうだ。
「この辺は一部を除いて遠浅とはいえ、夜の海は危ないですよ」
 よく見ると槙氏の髪が濡れていた。
「頭を冷やすのにね、丁度いいんだ」
 槙氏は肩をすくめる。先程も口論の声が部屋から漏れていた。
「では、ほどほどに」
 深山が手短に切り上げ、僕らは屋敷へ戻った。

 数日後の夜、僕と部屋でチェスをしていた深山を槙氏が呼び出した。
 僕は少し不安になったが、何かあればすぐに駆け付けられる。
 しばらくして、深山は憂鬱な顔で戻ってきた。
「何だったんだい?」
「気の乗らない頼まれごとをね。片づけておいてくれ」
 それだけ言って、深山は葵嬢の部屋へ向かうと、明け方まで部屋に戻らなかった。

 翌朝、食卓の空気はガラリと変わっていた。
 槙氏と葵嬢が笑顔で会話をしている。
 その件に、昨夜の深山の行動が関係ない訳がなく、気の乗らない頼まれごとが何を意味するのかを察する。
「お疲れ様」
 僕の言葉に深山は苦笑いで返した。

 朝食の後、初めて四人で海へ出たが、僕は相変わらず浜に残った。
 水泳部であった深山や葵嬢の泳ぐ姿は見惚れる程に美しかった。
 そして、気分転換に泳ぐくらいだから不得意な訳は無かったが、槙氏の泳ぎも大したものだった。
 三人が浜に上がった際に、僕が誉めると水泳が切欠だという二人の馴れ初めを聞かされた。
 深山に悪い気がして、僕は深山の得意分野に話を誘導した。
「深山は飛び込みの方が専門だったよな? この辺には良い場所は無いのかい?」
「一か所だけ、あるけど」
「そうか、あなたも葵と同じ飛び込みの選手だったね」槙氏が言う。
「深山さん、久しぶりにどうかしら?」
「是非見てみたいな」
 無邪気な葵嬢と対照的に、笑顔だが目をギラつかせて槙氏も煽る。
 二人に押し負かされる形で深山が同意した。

 そこから先の記憶は視覚的には鮮明であるが、一瞬の出来事に感ぜられて実感が伴わない。
 三人は崖の上へ向かい、僕は浜でそれを見学していた。
 槙氏、葵嬢、深山、の順に並び、まず槙氏が飛び込んだ。
 水面に水しぶきが広がり、程なくして顔を出し、浜辺へ戻り始めた。
 葵嬢の番になり、槙氏も振り返り崖を見上げた。
 さすが経験者なだけあって、葵嬢は美しいフォームで入水し、見事な水柱が立った。
 問題はその後だった。
 最初に異変に気付いたのは崖の上の深山だ。
 浜にいた僕も深山の様子がおかしいのに気が付いた。
 槙氏には深山の声が聞こえるのであろう、葵嬢の入水した方へ泳ぎ出した。
 僕が水辺に着いた頃、深山も崖を降りてきていた。
 槙氏が何か必死に叫んでいる。僕は事態を察した。
 葵嬢が亡くなったのだ。

 その後、僕らは警察に状況を説明した。
 経験者である葵嬢が、飛び込みによる事故で死んだという違和感から、深山が崖の上から突き落としたのではと槙氏や警察が疑ったが、深山は彼女に手を振れていないと僕が証言した。ただ、僕が深山を庇うのは当然だと、槙氏は僕の証言に納得はしなかった。
 結局、葵嬢の死因は飛び込んだ際、岩に頭を強打した為で、不幸な事故という形で処理された。

 しかし、これは事件だ。僕がそう思うのには理由がある。
 警察が引き上げた後、深山がもう一度事故現場を見に行くと一人で屋敷を出た。
 僕は疲労のため一度は見送ったが、やはり気になって深山を追いかけた。
 そして、浜辺で一本の長縄を深山が回収したのを見てしまったのだ。
 気づかれぬように屋敷に先に戻り「何か収穫は?」と問いかけたが、深山は僕に縄の件を打ち明けなかった。
 僕はそれを使って、深山が何かしたのではないかと疑っている。
 深山が葵嬢を殺す理由は解らない。
 だが、僕の知る深山という人間なら、やりかねない、とも思う。
 深山は探偵小説のトリックのような事を、舞台と道具が揃ったら現実に実行してみせる、その可能性が全く無いとは言えない人間だからだ。
 僕は一つの推測のもと、夜の浜辺に深山を呼び出した。

