墓標のない友へ

 花言葉には縁がない。
 手ぶらというのも恰好がつかないだろうと、いつもそのあたりで手に入る見映えの良い花を適当に選んで持っていく。初夏というにはまだ早い季節に花はあまり多くなかったが、大きな花を頂上に、茎が一本力強くすっくと立つ姿が凛々しい。長雨でしっとり濡れた乳白色の大輪の花弁が、花芯を濡らさぬように身をすぼめている様子は、卒業後も変わらぬ艶やかさを誇っていた友人の面影をどことなく偲ばせる。どんな花言葉があったとしても、この花は彼にふさわしく思えた。
 ──などという柄にもない詩的な感傷に、キサラギは自嘲する。自分はすっかり三十過ぎの中年男になっていたが、記憶の中の友人は少しずつ若返っていくような気がした。
 早朝まだ日も昇らぬうちに山のボロ小屋を出て、馬車を乗り継ぎながらこの高地に着いたのが昼頃。そこからしばらく、ゆるやかな下りの道を歩いてきた。このまま目的地の谷間まで歩いて行けないこともなかったが、連日の雨で道が悪く、この先ますますぬかるみがひどくなるだろう。キサラギは大丈夫でも、今日は幼い連れがいる。こうして遠出に連れ歩くのは初めてだった。
 雨漏りのしたたる待合い小屋で、乗合馬車をのんびり待つ。ほどなくバシャバシャ水音を立てながら、小さな幌馬車がやってきた。黙って立ち上がるとすぐに幼子も後をついてくる。御者に目的の地名を告げ、二人分の運賃を言われた金額で支払う。あちらこちらで人を乗せたり降ろしたりしながら、乗合馬車はゆっくりごとごと谷間の細道を下りていった。
 幼子がじっと花を見ていたので持たせてみる。茎が幼子の身の丈の半分以上もある花はたった3本でも小さな手に余り、真剣に花を支えるおぼつかなさは、かえって子の成長を思わせた。友人が置き土産のように残していったこの子も、そろそろ8歳くらいだろうか。キサラギが子を育てるのはこれが初めてで、見た目から年齢を推測することは難しかった。
 御者にここでいいかと言われて降ろされたのは、何もない谷底だった。かつてここには小さな集落があったと聞いたこともあるが、今はこの土地の名前も知らぬ者の方が多いだろう。
 帰りの馬車も普通なら通らない場所なので、明日もう一度通ってもらえるように御者に頼んで先払いしておく。馬車は再び小道を引き返して谷を上っていった。今日中に向こうの山を越えて大きな集落まで行くそうだ。
 キサラギの目的地はもう少し先で、幼子がついてくるのをちらりと確認してから、ゆっくり歩を進めていった。谷底には草が短く茂り、低木が所々にささやかな森を作り出している。5年前、何もかも吹き飛ばされて更地になったのに、緑は傷付いた大地を癒やしていた。「ここだけは何も生えないままだな」
 やがてキサラギが足を止めた場所には、そこだけぽっかりと緑が避けて通ったように、谷底の硬い地面が露出していた。幼子の持っていた花を、そのまま地面に放り出させる。本当に何もない場所だ。せめて目印になるような物でも用意してやれば良かったのかもしれないが、どうしたものかと悩んでいるうちに5年が過ぎていた。5年も見ていると、無造作に置かれただけの花がすっかり目に馴染んでしまって、今さら墓を建てるのも違う気がした。――いや、それは自分への言い訳か。
「今日はここで野宿だ」
 背負ってきた荷物から布と紐を取り出して広げ、幼子に手伝わせて急ごしらえの屋根を仕立てた。木々の間隔のちょうど良い場所を選び、間に紐を巡らせて布を張る。余った布を垂らしたが完全に風を遮るには少し足りない。大して寒くもないので雨露さえ凌げればそれでよい。特に子どもは暑がりだ。下にも防水布を広げ、厚みのある毛布を敷くと多少は居心地が良くなった。
 土の上で獣避けに火をおこし、完全に暗くなる前に周囲を見回っておく。こんな湿気でも簡単に火が点くのだから魔法は便利だ。ついでに食事まで用意できればありがたいのだが、魔法はそこまで万能ではないらしい。冷たい携帯食をかじった後は、子どもには早く寝ろと言いつけて自分は夜通し酒を飲む。ずいぶん勝手な野宿だ。
 素直に寝息を立てる幼子の顔に、友人の面影は見当たらない。友人の血縁でも何でもなく、それでも彼の縁には違いないこの子を、見ているだけで胸の痛む時期もあった。5年経った今はもう、この地にただ花を置きにくるだけで、心穏やかに一晩過ごせるようになっていた。自分は何も変わらず、子ばかりが育っている気がしていたが、実は自分の中でも何かは変わっているのだと、こういうときにしみじみ思う。
 夜半過ぎに雨は上がり、暁の空に一瞬だけ茜色がまぶしく射し込む。幼子の顔に荷物で影を作ってやり、そっと酒の残りを持って立ち上がる。来年からはまたしばらく一人で来るつもりだった。キサラギは酒の残りを花に振る舞いながら、闇に向かって語りかける。
「もう一人な、サイアッドのやつにも毎年声をかけてるんだが、どうしても同行を固辞し続けているんだよ。悪いな」
 サイアッドは共通の友人だ。彼は、親愛なるかつての級友がこの地に散ったことを、まだ本心からは認められずにいるのかもしれない。
 確かに、この地を詣でる理由は特にないのだ。彼らの友人がここに眠っているわけではない。彼は死体を残すこともなく消えてしまった。こうしてキサラギが毎年遠くから交通の不便な谷間へ足を運んでいるのも、やはりつまらない自分の感傷なのだ。
 いや、今日だけはもう一つ理由があった。懐から小さな包みを取り出す。雫型の緑の石が3つ連なる耳飾り。少し古い物だが、金具はぴかぴかに磨いておいた。まぁまぁ良い物に見えるだろう。
「お前の子どもじゃないんだろうが、お前の置き土産だからな。これはあの子に譲るよ」
 花に言葉を掛けながら、やはり形だけでも墓くらいあった方がいいかもしれない、とキサラギは思う。
 徐々に昇る朝日が子どもの目を覚まさせた。キサラギは言うべきことを伝えるため、幼子と向き合う。
「誕生日、おめでとう」
 きょとんとする子どもに、耳飾りを見せた。
「きれいです。あのお花ですね、師匠」
「花?」
 言われてみれば、石をとめた小さな金色の金具には、さらに小さな花の図案が彫られていた。あの花、と言って子どもが示すのは雨ざらしになっている3本の花だ。名前も知らなかった。よく見ると似ている気もするし、どこにでもありそうな意匠にも見える。そうかもな、と曖昧に答えて両耳に順番に着けてやった。慣れない装具にもぞもぞと手でいじっていたが、やがて落ち着いたらしい。褐色の肌に濃紺の髪の中でひときわ明るく光る耳飾りは、元の持ち主が身に着けていた頃とは印象がまるで違って見えた。
「似合うぞ、ラギ」
 言われた子どもは少し照れて、嬉しそうにはにかんだ。

