本気と本息

 舞台課の内野うちやは頬を引き攣らせた。
 稽古場に点在する仮設道具、小道具が並ぶ長机、衣裳が掛かったステンダー。中央では役者が軽く踊り、正面には演出家に音響・照明プランナー、振付師に殺陣師が座る長机、その背後にオーケストラが並ぶ。奥にはスピーカーとワイヤレスアンテナが置かれ、音響は役者にワイヤレスマイクを付け、オペレーターは手前のミキサー卓で最終調整を行っている。
 舞台初日十日前の正午、オーケストラ付きの通し稽古にスタッフは追われていた。指揮者に付きっきりの音楽担当、役者に早替えの説明をしている舞台課の花音はなねと衣裳部。舞台監督は大道具の確認に付き不在。今、通しを回すのは内野と先輩の道具担当の末吉すえよし、フリーランスの特殊効果の西田にしだと小道具の武田たけだの四人だけだ。
「食べられる花」
 寝不足で回らない頭に、突き付けられた役者の無理難題。気を失えたらどんなに、とすがる思いで小道具の武田に目を向けた。虚ろな瞳でうっすら笑っていた。
「時間を、下さい」
 頭を下げ、仮設道具の裏に走る。オーケストラのチューニングが始まった。

 通しを終えた数時間後、稽古場には内野の他、図面を直す者、火薬の確認をする者、スコア(※総譜)を並べる者、香盤(※場ごとの出番表)を直す者、壊れた小道具を直す者と、ゴリゴリと異様な音を鳴らしている者の七人しかいない。内野は他のスタッフを尻目に、奥で背を向け床で作業している武田と小道具の営業の前に腰を下ろした。
「まだあるのか?」
 曲がった長剣を直している小道具の営業が嫌そうな声を上げた。武田はゴリゴリと音を鳴らし続けている。
「いえ、その」
 口ごもると、営業は真っ直ぐにした長剣に保護テープを貼りながら言った。
「俺はドラえもんじゃない」
「分かってます」
「分かってない。乱暴に扱えば壊れるんだよ、道具は。役者にちゃんと言っとけ、本気と本息は別もんだと」
 稽古も最終段階に入ると、役者は本番用の小道具を用いて本息で芝居をする。殴る蹴る殺陣も、段取り通り息を合わせて本息で行う。だが、役ではない、人の、リアルの本気の者もいる。本気で殴れば怪我、本気で模造の剣を叩きつければ曲がる。その都度対応するのはスタッフだ。
「すいません」
 舞台の全権を握っている演出助手は、全ての責任を負い、全セクションの非を被らなければならない。内野は謝りを入れてから武田の顔を覗きこんだ。先日、演出家から「牛を動かしたい」と突然言われて、発泡スチロールを削って牛を作り直している武田の目は焦点があっていない。
「武田さん」
「なぁにぃ?」
「家に帰ったのはいつですか」
 武田が手を止めた。
「いえ、に、かえる?」
 日本語が理解できない、と言いたげに首を傾げた後、ふるりと頭を軽く振った。
「いつだったかなー」
 ヘラッと笑う姿に胸が痛んだが、言わないわけにはいかない。内野は息を大きく吐いてから、ゆっくりと言い聞かせるように言った。
「気を確かに持って下さいね」
 武田がまた、キョトンと首を傾げた。胸がキリキリする。
「花占いの小道具なんですけど」
「はなうらない? あー、あの、好き、嫌いって言いながら出てくるやつ? 花びらが一枚になったやつなら、もう用意してあるよー」
「それがですね」
「殺す気か?」
 長年、小道具の営業をしているだけある。良からぬ無理を言い出す空気を察知した営業が眉間に皺を寄せた。
「仕方ないでしょう、やりたいって」
「無理だ、断れ!」
「じゃあそう言って下さいよ! 俺らに止める権限は」
「営業が言えるか!」
「ねぇ、なんのはなしぃ?」
 侃々諤々言い合っている間に割り込んだ武田の目は、無邪気な子供のようで哀れだ。
「舞台上で花びら毟りたいんだろ?」
 深々とため息を吐く営業に、「それだけならまだ」と呟くと、武田がビクリと体を震わせた。本能なのだろう、武田は両手でゆっくりと耳をふさいだ。
「内野!」
「嫌いで終わる最後の一枚を食べてなかったことにしたいって」
 無言が稽古場を貫く。スタッフ全員が手を止め、顔を強張らせた。
「ま」
 武田の声にゴクリと息を呑む。
「白い子牛がぁ、僕の声にぃ」
 武田はゆっくりとカッターを握りなおして、ゴリゴリと発泡スチロールを削り始めた。
 壊れた歌声が響く中、先輩の末吉が内野の肩を叩いて小さく首を振った。

