コーヒーとまんじゅう
花を贈ろうと思った。
人はなぜ花を贈るのだろう。
美しく命の短いものを贈るのがはたして最上なのだろうか。
例えば美しく希少価値のもの、ダイヤの指輪だとか、予約の取れないレストランやオーダーメイドの歌なんかもその希少性から贈り物に選ばれる。
花はそれこそ駅ビルの花屋で五百円から買えるじゃないか。
なぜそんなものを贈るのだろう。
僕は改札近くの小さな花屋で白い花束を買った。白い薔薇の他にボールみたいな花と野菜みたいな緑色の植物がごろごろ入っている。なぜこれを選んだのかは自分でも分からない。寿退社する彼女へブーケみたいだと思ったのだ。
営業所のある三階へエレベーターが止まる。曇りガラスのエントランスの向こうはまだ明かりがついていない。
いつも業務の始まる三十分前には明かりがついていて、一歩入るとコーヒーの香りがした。俺達にとっては一人暮らしのワンルームよりこっちの方が家みたいだった。お疲れ様です、お帰りなさいと声をかけられる。ドアからすぐの島に彼女がいる。
けして美人というわけではない。どこにでもいそうなかわいらしい女の子だ。ちっちゃくて手足は人形みたいに細い。僕なんかがふざけて触ったら壊れてしまいそうだった。
僕はロッカーが並んだ奥のミニキッチンへ行った。
ウォータージャグに水道水を汲む。安物のコーヒーメーカーはボール紙でできたおもちゃみたいだ。蓋を開けてペーパーフィルターをセットする。コーヒーを四さじ。スイッチを入れる。
コーヒーメーカーが苦しげに音を漏らし、セットしたジャグに薄茶色の液体が落ち始める。
カレンダーの今日の日付には赤いボールペンの丸がついている。
彼女がつけたのだろうか。いったいどんな気持ちでつけたのだろう。
ニ十人にも満たない小さな会社なのに彼女と言葉を交わしたのは数えるほどで、彼女の定型文以外の台詞をほとんど聞いたことがない。
だから彼女がねずみ色のベストとスカートを脱いだ後、どんなことをしてどんなことをしゃべるのか想像がつかない。
「まずいでしょ」
「怖ぇな」
「……商事の?」
僕は驚いたり心配になったり。
「不倫はまずいって」
それからよく分からなくなった。
学生時代野球をやっていたという彼がどうして彼女を悲しませるのか分からなかったし、パンダのボールペンを使っている彼女がどうして彼の家族を悲しませるのか分からなかったし、どうして僕が一人で吐いてしまうくらい辛いのか分からなかった。
例えば彼女は野球がとても好きなんだろうか。野球をやっていたというだけで男を好きになるのだろうか。それとも彼の明るくてよく通る声やぎょろりとした丸い目を好きになったのだろうか。
「ありがとうございます、私これ好きなんです」
売店に積んであるおみやげを彼女はさも特別なもののように喜んでくれた。
なんてことのないまんじゅうだ。似たような味、似たような見た目。
それでも彼女はこれが好きなのだ。
いったいどこが好きなんだろう。
ランプが消え、六杯分のコーヒーが完成した。水切りかごの中から共用の小さすぎるカップを出す。
「えぇ~!?おめでとうございます。どこで知り合ったんですか?」
女の子達がここで話す内容は丸聞こえだ。だだっ広いオフィスを区切るロッカーは壁の役割なんかしないのだ。
あぁ本当に、彼女の即席の花婿がどんな奴かなんてどうでもよかった。
ロッカーの通路を抜けて僕はいつもの場所から彼女の席を存分に眺めることにした。
出かける時、帰って来た時、彼女の声に足を止めるポイント地点。
「タチバナサン、オカエリナサイ」
テレビで見たアンドロイドみたいだったらよかった。
コーヒーはやっぱり味がしなかった。
僕は半分残したまま、カップを流しへ置いた。
自分のデスクに用意された書類ケースを取ってカバンに入れる。
壁の時計を確認する。
彼女はまだ来ない。
まったく計画通り。
僕はもう行く時間だ。
彼女は僕の入れた温かいコーヒーを飲むだろうか。
飲んでくれたらいいと思う。
どうせならまんじゅうも用意すればよかった。
部屋のコップに突っ込んだ白いブーケは出張から帰ってくる頃には萎びているだろう。
そうしたら僕はそれをすっかり捨ててしまえばいいのだ。
きっとこの気持ちも一緒に醜いゴミになってくれるだろう。
(了)
サークル名:ミツモト時計店(URL)
執筆者名:ミツモト メガネ一言アピール
退職する時、スーパーの花束をまとめたみたいなのを上司がくれてびっくりしたなぁって思い出しながら書きました。
悲しかったり寂しかったり切ないお話を書きたいです。テキレボ8では「契約魔族と魔法が使えない魔法使いファンタジー」とちゅーちゅー氏の「がっこう嫌いのうた」を発行予定です。