拳銃と花束

 パンを抱え、ため息をついていた。
 海は地獄だと聞いていた。まさかこんなに、船の仕事が大変だったなんて。
 貧しい家のために、次男のぼくが海に出るしかない、船で働くしかないと覚悟していた。荷物運びなど、初めは積極的に働けていたのに。気づけば、遠洋のゆれにやられ、すっかり寝こんでしまった。それから数日、生きた心地もしない。ゆれない港に腰を下ろせた今でさえ、まだ違和感が残るくらい。
 ろくに働けないぼくは、追い出されるだろうと思っていた、それなのに。船が港について早々、ムガイ船長が言うには。
「とりあえず、チビ。お前は先に休め。元気になってから戻ってこい。いいな?」
 現に、大きな乾パンまで支給されてしまった。夢のようだけど、夢じゃない。乾パンは確かに腕の中にある。
 なかなか、口をつけられずにいた。
 何もできていないのに、もらってばかりで申し訳ない。船から離れた場所へ行ったのも、後ろめたさからだ。地べたに座りこみ、小さく縮こまる。船で呼ばれるあだ名、「チビ」というのは、自分にぴったりだと思う。
 隣から大きなため息がこぼれた。
 驚いて立ち上がる。いつのまにか隣に女の子がいた。それは自分とはまるで対照的な存在だ。白くてなめらかな肌。さらりとした黄金の髪。純白のスカートをふわりと着こなす。年はぼくと同じ十一歳くらいか、そう離れていないはずなのに、その背は見あげるほど高い。
 初めて見た異国の子。全てが美しく、まぶしかった。
 目があう。青く澄んだ瞳。何も言わない。それでもなぜだか、ぼくは彼女に共感していた。一人疲れきってしまった者として心が通じるところがあった。
 彼女の口が動いたが、言葉がわからない。困った表情をしていると、彼女も察してくれたよう。今度は、しきりにパンを指さしてくる。
「パンがほしいの?」
 彼女は頷く。よく見れば、彼女の服は所々汚れていて、かすり傷だってある。なにか事情があって、家出したのかな? お腹をすかしているらしい。
 半分くらいなら、と思ってちぎったけれど、無意味だった。次の瞬間には、二つとも取り上げられてしまったから。両手にパンを持ち、満面の笑みで言うには、たぶん感謝の言葉だろう。
「あっあの、ちょっと待って……」
 さすがに全てとられると困る。でも、そんな心境を伝えられるわけもなく。るんるんスキップで去る彼女を見送ることしかできなかった。
 とぼとぼと持ち場に戻る。鉄製の船舶が並ぶなか、古めかしい木造の帆船が停泊している。それがぼくの働く場所、サンヤー号だ。
 クレーンもなければコンテナも積みこめない。木で組み立てられた箱を、人の手で運びこむしかない。持ちあげたくても、力が出ない。さらにはお腹が鳴り出す始末。困りはてていたところで、声がかかった。
「チビさん、昼ご飯は食べられなかったのですか?」
 ああ、テコさんだ。船では厨房を担当しているが、常に規律正しい少女だった(怒らせると怖そうでもある)。
「えっと……」
「どうしたのですか」
 ばつが悪くて、縮こまる。彼女の視線は冷たくも、哀れみがこもっていた。
「大食いのカモメに食われたのですか?」
 あながち間違いではないと思い、小さく頷く。
「そういうことかと思いました」
 エプロンの下から差し出されたのは、小ぶりなパンだ。それもバターを含んだ、柔らかいパンじゃないか。
「今すぐ食べるのです、誰も見ていないうちに」
 夢中になって食べたのは、いつぶりだろう。彼女の心配りに、感謝してもしきれなかった。