「まさか、君に疑われるとはね」
「疑いたくは無かったが、縄を回収する君を見てしまったから、仕方ない」
 深山は、はにかむような笑顔を作る。
「では、君の推理を拝聴しよう」
 まるで探偵小説の話でもするような口調で深山が言うので、僕もそれに乗ってやる。
「じゃあ、僕の推理というか推測を話そう。あの崖を選んだのは君だ。事前に崖の上には縄を括り付けた岩を、他の岩に混ぜて縄が見えないよう置いておき、葵嬢が飛び込んだ後に上からそれを振り子の原理で彼女の頭にぶつけ、崖を降りる前に凶器を岩礁に落として割って処分した、というのはどうだい?」
 僕の予想どおり、深山が当然の質問をしてくる。
「そんな岩が空中をブラブラしていたら、君が目撃していたはずだろう?」
「それだよ。彼女は僕の死角で殺された」
「ほう」
 深山はワザとらしく驚いてみせた。
「君は葵嬢にこんな風に言ったんじゃないか? 槙氏を驚かせてやろうって。二人は昨日まで喧嘩をしていた。彼女は彼を心配させてやろうという気持ちになり、潜ったまま崖の裏側、つまり浜から見えない位置へ移動した」
「私が葵にそうするように言ったんだね? そして、死角を突いて葵を殺した、と」
「そう。その後僕らを呼び、岩を始末し、自分も合流した。水着だし隠す場所も無く縄は海に流した。けれど、浜にうちあげられてしまった」
「なるほど」
 深山はウンと頷く芝居をする。
 僕はあくまで真面目に話を再開した。
「警察に突き出すつもりはない、真実を話して欲しいだけだ」
「私には君の見た以上の真実を話すことは残念ながらできないのだけどね。ただ、私は私が犯人でないことを知っている。だから、私も君に倣って創作をしてみようかと思う」
「創作、ね」
 深山が振り向く。
「その前に君の創作の問題点を指摘しておこうか。君は振り子の原理で岩をぶつけたと言ったが、葵が避けたらどうするんだい?」
「一度外しても何度かトライできるし、実際には上手く当たったんだろう?」
 その場に突如しゃがみこむ深山。
「知らないよ、実際なんて。だけどね、リスクが高すぎるよ。だって水中に潜られたら落とすしかないのに、潜った相手の頭の位置まで把握できるほど私の目が常人離れしているとでも?」
「……あ」
 話に興味が無くなったのか、深山は足元の小石を拾い集め始める。
「まあ、着目点には同意するよ。私も縄は岩に結ばれていたと思うのだからね」
「では、とりあえず君が犯人ではないという主張を信じることにしよう」
 小石を摘みながら深山が頷く。
「ねぇ君、槙氏が夜の浜辺を散歩していたのは何故だと思う?」
 深山は集めた小石を地面に並べ、その上にまた石を重ねていく。
「葵嬢と喧嘩して頭を冷やすため、だろう?」
「それを鵜呑みにするのかい?」
 深山がくっくと笑う。
「待ってくれ、君は彼が犯人だと?」
「あの場にいたのは四人だけなんだから、消去法でいけば彼が犯人だ。それとも君が犯人だとでも?」
 話しながら小石を積み上げていく深山。
「言わないが、消去法は余りにも暴力的だ」
 それは推理でも推測でもなく、ただの算術である。
「信じてくれるかは知らないが、上から見る限り誰も葵に近づいた者はいなかったよ」
 確かに、僕も他の人影など見ていない。
「だけど槙氏は先に飛び込み、すぐにその場を離れた。葵嬢が飛び込んだ時には彼は浜に近いところまで来ていたし、その後に彼女を殺すのは不可能じゃないか?」
 その問いに深山は小石を積み上げていた手を止める。
「君はさっきの質問の真意が分かっていないようだね」
「質問? ああ、彼が夜の浜にいた理由かい?」
「そう、彼は自動殺人の準備をしていたのさ」
「オート……なに?」
「自動的に葵が死んでくれる細工をしていたってことさ」
「そんなこと可能なのかい?」
「ほら、見てごらん」
 そう言って深山は、先刻から積み上げていた小石の土台の方の小さな石を引き抜いた。
 すると、その上にあった大きな石が、カラカラと崩れた。
「これと同じものを崖の下に作ったのさ」
「どういうことだ?」
「岩を少しづつ積み上げて崖下の地面を底上げしたんだよ。頭から飛び込んだ葵はそれに頭をぶつけて死んだのさ。そして、さっきみたいに咬ませておいた岩を縄で引き抜いて積み上げた岩を崩して元通りにした。助けに行ったフリをしてね」
「馬鹿な! 槙氏の方が先に飛び込んだんだぞ?」
「そう、それが重要なんだ。自分が先に躊躇なく飛び込むことで、次の人間は思い切り飛び込むことが出来る」
「でも、僕は二人とも頭から飛び込んでいたのを見たぜ?」
「葵は飛び込みの競技経験があるから水柱が立つほどに水面に垂直に飛び込んだ。だからこそ致命傷だったのだけれど、彼の場合着水の瞬間は水面に限りなく平行だった。つまり腹打ちだね。彼の内臓が無事でよかった。痛みで涙目になってもスグに葵を見て大泣きするんだ、誤魔化せるさ」
「そんな……」
 だが、否定も出来ない。
「もし葵が助かっても事故を装えるし、君の創作よりはリスクが低いだろ?」
 僕は降参の意を示して、目を閉じた。
「彼を警察に突き出すのか?」
「いや。事件は事故で処理されたんだから、仕方ない」
「彼には、言うのか?」
「もう言ったよ。けど、警察には黙っているとね。君もさっきそう言ってくれたろ?」
「僕が黙っているのは……その、当然だろう?」
「恋人だから? でも、疑ったんだろう? 酷いなぁ」
「ごめん、ごめん」
 その時は、正直、深山らしくない、と僕は思った。

 屋敷に戻ると、使用人が騒いでいた。
「お嬢様、松浦様、大変です!」
 槙氏が例のあの長縄で首を吊って死んでいた。
 その顔は恐怖に歪み、部屋中を逃げるように暴れまわった形跡があった。
 警察に捕まった方がマシだったろうに。
 初恋の君を二重の意味で奪った男の死体を見上げ、薄く笑みを浮かべる深山の肩を僕はそっと抱き寄せた。


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サークル名:S.Y.S.文学分室(URL
執筆者名:堺屋皆人

一言アピール
例によって、発行物に全く関係ない毛色も違う話なので参考にならない上に、今回は単にこの骨組みというか型がやりたかっただけで書きました。
このネタも海でしか使えないので丁度よかったです。
既刊は、近代文学をミステリ調に読み解くシリーズや、オタク三人娘のゆるっとライトミステリシリーズを出しております。

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