紅茶店アラウネの秘密

 紅茶店「アラウネ」は表参道ヒルズの裏小道を通った先にひっそりと建っていた。近隣大学の生徒たちが年中行き交い、小道の入り口を遮るせいで、滅多に客は訪れないらしい。知る人ぞ知る名店、という訳では無いが、今日の私はこのお店に用があった。

「いらっしゃいませ」
 カランコロンと響くドアベルよりも随分低い声で、老年の女店主が出迎えた。まるで古い屋敷を改築したような造りをしているフロアには、たくさんの茶葉の香りが漂っている。奥には色とりどりの花が咲いた庭が見え、その傍に設けられていたテラス席に腰を下ろした。
「あの、これから彼氏と別れようと思っているんです。だから、失恋に効く茶葉を、買いたいんですけど・・・・・・」
 私が小さい声でぼそぼそと伝えると、店主は「おやまぁ」と年寄りくさい驚き方をした。
「お嬢さんが彼氏をふるの?」
「はい」
「なのに、どうしてお嬢さんが失恋を怖がるのかね?」
 当然の疑問かもしれない。けれどあまり気分が良いものではなかった。どうしようか迷いつつ、私は「浮気されたんです」と続けた。
「浮気されたのが、悲しくて、もう一緒にいるのが辛くて、・・・・・・だから別れ話をしようと思って・・・・・・」
 店主は「ふむ」と一つ頷いてから、「でも、まだ好きなんだね?」と私の言葉を代弁した。顔を上げると、店主のしわくちゃで優しい笑顔があった。
「そうかい、そうかい。それもまた女が通る道さ。女は男が絡むと矛盾する生き物だからね。どれ、茶葉を選ぼうか。うちは効能によってブレンドするんだよ、アンタだけの茶葉を売ってあげるからね」
 折曲がった腰をトントンと撫でながら、店主は商品棚まで歩み寄った。高いところの茶葉を取る手伝いが必要に思えて、私も腰を上げて付いていった。
「別れを切り出す勇気が欲しいなら、この棚から一つ選ぼう。開口一番に怒りたいなら『カズキ』がいいね。終始、冷静に話を終わらせたいなら『シゲル』、嫌みを垂れたいなら『マモル』かな」
 店主が指さす瓶には色とりどりの茶葉が入っている。見覚えのある花が入っているようにも見えたが、ラベルはすべて男の人の名前になっていた。
「心の強さを持ちたいならね、こっちの『シュウスケ』も入れておくと良いンだ。慰めるのが上手い男だったからね。夜中に安らかに眠れるように『ジロウ』も入れておこうね」
 店主は次々と瓶の蓋を開けたかと思えば、木のスプーンでクラフトの袋の中に茶葉を入れていった。ざっと100gを量った後、これでどうだろう?と私の目の前に袋を掲げてみせる。中を覗くと、市販の茶葉よりも花の香りが強かった。紫の花びらが鮮やかで、抽出したら色味が良さそうだ。
「良い匂いですね。これは、種類は何なんですか? アールグレイっぽい匂いがしますけど」
「アールグレイの匂いを出してるのは『アキラ』だよ、しゃべり出すと注目を集める男だから、仕方が無いのさ」
 回答になっているような、なっていないような・・・・・・。なんとも不思議な茶葉の袋を受け取って、腑に落ちない気持ちになった。
「あの、どうしてこの茶葉には男の人の名前が付いているんですか?」
 思い切って聞いてみた。通常の茶葉には植物の名前が付いているんじゃないのか。もうパックになっていれば『ミントティー』とか『キャラメルバニラ』とか総称が名付けられるのだろうに、あの瓶に入っている茶葉は『一種類』で、効能を選んで複数をブレンドして私に売った。つまり、なんの植物の茶葉なのかが、わからない。
「男に付けられた傷は、男じゃないと治せないからさ。とくにアンタみたいに後に引きずりそうな女はね、とっとと他の男を見つけて慰めて貰った方が良い」
 店主は相変わらず、朗らかに笑いながら毒を吐く。図星なので言い返す言葉が見つからないが、客に向かってずけずけと物を言いすぎなんじゃないか。
「・・・・・・解りました!もういいです、この茶葉、買います。いくらですか?」
「はいはい、今、計算しますね」
 茶葉を店主に押しつけ、私はテラス席に戻った。鞄を開けるとパスケースに入れていた彼との写真が見えた。昨年のクリスマスに一緒に撮った写真には、幸せそうな私と彼が写っている。こうやって優しく笑いながら、裏では他の女を囲っていた男。なんで、こんな男をふるだけなのに、ここまで傷つかなきゃいけないんだろう。
「千円だよ」
 カウンターで古びたレジを弾く音がする。私は鞄から財布を取り出し、千円札を抜き出した後、パスケースを下敷きにするように財布を奥に押し込んだ。
 すると、突然ふわりと風が舞った。庭先から色とりどりな花の香りが舞い上がる。改めて庭に視線をやると、所狭しと植えられた花の根元に、ラベルと同じ名前の標札が差してあった。ここで栽培している茶葉を売っているみたいだ。一際強い香りが混じっていて、よくよく嗅ぎ分けていくと、柵の役割をするように植えられたキンモクセイだった。そこにも標札が差してあり、『マサキ』と書いてあった。
 キンモクセイだって、誰が見ても分かるのに。どうしてわざわざ男の名前を付けるんだろう。そういうコンセプトの店なんだろうか。
「あの、キンモクセイはどういう時に飲む茶葉なんですか?」
「『マサキ』の事だね。そいつは嫌な男でね、男にいっぱい食わせてやりたいような、性悪な女が買っていくよ。アンタみたいな弱虫には関係ない」
 流石にむっとして店主を睨み付けると、しわくちゃな表情が驚いていた。
「・・・・・・じゃぁ、マサキも買います.ブレンドしてください」
「はぇ? なんでまた」
「私、他の男に慰めて貰う為に、彼氏と別れるんじゃないんです。男をとりかえるなんて発想自体が浮気男と変わらないじゃないですか。そもそも1人で立ち直るお手伝いが欲しくてこのお店に来たんです!」
「店に入ってきた時にはしょぼくれてたじゃないのさ」
「なんか、イライラしてきたんで」
 ここまで言われて黙っていられるわけが無い。頬を膨らませて噛みつくと、店主は優しそうな笑みを浮かべて、「そうかい」と肩をすくめた。
「じゃぁ、マサキも入れよう」
 店主はクラフト袋にマサキの茶葉を入れた。橙の小花がさわさわと落ちていく。
「せっかくだから、良い仕返しの方法を一つ教えてあげようね」
「仕返し?」
「別れる前に、花の名前を一つ教えてやるのさ。その男が覚えていられるような小話を付けてね。そしてその花の種を男に飲ませる。何でも良いのさ、飯にでも混ぜて飲ませてやればいい。そうすれば、その男が死んだときに墓標の傍に花が咲く。
 アンタが飲ませた種が男の魂を吸い取って咲くのさ。そうすれば、花が枯れない限り、男はアンタのモンだ」
「・・・・・・なにそれ、サスペンスみたい。世にも奇妙な物語みたいな? おまじない?」
「マジナイさ。マジナイってのは”呪い”って書くんだ。ともあれ、他の女に取られようが、最後にはアンタのところに帰ってくるだろ? 悔しくはなくなるさ」
 にわかには信じられない話だけれど、面白いと思った。
 私から別れ話をすれば、逆上してフラれるかもしれない。きっとすごく傷つけられると思うし、彼の浮気を知った時、バカにされたみたいで悔しかった。
「悔しいと思うのは、惚れた弱みってやつさ。その時だけは、性格が悪い女になりなさい」
「・・・・・・はい。ありがとうございます!」
 ぎゅっと抱きしめたクラフト袋の中から、キンモクセイの香りが舞う。朗らかに笑う店主に見送られながら、私は店を後にした。