   *

 翌日、キサラギは山荘に帰るとすぐに一人で出かけ、友人宅を訪問した。これもいつもの習慣だ。
「ん?」
 応接間らしい部屋で待たされている間、何となく目に留まった花瓶には、あの花が活けてあった。この季節によく咲いている花なのだろう。ここは特別なことがなくても部屋に生花を飾るような家だから、彫刻の施された大きな調度品もいろいろ置かれていた。意識してよく見ると、花の図案はそこらじゅうに彫られていて、花の種類も様々であることに気付く。こうして見比べると、確かにあの耳飾りの金具の花は、この花と同じという気もする。
 じっと花をにらんでいると、部屋に入ってきたサイアッドが意外そうに声を上げた。
「お前が花に興味を持つとは珍しい。花の中に毒針でも仕込まれていたか?」
 まさか、と笑って首を振るが、せっかくなので問い返す。
「これ、何て花だ?」
 ますます目を見開きながら、サイアッドは「月下雪だ」と答えた。
「冬でもないのに、雪か」
「見た目だよ。雪のように白く、月の下で開くように凛と咲き、つぼみから開いたばかりの頃はほのかに桃色に色づいている。今がちょうど花の時期だな。花言葉は『永遠にあなたを護る』。それで騎士の花とも呼ばれていて、まぁ貴族の若い連中がよく利用していたりもするな」
「……花言葉には縁がなくてな」
「そうだろうな」
 屈託なくサイアッドは笑った。
「昔から護符のたぐいにもよく描かれている花だし、そうだ、覚えていないか? 学校の門柱や講堂にもあっただろう」
 そんなところにいちいち注目したことなんてなかった。そうだったかな、と曖昧に答えながら話題を変える。
「……昨日、谷に行ってきた。墓参り、っていうのも変だがな。やっぱり、墓くらいあった方がいいんじゃないかと思ったよ。お前も行けばいい」
 キサラギの言葉に、サイアッドの表情はぎこちなく固まる。そうだな、とだけ答えがあった。
 我らが友人、耳飾りの元の持ち主は、果たして金具に彫られた意匠の花言葉を知っていたのだろうか。キサラギは、耳飾りを渡された夜のことを、急に思い出した。
 万策尽き、いよいよ翌朝は魔法師まで前線に駆り出されることになった戦況で、彼は面倒くさそうに支度をしていた。そうだ、と耳朶に触れ、
「こんなものを着けていたら落としそうだな。明日、無事に帰るまでお前が預かっておいてくれ」
 ひょいと、本当に何気なく手渡され、深く考えずに預かった。彼は本当にさばさばと、明るく笑って前線に向かったものだ。
 あの耳飾りを彼に贈ったのは誰だったのか。きっと母親だろう。身元保証人の男が贈るとしたら新品に違いない。ほかに身寄りなどない彼の、母親にそれを贈ったのは誰だろうか。古くから使われてきた意匠であれば、どこか知らない遠い過去から、人々の想いをつないできたのかもしれない。
 そのつながりが、あの子の未来もどうか護ってくれますように。キサラギはそっと祈りを捧げた。


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サークル名:えすたし庵(URL
執筆者名:呉葉

一言アピール
「花」と聞いて浮かんだイメージは「用途」でした。誰が、何のためにその花を用意するのか。そこに物語があると思っています。
前回までのアンソロ参加作品とつながりはありますが、時間がだいぶん飛んでおりますのでお話のつながりはほとんどありません。これ単体で、気にせずさらっとお読みいただければ幸いです。

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