墓の町の眩暈坂

百鬼夜行シリーズ 2次創作
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 だらだらと長い坂で、古本屋を見つけたことがある。

「休み時間終わりましたか?」
 老人は不機嫌そうに言った。
「休めるものかね。僕は『お子様をお預かりし?』なんて看板を出した覚えはないよ。第一、もうとっくに店は畳んでいるんだ」
 親戚中がお葬式をやったら、このお爺ちゃんみたいな顔になるんだろうな、と七竈納は思った。香典ってものすごく高いらしいし。
「だって、骨休めって札が下がってます」
 木の札がガラス戸にかかっている。かなり古そうだ。休み時間があるなら、営業時間だってあるはずだ。
「昨日虫干しをしていたんだ。だが、サッシを上げるのが面倒になってしまってね。無精だよ。無精」
 腰をぐうっと伸ばす。老人の骨が見えるような音。
「それより君、学校はどうしたんだい。朝からこんな日暮れまで、ひとの店の軒先に座り込んで」
「四月から中学生になるのです」
 納はちょっと得意に言ったが、老人は「ああ、春休み。そんなものもあったね」と相変わらずの不機嫌だった。
「で、どの本がほしいんだ」
 納は店内の床に積みあがっているタワーの、真ん中の一冊を指さした。店の中は、そういう本のタワーがたくさんあった。
「あの、「漱石全集の『虞美人草』がほしいのです」
 そこで納は頭を働かせた。結果、しょんぼりした。
「でも、お店はもうやってないんですよね?」
 お店をやっていないのだから、買えないのである。たったそれだけのことに、これだけかかってやっと気づく。いつでも、納は少し足りない 。
「そうだよ。あれは僕の私物だ。そもそも、君はいくら持ってるんだい?」
「三百円!」
 ちょっと自信が戻った。金があるということは、自信のもとだ。
「帰りの電車賃は?」
「歩いて帰るので大丈夫なのです。昨日も歩いてきたのです」
「昨日? どこから?」
「八王子」
「八王子? 酔狂な。僕なら軍にいたって断る距離だな。昨夜はどこに?」
「この近くの神社」
「よその家に勝手に入るものではないよ」
「神社だったもん」
「あれはうちの神社だ。神前で寝るのは神主たる僕の特権だよ。そもそも柵をしてあるところに入るものじゃない」
 しげしげと老人の和服姿を見る。いわれてみれば神主らしく見える。
「家出するなら近所にしたまえ」
 この人も勘違いをした。
「家出じゃないのです。別れ話なのです。だから千円もらったのです。お父さんと別れ話をするとき、女の人はみんなお小遣いをくれるのです」
 老人は声に出さずに、ブツブツ文句を言った。
「仕方ない。上がりなさい」

「女房が不在なので、出がらしで我慢してくれ」
 そう言って、日本茶と何か花の形をしたものを出した後。
「まあ、どうせ君には出がらしも玉露もわからんだろう」
 と、初めて老人は少し笑った。
「ありがとうございます。このお花は何ですか?」
「蓮台(れんだい)だよ。愚妻の郷(さと)からどっさり送られてきた。こんな枯れ木みたいな年寄りを、ますます干からびさせてどうするのやら」
「れんだい、れんだい。知らないのです」
「仏像の乗る花だよ」
「じゃあ、おいしいのだ! いただきます!」
 砂糖でできた花にかぶりつく。老人はしばらくそれを眺めて、ふいに。
「何故(なぜ)、仏像を乗せるならおいしいと思ったんだね?」
 と問うた。
 納はちょっと考えた。
「仏様ってえらい人でしょ」
 老人は何か言おうとしたが、「続けたまえ」と言い換えた。
「えらい人は、いつもおいしいものが食べられるでしょ。だから乗り物もおいしいのです」
 また、少し笑った。
「君にはまだ『虞美人草』はわかるまいね」 口いっぱいに頬張っていたので、返事ができなかった。
「だから、持っていきたまえ」
 ごくん。
「わかんないってわかってるのに、なんで?」
「僕が年寄りだからだよ」
「むぅ」
「年寄りになるとね。似たようなことを昔言ったと、突然思い出すことがある。しかし、相手が違うから回答も違う」
「昔は誰に言ったのですか?」
「大勢に。妙な連中が多かった」
 また一つ、花を出した。半分に割って、片方くれた。
「もう、誰も残っちゃいないがね」
 口の中で砂糖が溶けるのを、長い時間をかけて味わう。
「漱石が好きなのかい?」
「読んだことないのです」
「なら、何故『虞美人草』を」
「虞や虞や汝をいかにせん。の意味がわからないのです。図書室で読んだ本にあったのです。知りたいのです」
 老人は花をかじるのをやめた。
「そうだね……。それは僕がまだ、愚妻の不在をことわってしまうことと同じだろう」
 砂糖が溶けた。
「不思議なのです。なんだかちょっとわかった気がするのです」
 芥川龍之介のように頬杖をつき、老人は言った。
「この世には、不思議なことなど何もないのだよ」


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サークル名:浮草堂(URL
執筆者名:浮草堂美奈

一言アピール
こちらの徘徊少年が16歳の怪物に成長した現代ファンタジー「空六六六」をはじめ、ハイファンタジー、BL、新伝奇など書いております。女性強め暗闇マシマシ。
京極堂の年齢的に、二人が出逢うのは難しいのですが……。書きたかったら書くよね!

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