 稽古場を後にした内野は、ヒロミの家で愚痴をこぼしていた。
「バカじゃねえの」
 ヒロミは、飲み干したビールの缶を握りつぶしてテーブルに転がした。劇場近くに住んでいるヒロミは、同期入社で大道具に所属している。
「金も時間もねえのに」
「だけど」
 潰れた缶をゴミ袋に入れながら言い返すと、ヒロミは無言で鞄を手繰り寄せて図面を取り出した。大判の屋台図面。屋台等を作る制作上がりのヒロミは、転換図面の他に屋台図面を配られることがある。
「次の?」
「一幕五場」
 ヒロミは図面を指で弾いた。
「は?」
「追加の屋台。演出家様のご所望だ」
「聞いてない!」
 道具は確かにあるが、五場は小道具と書き割り(※基本的に吊り物である背景が描かれている布)だけで、今日の稽古も書き割りで通した。
「じゃあ明日だな。今日、末さんに平台運ばされたから」
 稽古場後方に積まれた平台の山。屋台等の高低差が生じる仮設道具は平台や箱馬が必要で、舞台監督が不在なら道具担当の末吉が準備をしなければならない。というか、舞台監督が今日いない原因は、おそらくこれだ。
「マジで?」
「マジだ。奈落で叩いている俺が言ってんだ」もう制作じゃねぇのに、とヒロミはスルメを齧った。
 動く牛、食べられる花、道具の変更。
「早く公演終われぇ!」
「まだ開いてもねぇよ!」
 内野は小さく呻いた。桜波劇場の舞台は全て商業演劇だ。知り合いが観にくる学生演劇とは違う。観客は夢を観にくる。浮世から離れた夢を。その上、高額チケットは土日祝日は全日完売、平日も八割強売り切れ。未完成のまま幕は開けられない。
「で、その変な小道具どうすんだ?」
「武田さんが」
「武田公房入ってんの?」
 大舞台を手掛ける会社勤めだった武田は、小道具の扱いに長けていた。そのため、演出助手として独立した後は「武田公房」という異名で業界内で有名だ。
「三徹してる」
「幕開く前に廃業させてどッ」
 ヒロミはかじりかけのスルメを吐き出してむせた。武田公房の主人は、千秋楽後に数ヶ月人間を廃業することでも有名だった。
 むせる中、インターホンが鳴った。内野はヒロミの背中を軽く叩き、玄関を開けると、「何で!」と叫ばれた。同期入社の音響のケイタだった。
「何でって」
「俺なんか、帰り間際に花音さんに捕まって、衣裳部屋と床山(※鬘の製作及び乗せる人)部屋に強制連行されて」ワイヤレス香盤の作り直しに、とケイタが口を尖らせる。
「一幕五場?」
 ひょいと顔を覗かせたヒロミがニヤニヤしながら言った。
「そう! って」
「道具の追加」
 床に放った図面をケイタに見えるように持ち上げるヒロミ。ケイタは憐れむように内野に向かって静かに手を合わせた。
「どうか安らかに」
「殺すな!」
 合掌する二人の頭を叩く。ケイタが声を上げて笑った。
 ケイタはマイペースで、先輩に怒られ、舞台監督に揶揄われ、舞台裏を全力疾走している。でも、愚痴を零しながらも今のように笑い、好きで楽しいと言う。苦労も理不尽な要求も多いこの仕事は、好きだけでは務まらない。だが好きでなければ、楽しくなければ始まらない。内野もヒロミも――死にかけている武田も。
「つーか、音響も配線に影響が……ってお前」
「グワ」
「話を聞けよ!」
 二枚のポテトチップスを咥えアヒルの声真似をするケイタにヒロミが突っ込む。ケイタはニッと笑って音をたてながら咀嚼し、ペロリと指を舐めた。
「配線は先輩のしご」ケイタの頬を掴む。「もう一回!」
 内野は問答無用でケイタの口にチップスを放り込んだ。涙目になったケイタが助けを求めるようにヒロミに視線を向ける。が、ヒロミが声高に叫んだ。
「それだ!」

 翌朝の稽古場、武田は小道具の絨毯を敷いた平台の上で丸くなって寝ていた。隣には遠目にみても牛と分かる発泡スチロール。近くによって頭を撫でる。赤べこのように首が上下に揺れた。
「武田さん」
 苦悶の表情を浮かべて寝ている武田をゆする。ゆっくりと瞼が開いた。
「じか、ん……?」
「まだですけど」
 時刻は十時。今日の稽古開始は十三時予定。武田は「後一時間……」と目を閉じた。内野は、その手に持ってきたものを握らせた。
「見て下さい」
 根負けした武田が再び目を開け、上体を起こした。
「なんだよ、もう……」
 薄目で握ったものを見た瞬間、武田は目を大きくして上に掲げた。
 先端にマシュマロを巻き付けた真っ直ぐのバインド線(※太い針金)。マシュマロの一方に楕円形のポテトチップスが一枚刺さっている。昨夜、ヒロミと作った仕掛けだ。
「うん」
 頷いた武田は、転がっている緑色のビニールテープを手にすると、バインド線に綺麗に巻き付けていき、自前の道具箱から大判の付箋紙を取り出した。
「うん」
 満足げな武田に、内野はニッと笑いかけた。花びらに見立てた数枚の楕円形の付箋紙、茎に見立てた緑色のバインド線。どう見てもチープな作り物だが、確かに花だった。最後の一枚が食べられる、要望通りの花だった。
 そもそも舞台は作り物の世界だ。重要なのは、最後列の客が納得出来るどうかの一点に尽きる。役者の演技で夢に酔えるかどうかに尽きる。
 舞台スタッフは所詮裏側でしかない。役者のように夢を見せられない分、役者が本息で芝居を出来る環境を提供する。スタッフは夢を、世界を紡ぐために本気でなければならない。
 時間がなくとも、予算がなくとも、寝不足であっても、理不尽であっても。
 稽古に、舞台に、本気で挑む。それが舞台人の意地であり、矜持である。


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サークル名:シュガーリィ珈琲(URL
執筆者名:ヒビキケイ

一言アピール
自分らしく生きていたい人の背中を押したい応援サークル。恋愛、現代ファンタジーを中心に、戯曲も頒布中。アンソロはお仕事小説第3弾、稽古場編です。

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本気と本息” に対して1件のコメントがあります。

  1. 雲鳴遊乃実 より:

    迫り来る開演の時、降りかかる無理難題。舞台裏の切羽詰まった様子が詳細に伝わってきました。オチも良い意味で思わず笑ってしまう。楽しませていただきました。

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