 少し後に聞いた話だけれど、
 紅茶店『アラウネ』のあった場所は、もともと大きな屋敷があって、そこには美しい女主人が1人で住んでいたらしい。戦後に遡る話で、女主人はその時代にありふれた未亡人だった。紅茶と男を愛したその女主人は、夜な夜な違う男を屋敷に招き入れたらしいが、やってきた男たちは、1人、また1人と消息を絶つ。男が行方不明になった夜には、土を掘る音が響き、いつしか屋敷の庭にはたくさんの花が咲いていた。
 都市伝説みたいな話で、にわかに信じられなかった。けれどあの店をもう一度だけ訪ねた時、店があった場所が管理者不明の墓地になっていて、さすがに信じざるを得なかった。

 アラウネ――、それが死刑台に咲く花の名前だと知ったのは、さらに後のことだ。
 つまり、あの茶葉に男の名前が付けられている意味は、あのマジナイの通りなのだろう。

 私はあの店主にもう一度会いたいと思う。そして伝えたいことがある。

 貴方って、やっぱり性格が悪い女だったのね。紅茶は美味しくなかったし、大げんかをして彼氏にはフラれたし、散々だったの。
 だけど最後のおまじないだけは悪くなかったわ。彼が死んで花が咲いたら、貴方に売ってあげるからね。


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サークル名:小金目創庫(URL
執筆者名:領家るる

一言アピール
小金目創庫はSF・ライトノベル・現代ファンタジーを主食に短編小説を書いています。短編連作もあります。斜め上の角度から話を作るのが好きです。こそこそ書いたり梟を愛でたりChalkArtとコラボしたりしています。

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