 荷積みを終え、サンヤー号は進み出す。本当ならもう一泊する予定だったが、早く切り上げられた。小耳にはさんだことには、国でテロが起きたらしい。かねてからこの国では、妃が暗殺される事件などが起き、政情が不安定化していたのだとか。
 欄干に肘をついて、ムガイ船長がつぶやく。
「昔だったら、空国といえばあれだ。商人なら誰しもが憧れる、世界の中心地だったんだ。それがこうも落ちぶれてしまうとは……」
 舵取りをするのは、副船長のダミーさんだ。
「それでは、キャプテン。もう空国へは行かれないのですか?」
「これっきり、もう行かないだろう」
 なんだかぼくまで寂しい気持ちになってしまった。せっかくの、初めての異国だったのに。そういえば自分は何もできない。女の子にパンを渡したくらいか。
 廊下を進めばジェイにすれ違う。彼もまたすごい才能の持ち主だ。なんたって一年目で舵取りまでこなせるのだから。ただ欠点もあって、口が悪いことと、さぼり癖があること。
「なあ、チビ。ざっとチェックしておいてくれ」
「積み荷の状態ですか」
「そうそう、任せたよ」
 そのまま寝室へ行ってしまうところ、ジェイらしい。昼寝でもするつもりなのだろう。
 頼まれたからには仕方ない、ランプを手に、船倉に乗りこんだ。たまにはロープを引っぱって、頑丈にくくりつけてあることを確かめた。
 ことり、音がする。ネズミかな?
 木箱に近寄って、耳を疑う。これは人の話し声? それも自分の知らない言語だ。複数聞こえる。どうしてこんなところに、人が。
 しばらく思考が停止していた。
 向こうは箱の中にいる、ランプの灯は小さい。まだ自分の存在は、気づかれていないはず。ここに一人でいては危ない。後ずさり、船倉を飛びだした。すぐそこに厨房があった。
「どうしたんです」
 テコの問いかけに、立ち止まる。答えようとするも、恐怖でひどくかすれた声しか出ない。
「倉庫に……人が」
「侵入者ですか」
 うなずくのがやっとだった。テコは眉間にしわを寄せつつも、冷静に答えてくれた。
「倉庫は私がここで見張っておきます。あなたは、ジェイとキャプテンを呼びに行ってください。いいですか?」
 テコのおかげで、何をするべきかがわかった。大慌てで船を走り、皆に知らせて回る。
 ムガイ船長は血相を変え、すぐに降りてきてくれた。レムレスに縄を持ってくるよう指示を出すことも忘れなかった。
ハンモックにゆられていたジェイも、事情を話せば飛び起きてくれた。ムガイ船長の手には銃が、ジェイの手には短剣が握られてある。念のためにとぼくにもナイフが手渡されたけれど、気が気じゃない。あの時耳にした人の声が気のせいであれば、どんなによかっただろう。
 扉を開ける。灯が、暗い倉庫にさしこんだ。探すまでもなかった。あってはならない人影がすぐそこにあったのだから。
 先頭の男は、拳銃をこちらに向けて構えていた。
 ムガイ船長も男に銃口を向ける。ジェイは短剣を掲げ、つっこもうとした。
 それはすべて、一瞬の出来事だった。心臓がひとつ、脈打つ間の出来事だった。ぼくが覚えているのは、どうしても手に力が入らなかったこと。ナイフを床に落としてしまって、いけない、と思ったところまでだ。
 目の前がまっしろになった。
 飛びこんできたそれは、白い花束。
 耳をつんざく音は、銃声ではない、号泣だった。
 徐々に、自分自身に起きたことの理解を試みる。きつく抱きしめられていること。彼女はひどく泣いていること。港で出会ったあの子に違いなかった。
 気づけば彼女の腰に手を回して、さすっていた。それでも、おいおい泣いて止みそうにないのだけれど。背の高い彼女のおかげで、ぼくの視野は白にうもれたままだった。
「キャプテン、どうか彼女を助けてください」
 言葉が先に口をついて出ていた。声に出してから、もう引き返せないと思う。彼女にパンをあげたのも、ここまで連れてきてしまったのも、全て自分のせいだ。今度こそ解雇される。それでも、せめて彼女を救いたいと願う自分がいた。
