試験
コトリ、と机上に置かれた木工細工に、銀髪の青年
着彩はされていないが、
「サラ=ヴァジリキ、これは……?」
「
サラ=ヴァジリキと呼ばれた黒髪の
「試験材料?」
目を上げた青年魔道士は、その色に戸惑った。
古代魔道王国人の末裔である彼女からは、今迄、様々な”失われた呪文”を授けられてきた。けれども、その際に彼女が瞳に浮かべていた穏やかな微笑みの色と、今自分が見ている微笑みの色は、何かが違う。
何が違うのか考えようとした時、彼女が静かに口を開いた。
「……あなたに付与魔術を操る素質があるかどうか、それを確かめる為の」
聞くや、青年魔道士セルリ・ファートラムは、疑念も吹き飛ぶ歓喜に心身を掴まれた。
付与魔術!
物に魔力を付与する技で現代に伝わっているのは、一時的な強化魔力を纏わせる簡易な呪文のみだ。永続的な魔力を持たせる”魔力付与”等の技は、古代魔道王国の滅亡と共に失われている。
共に暮らすようになって半年以上――遂に彼女は、往時の”蛮族”の子孫でしかない自分セルリに、失われた”魔力付与”の技を授ける決心をしてくれたのか。
……興奮の余りに灰色の瞳を
(この先へ進めば、もう、引き返せない)
出会った頃から、彼の
古代魔道王国人にも創り得なかった、究極の魔剣を創ること――
『
数日前、話の流れからそんな質問を投げ掛けられた時、彼女は、彼の中に潜む
もし、青年魔道士セルリの念頭にある”超えたい魔剣”が”ベン・トーンの流星剣”であるならば、間違いなく彼は、コル同様、優れた何者かの血で剣を鍛えることでその血の力を取り込もうと企図している。
(セルリは、此処ぞという時には、最善の条件だけを[#「だけを」に傍点]求める。次善の条件しか揃わないなら諦める、と言い切るほどに)
彼にとり、魔力で古代人に劣る”蛮族”出身にも拘らず当代一流の魔法戦士と評されたベン・トーンを超える「最善の」血の持ち主とは――古代王国末期に次代の”
(……
二者を比較するなら後者の可能性が高い、と彼女は判断していた。何故なら、今のセルリにとって、彼女サラ=ヴァジリキは、何よりもまず”生きた古代の呪文書”である。念願の”魔力付与”を首尾良く習うことが出来たとしても、まだまだ彼女から学び取りたい知識が多々ある内に、命を失うことが想定される”血の提供者”にはしてしまいたくない筈だ。
(だから恐らく、わたしの血を引く者……わたしの産む子の血を使おうと、彼は考えている)
しかし、その為には当然、彼女に宛がう異性の相手が必要である。……そしてセルリは、自分がその相手になろうという意思を持っていない。自らの子を”血の提供者”にしたくないからではなく[#「ではなく」に傍点]、自分が”最善の相手”ではないから……
(この人は、もしも自分の血を引く者が”最善の素材”になり
だが彼女は、それでもいい、と思うに至っていた。
この先、彼が何者かを彼女に宛がって子を孕ませようとするなら、それは彼の、「史上最高の魔剣をこの手で創りたい」という抑え切れぬ欲望から来る行為だ。
であれば、彼の欲望を身に
(……この人の抱き続けてきた切なる望みは、わたしの存在なしでは叶わない)
ならば、叶えてやれば良い。
サラ一族の掟に背いてでも――己の行き着く果てがわかっていても。
(この試験は、わたしからあなたへの誘惑。……
内心の呟きはおくびにも出さず、サラ=ヴァジリキは、木工細工の花をセルリの前へと滑らせた。
「……まずは考えて、それから、話して。あなたなら、この花に、どんな魔力を付与してみたいかを」
「それが試験なのですか」
「ええ」
とだけ、サラ=ヴァジリキは答えた。余計な情報は、却って、相手の自由な発想の妨げとなる。
セルリ・ファートラムは、流石に考え込んだ。
答
(……いや、悩み迷う必要などない)
セルリは目を閉じた。
(魔道の世界では、高等魔術になればなるほど、その系統の素質が必要とされる。素質がないなら、諦めるしか道はない)
叶う見込みが皆無になった夢にしがみつくより、他の”失われた呪文”の修得に邁進する方が百倍有益だし、もしかするとその方が、世間一般の”幸せ”には近くなるかもしれない。夢が
けれど、自分が本当に欲しいのは、そんな有り触れた”幸せ”ではない……。
セルリは改めて目を開くと、木工細工の花を見つめた。最初に見た時、着衣の胸元に着ける飾りに出来そうだと感じた、その第一印象は尊重したい。
「……胸元に着ける飾りにして、香りを付けたいですね」
「どんな?」
「勿論花の香りですが、顔に近い位置に飾っても気にならない程度の……長時間身に着けていても疲れない香りが望ましいと感じます。見た目を変えてしまう魔力は、元の美しさを損ないそうなので避けたい」
「……他に、付与してみたい魔力はある?」
「不特定多数向けの一般的な
「ただ?」
「特定の相手に贈る魔法工芸品にするなら、話は別です。贈る目的に応じて、付与したい魔力は変わってきます。相手を喜ばせたいからなのか、害したいからなのか……」
セルリは、木工細工の花に目を据えたまま、僅かに首を傾けた。
「……ああそうだ、
彼の言葉を聞き終えると、サラ=ヴァジリキは、そっと笑みを深めた。
「今あなたが話した魔力を、
セルリが、何処かビクリとしたように目を上げる。
「……明日から?」
「ええ。今の世に残る簡易な付与の技とは違って、儀式魔法だから、少し準備が必要なの。明日までに調えるわ」
「それは……試験には合格……と?」
恐る恐る、とも見える様子で発された問に、サラ=ヴァジリキは頷いた。
「あなたはまず、この花の素材を活かす魔力を付与しようと考えた」
付与魔術に於いて主役となるのは、あくまで、魔力を付与される元の素材。それを
「そして更に、この花の使い道によって付与すべき魔力を変えるべきだと思考を進め、付与した魔力の意図せざる悪用を防ぐ手段としての”主付け”にまで辿り着いた。そこまで考えられる魔道士なら、素質は充分過ぎるほどよ」
告げて、彼女は、静かに微笑んだ。青年魔道士の輝くような喜びの表情と引き換えに、世間一般で言う”幸福な未来”へと繋がる最後の扉が閉ざされてゆく音を、幻聴のように聞きながら。
サークル名:千美生の里(URL)
執筆者名:野間みつね一言アピール
架空世界物や似非歴史物が中心。架空世界の一時代を描く長編『ミディアミルド物語』が主力。本作では、820ページ単巻完結長編ファンタジー『魔剣士サラ=フィンク』本編の二十数年前を書いた。前回のアンソロ「海」に寄稿した「漂う遺跡」からは、それなりの月日が流れている。300字SSポスカ作品「誕生」とも連係。