クレマチスの街
この街は、もう終わりだな。
オレはアコーディオンの演奏をやめ、金の入らなかったぼうしを拾いあげた。夕焼け色の公園には、見物人は一人もいない。
この街に来たときは、まだ活気があった。でも、綿織物工場がつぶれたせいで、人が街から逃げてしまった。今は、行き場のないやつが街をうろつき、道はゴミだらけ。空き家ばかりで窓ガラスも割れている。ときおり「バカヤロウ!」「消えろ!」というどなり声が飛びかっていた。
まあ、どうでもいいことだ。さっさと次の街に移ろう。
オレは旅支度を始めた。
ギィ。
金属のこすれる音がして、顔をあげた。目の前で、やせ細った少女が荷車を引いていた。土ぼこりで汚れた頬。穏やかな光を宿した目。その目がこちらを見た。
オレはどきりとした。故郷に置いてきた妹のエミリーに似ている。でも、あいつはこんなところにいるはずがない。ずいぶん前に、短い人生を終えたのだから。
少女がまた一歩荷車を引いてこちらに来た。何者だ? なにを考えている? オレは一歩下がる。すると、少女は悲しそうな顔をして向きを変えた。そのとき、荷車の中が見えた。
そこにあったのは、大小さまざまなゴミだった。
バカげてる。金に変わるものはほぼないし、安く買いたたく業者だって、今じゃ、いるのかあやしいのに。まさかボランティアで、街を掃除しているのか?
呆れて忘れようとして、でも、なにかがオレの足を止めた。もう一度だけ少女を見た。
少女は花壇の、しおれたクレマチスの前にいる。
オレは固まった。
なぜ、よりによってその花を見ているんだ? エミリーもその花が好きだった。
少女はクレマチスにほほえみかけた。その顔が本当にそっくりだ。
まさか生まれ変わり? いや、気のせいだろう。でも、気づけばオレは少女の前に立っていた。なにを言ったらいいか分からず、時間だけがすぎていく。
「……ゴミ拾い、手伝おうか?」
やっとしぼりだしたセリフはズレていたが、少女はほほえんでくれた。
月日は流れていく。さて、今日もゴミを拾うか、と荷車を引いていたときだった。ゴミ捨て場に紙のたばが、結えられて捨てられていた。だれかが、ゴミをきちんと分別して捨てたようだ。
「今日もお疲れさま」
オレと少女がふりかえると、じいさんが一つうなずいて去っていった。正直ゴミ拾いなんて無意味に思っていたけれど、見てる人はいるんだな。
少女はほほえみ、空き家のそばに捨てられた植木鉢を拾ってきた。そして、鉢の中に残ったクレマチスの残骸をオレに見せる。なにか伝えようと口をぱくぱくさせているが、声が出ていない。まるで生まれてくるときに、言葉を置いてきてしまったようだ。
しまいこんだ記憶が引っぱりだされる。あのときも、エミリーはクレマチスのツルを切っていた。
「クレマチスってね、毒があるのよ。昔、物乞いの人は毒で肌をただれさせて、同情をさそったみたい。でもね、か弱い見かけなのに、大きな花を咲かせるから「精神の美」という花言葉もあるの。花のことを知っていくと、親しい人たちみたいに感じるわ。この花は悪ぶっていても根は優しいお兄ちゃんみたい」
思いだして、また痛んだ胸を見ないふりして、オレは荷車を引いた。
次の日だった。オレは焦りながら街中を探しまわっていた。
いない。どこにも少女がいない。昨日、必死になにか伝えようとしていたことを思いだす。もしかして、あれはお別れの言葉だったんだろうか。それは困る。まだなにも言えていないのに。お願いだ。元気な姿を見せてくれ。
毎日へとへとになるまで探した。出会った公園、いっしょにゴミ拾いをした通り……けれど、少女にはついに会えなかった。
道にゴミがなくなってきた矢先のことだった。
北風が吹き、家々の新しい窓ガラスがカタカタと音を立てる。今、オレは街の人たちと空き家を直してまわっていた。少女だったら、そうする気がしていたからだ。いや、本当はそれだけじゃない。なにかしていないと、二度と立ちあがれなくなるからだ。
街の人たちは手を止めて、昼めしを食べはじめていた。オレも食べないといけない。けれど、気力が追いつかない。
少し離れたところにある家には光がともっていた。玄関のわきに、しおれたクレマチスのツルがからみついている。また記憶が蘇る。
オレの小さいころからの夢は、アコーディオンの旅芸人になることだった。両親を早くに亡くし生活は苦しかったが、エミリーはいつも応援してくれていた。オレは旅芸人に、あいつは花屋になることを夢見て、毎日大人たちの仕事の手伝いをしていた。
オレが酒場で音楽家にアコーディオンを弾かせてもらった日のことは、よく覚えている。つたない演奏だった。でも、本当に楽しかった。そのときは、エミリーもいっしょにいて、皆にまじって拍手してくれた。
「お兄ちゃんの演奏好きよ。また聞かせてね」
そう言ったときのあいつは、どんな顔をしていただろう。