 返事はない。顔をそらして外を見れば、状況が変わっていた。
 拳銃が床に落ちていて、男と女が手をあげている。ジェイは短剣を構えてはいたけれど、襲いかかることはしない。落ちた拳銃を取り上げるだけ。テコとレムレスさんが縄を手に入り、抵抗をみせない男女を捕らえた。最後にムガイ船長が動いた。恐い表情で、男と話をしている。ぼくの願いは届いただろうか。
「いつまで女を抱いてんだ」
 あきれた調子で話しかけてきたのはジェイだ。それはこっちが彼女に聞きたい台詞だ、と思いつつ。ずっと泣くばかりで動いてくれないのだから仕方ない。
「彼女、きっと悪くないんです。助けてもらえそうですか?」
「さあな、勝手に入ってこられちゃ、こっちだって困る」
「追い出されるのですか」
「それもないだろう。どうせこいつら、不法出国してきたんだろ。かといって、わざわざ空国に引き渡しに戻れば、こっちまで危なくなる。あの船長のことだ、適当に見なかったことにしてごまかすんじゃないか」
 それを聞いて、少し安心した。大丈夫だよと呼びかける。やっと顔をあげてくれた彼女はひどい涙顔だったけれど。優しく笑いかければ、泣き止んでくれた。しゃっくりをあげながらも、頭を深々とさげて一礼する。感謝しているのだと伝わってきた。
 後から、ダミー副船長に事情を聞くことができた。彼女たちは国で命を狙われ、逃れてきた一家なのだという。あの子の父親が持っていた拳銃と腕時計は、サンヤー号のものになった。その見返りとして縄を外され、今は一家のために小部屋を開放してある。部屋には見張りをたてているが、あれからトラブルは起きていないということだった。
 初めこそ一触即発の危機だった。血が流れてしまうのではと末恐ろしかった。それでも彼女が、ぼくを目がけて飛びこんできてくれたおかげで、互いに敵意がないことが示された。あれが無かったら、もし一度でも銃が火を噴いていたら、こうは収まらなかっただろう。
 サンヤー号に日常が戻ってきても、心は晴れない。自分のしたことの重大さに、反省していた。恐る恐るムガイ船長に話しかけてみる。全ての経緯を打ち明けた。
「ごめんなさい」
「そうだな。お前は優しすぎるところがあるからな」
 船長の口調は穏やかだった。
「その優しさで身を滅ぼすこともある、それだけが気がかりだ……だが、お前は何かとついているからな。今の優しい性格のままでいい。もう少し、世間を知ってもらう必要があるだけだ」
 今のままで良い、という言葉に心が救われた。
「まあ今回は、三人のお客さんを連れこんだ、それだけのこと。ほら見ろ、この立派な腕時計。おつりが出るくらいだぞ。これもチビ、お前の手柄だ。でかしたじゃないか」
 怒られるどころか、ほめられるなんて。縮こまっていたら、船長は笑って頭をさすってくれた。
 
 土から身体ができたぼくらにとって、海はひとたび沈めば死んでしまう場所、地獄なのかもしれない。けれど、その地獄を渡りゆくサンヤー号は、こんなにも優しさと助け合いの精神であふれている。もっとここにいたい、働きたいという思いが芽生えていた。


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サークル名:ひとひら、さらり(URL
執筆者名:新島みのる

一言アピール
読んでくださりありがとうございます。Cis2を知る方には女の子が誰か心当たりがあるでしょう。
本作はもちろん、過去の公式アンソロジーで投稿したもの、砂の国の少女や、海の男子達のお話は、全てつながっています。書ききれなかった全てがわかるオムニバスを新作で出す予定です。『サンヤー号によせて』こうご期待!

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