仕立て屋さんの娘さんの娘さん

「仕立屋さん♪」
 隣のおばちゃんは私をそう呼んでいた。
「はい」
 と返事をするとおばちゃんは
「お返事の良い子ね」
 お菓子をくれ頬張る私を愛おしそうに眺める。
百花ももか、帰っておいで」
 母の声がし、私を見送るおばちゃんへ手を振ると、二間の古い木造アパートへ入った。
「また、おばちゃんに何か貰ったの?」
 和室で着物を広げている母に聞かれ、どきりとしながら、飴の包み紙をスカ-トのポケットへ入れた。バレないよう後でこっそり捨てよう。
 おばちゃんは数年前の死産から
「頭の螺子ねじが緩んだ」
 と近所の人達が噂をしていた。私にはただ優しいおばちゃんだったが。死産したのは女の子だそうで、私をとても可愛がってくれた。
「綺麗」
  和室の衣桁えこうへ掛けられた着物へ目をやる。季節を先取りした満開の桜が咲いている。母の仕立てる着物に咲く花は、いつも私の目を惹いた。
 梅・朝顔・菊・椿……
 母から着物の本を借り「季節の花と着物の柄について」と夏休みの自由研究を作った事がある。
 季節の色とりどりの花にも惹かれたが、袷や単衣や絹などにもどんな肌触りなのかと空想を巡らせた。着物へ触る事は許されず、子供心に着てみたらどんな心持ちがするのかと思った。
 そう、私の母は仕立屋だった。母の仕立ては祖母仕込みだ。田老の大津波で家を流された祖母は、東京で仕立屋を営んでいた姉夫婦の許へ身を寄せ、仕立てを学んだ。同じく田老で家を流された、祖母の幼馴染みの祖父は、青森で陸軍予備士官学校の教官になり、遠距離恋愛を続け結婚をしたらしいが、それはまたの機会に。
 着物を眺め
「私も着てみたい」
 私が呟くと、母の叱責が飛んできた。
「貴女は着る方じゃなくて、仕立てる方でしょ」
 そう、私は母子家庭だった。ある日に小学校から帰ると見知らぬ男性が二人来ていた。父の会社の社長と弁護士だった。
 父の葬儀は、身内のみで執り行われた。
「過労死だって」
「働くだけ働かせた会社で貰えたお金は、雀の涙だったらしい」
 父方の伯父や伯母が、小声で話すのをボンヤリと聞いていた。
 喪が明けると、母は仕立屋になった。
「結婚をしたらお父さんが稼ぐからと、専業主婦をしていたけれども、女も手に職を持っていた方が良いって、お祖母ちゃんの言う通りだったわね」
 毎朝に小さな仏壇へ、お供えとお線香をあげながら、母が父へ話しかける。写真の父親は生真面目な顔をしている。いわゆる社畜だった父と私は思い出があまり無い。
 私が小学校へ登校をすると、一通り家事を済ませた母は、依頼された着物の仕立てに取り掛かる。私が帰ってきても針を運んでいたが、きっかり五時になると終わりにし、針刺しの針の数をチェックし、くけ台やこてなどの道具を仕舞うと、エプロンを着け夕食の支度へ取り掛かる。
「宿題をしなさい」
 が口癖の母が言う通りに、仕立てをしている最中は、立ち入り禁止の和室の隣にあるフローリングの四畳間で、卓袱台へ宿題を広げた。 お蔭で宿題を忘れた事は無く、学校の成績も常にトップ10に入っていた。
「花子さんの娘さんが仕立てた着物なら、太鼓判を押せる」
 祖母と父は入れ違いで亡くなったので、祖母を知るご贔屓や呉服屋から口コミで母へは仕事が入っていた。
 ある日に家へ帰ると
「綺麗」
 お姫様のような着物が壁に掛けられていた。思わず和室へ入り手を伸ばすと
「駄目でしょ!」
 母の叱責が飛んできた。後になって知ったが、ご贔屓から頼まれた花車はなぐるまの振袖だった。
「あなたも仕立ててやるから」
 お八つやつも買って貰えず、服はスーパーのセール品、食材はスーパーの見切り品と、貧しい生活を送ったが、母としては私の将来を見越しての事だったのだろう。
 二十歳を迎える頃に母が、薄墨色の綸子に百花王ひゃかおうの白い牡丹の振袖を仕立ててくれた。否が応でも人の注目を集め、伯父の一人息子が披露宴の時に着ていると、伯母が
「あら、まあ、綺麗ね。花嫁が霞んでしまうわ」
 と嫌味を言った。
 成人式の会場へは顔だけ出したが、
「久しぶり!」
「懐かしい!!」
 などと交流を交わすクラスメイトらをよそに、早々と帰途に着いた。父親が死んでから、私は他人との接触を避けるようになっていた。 唯一おばちゃんとだけ交流をしていたが、私の振袖姿を見届けると、長患いをしていた病気で亡くなった。高そうな黒い車へ乗った絵に描いたような成金親父が現れ
「籍は入っているから、家の墓には入れてやるからな」
 とおこつを持って行き、近所の人達が
「旦那が金持ちなら、貧しい暮らしをしなくても」
 と噂話をしていた。
 母が
「そんなもんだよ」
 と誰にともなく呟いたのを覚えている。確かにウチも本家の伯父らは葬儀の時に顔を出しただけで、母へは
一花いちかは手に職があるから、自分で何とかするだろう」
 と突き放していた。
 ある冬に伯父がポックリ脳溢血で逝った。盛大に執り行われた葬儀では