そのうち大人になり、オレは念願だったアコーディオンの旅芸人として街を出た。苦しいことはたくさんあったし、それなりに楽しいこともあった。いつか、故郷に立ちよったらエミリーに話そう。それが楽しみだった。
ところが、ふたたび故郷を訪ねたとき、あいつは短い人生を終えていた。流行り病のせいだった。葬儀はまわりの人がしてくれたらしい。墓の近くにはクレマチスの花が揺れていた。この花を植えてほしいというのが、あいつの遺言だったそうだ。
それ以来、オレは妹の死を連想させる、この花が苦手になった。
「あんた、大丈夫か?」
意識が現実に戻ってきた。いつの間にか、目の前にじいさんがいる。いつか、オレと少女に「お疲れさま」と言ってくれた人だ。街の空き家を直す仕事をともに始めた人でもある。
「……あの女の子のことを考えていたのか?」
少女というか妹のエミリーのことを考えていた。でも、あの少女はエミリーの生まれ変わりのような気がしていた。だから、オレは、あいまいにうなずいた。じいさんは遠くを見やる。
「あの子は、今どこにいるんだろうな。あんたが来る前からときおり見かけていたんだが、いつもだれかを探しているようだった。そのだれかにどうしても伝えたいことがあるようだった」
じいさんはオレを見た。
「一度だれを探しているのか聞いたことがあってな。そうしたら、口の形ではっきり分かったよ。お兄ちゃんを探しているって。もしかして、あんたのことだったのか……」
そうか。そうだったのか。やっぱりあの少女はエミリーの生まれ変わりだったのだろう。また会いたかった。でも、それも、もう叶わない。
「……少し、うちで休んでいけ」
じいさんが明かりのともった家をさす。オレが立ちあがる気力もなく、その玄関わきのしおれたクレマチスを見ていると、じいさんは視線を追うようにそれを見た。
「クレマチスに興味があるのか?」
顔がゆがむ。もう、かんべんしてくれ。あの少女も、このじいさんも。クレマチスを見ると、あいつの死を思いだしてしまう。
じいさんは、オレの気持ちに構うことなく話しつづける。
「あの花には、いろいろな花言葉があるがね。「策略」とか「精神の美」とか」
知っている。オレは力なく聞いていた。
「でも、私が一番気に入っているのは「旅人の喜び」という言葉だね……旅人が快適に過ごせるように、クレマチスを植えて出迎えたことが由来でね。旅人への思いやりだろうな。この街でもね、昔、いろんな人が旅人のためにこの花を植えたんだよ。今は、大半はなくなってしまったがね」
どうした、涙なんか流して。そう言われて、初めて泣いていたことに気づいた。
まぶたを閉じる。涙の理由は、痛いほど分かってる。エミリーがなぜ最後までクレマチスにこだわっていたのか、本当の意味がやっと分かった気がしたからだ。
じいさんが、家にむかって歩きだす。
「……こっちに来るんだ。休むのも戦いのうちだからな」
オレは、強くうなずくと、立ちあがった。
少しずつ街の人たちは動きだしていた。街のどこにいても、ものを売り買いする人たちの温かい声がする。
「寒いねぇ。今日は特に心をこめたよ。温かいスープうまいだろう?」
「おいし~、そういえば、おばちゃん、この間……」
「本当に、お代はこれでいいのかい?」
「いいんだよ。あんたには世話になってんだ」
みんな、それぞれのやり方で、厳しい冬を乗りこえようとしていた。
オレも体を引きずりながら、一歩ずつその大きな流れに向かっていく。クレマチスの街に生まれ変わらせてもらった。その思いがオレを動かしていた。
あるとき、暖かい風がオレの体を包んだ。
ギィ。
金属のこすれるその音に、オレが、はっと顔をあげると、あの少女が荷車を引いてくるところだった。少女はオレを見ると、ほっとしたようにほほえんだ。それで十分だった。それだけで十分だった。口が震える。かすれた声がこぼれでた。
「……また会いにきてくれて、ありがとう」
少女もかすかに口を動かした。
「お礼を言うのは私のほう。お兄ちゃんのこと、ずっと応援しているわ」
オレは、口を開いてまた閉じた。胸がつかえたようで、言葉が一つも出てこなかった。そして、荷車の中を見て、目を見開いた。
そこにあったのは、小さな芽の出たたくさんの鉢植えだった。
こんどは、鉢を売って、街を花でいっぱいにするのか?
オレは、笑ってしまった。笑いながら、にじむ視界をごしごしとこすった。
いくつもの季節が過ぎた。街のあちこちでクレマチスは咲きほこり、アコーディオンの音色が通りを流れていった。
サークル名:三日月パンと星降るふくろう(URL)
執筆者名:星野真奈美一言アピール
三日月パンと星降るふくろうはおいしいごはん、なんとなく切ない、 まったりした少し不思議な日々を本にするサークルです。
花言葉は、花を贈る人々の思いが積み重なったものなのだろうと、そんなことを考えました。
別離の悲しさの先で、明かされる真実がとても優しく、美しいお話だと思いました。