「苦しまずに済んで良かったね」
「奥さんやお嫁さんに、介護の苦労をさせなかったなんて、立派な最期」
 と周囲の人たちが、小声で話すのをボンヤリと聞いていた。
 喪服の帯を緩めていると、背後から声を掛けられた。
「失礼ですが、百花さんですね」
 振り返ると、黒髪を短くカットした、中肉中背の特徴のない男性が立っていた。
「僕の事を覚えていないのですか?皆に言われる通り、僕は影が薄いのかな」
 頭を掻く仕草に思い出した。
「従兄の披露宴へ出た方ですか?」
 そう尋ねると彼は頷いた。
「見事な百花繚乱ひゃっかりょうらんの振袖姿に、僕はしばらく放心をしていました」
 有り難うございます、と立ち去ろうとすると
「これを」
 と手渡された名刺を見て
「呉服屋さんなのですね」
 思わず声が出た。
「しがない三男坊ですよ」
 それから彼が規模は小さいが、老舗の呉服屋さんの三人兄弟の末っ子で、大学を卒業してから、家業の手伝いをしている事などの話をした。
「助産師さんなのですか」
 私は助産師の仕事をしていた。幼心におばちゃんが負った傷を私も自分の傷として受け止め、助産師の資格を取ろうと無意識に思ったのかも知れない。母は手に職を付ける事を理由に賛成をしてくれた。
 その時はそのまま別れたが、一旦は捨てようと思った名刺が気になり、思い切って母の仕事用の黒電話を借り、連絡をしたら、半ば強引にデートの約束を取り付けられた。勤めている助産院の仕事は土日祝日も関係なく、その時にお産の少なさそうな平日に会う事にした。
 待ち合わせ場所へ現れた彼を見て思わず絶句した。赤いハイビスカスが咲くブルーのアロハシャツにジーンズという姿は、良家の不良息子といったいで立ちで、おまけに頭にはレイバンのサングラスが乗っている。追い打ちを掛けるように、帆を外した真っ赤な車へ案内された。
「車がお好きなのですか」
 私の声は風に飛ばされた。
「先にお昼を済ませましょう」
 と車を走らせる彼が、チラッと見やった腕時計は使い古された黒い合皮のベルトで庶民的な事に好感を抱いた。私も使い古した白い合皮のベルトの時計へ目をやると、時計の針は十一時を指していた。
 高級レストランへ連れていかれるのかと思ったが、山小屋風の建物へ車を止めると、彼は友人が経営をしている洋食屋と言いながら、木製のドアを開け店内へ私を招き入れる。
 店内には、野の花が至る所に飾ってあり、木の香りに思わず深呼吸をする。
「いらっしゃい」
 出迎えた料理人は、引き締まった体に日焼けをしていた
「こちらは助産師の百花さん。こっちは高校からの悪友の料理人」
 悪友はひどい、と山登りが趣味だと言う料理人は飾り気なく笑った。
「立ち話をしていないで」
 と小柄な奥さんらしい女性が現れた。野山を駆け回る、可愛いヤマネを連想させる。
 シェフは私達を窓際の席へ座らせると、シェフの気まぐれランチで良いよな、と勝手に決め、私にアレルギーは無いか尋ねた。幸い私はアレルギーがなく、美味しい物は何でも大好物だ。
「ご友人が多いのですね」
 出窓には海をバックに、半ダースの大学生らしい写真が飾られていた。
ろくでもない奴らばかりですよ」
 彼は頭を掻いた。どうやら彼の癖らしい。
「このアロハシャツはハワイに行った奴が、現地の女に一目ぼれして結婚して勝手に送りつけて来た土産物。フェラリーはバイクで日本一周する奴が、資金を借りる担保に置いて行った車」
 説明をする彼は中高大一貫の出だと、葬儀場で立ち話をしていた私達の姿を見たらしい、縁戚らしいマダムが私に耳打ちをしていた。
「お待たせ致しました!じゃーん♪」
 シェフが色とりどりの食用花サラダと、チーズフォンデュをテーブルへ運んで来た。チーズフォンデュは仕込みに時間が掛かる。気まぐれランチと言いつつ、前日から仕込みをしていたのだろう。
 食後にシェフ手絞りの林檎ジュースを飲んでいると、ふと彼が真剣な顔つきになった。
「僕と結婚をしてくれませんか」
 突然のプロポーズに私は戸惑った。彼は物心ついた時から、着物を着た女性を何十人いや何百人と見て来た。ちょっとした仕草や立ち振る舞いに、人間性が垣間見えるのだと言う。ちょうど季節が一周するまで、私達は付き合い結婚をした。
 私は呉服屋の近くに彼が借りていた、古い平屋の借家へ移り住んだ。呉服屋は金持ちを連想させるが、そんな事は無い事を、仕立屋の娘の私は知っていたので生活に不満は無く、母の部屋も用意してくれた事を彼へ感謝した。
「白蓮が綺麗ね」
 母は借家の持ち主が季節の花を咲かせる、猫の額のような庭を眺めるのを楽しみにしていた。
 やがて女の子が産まれ、助産師の仕事を辞めるか迷う私へ
「私が面倒を見るから」
 と母は雪花せっかの面倒をよく見てくれた。
 あれから数十年が経ち、呉服屋へ足を運ぶ人も仕立てを頼む人も減った。
 借家は老朽化が進んだが、私達は住み続け、結婚をした娘は近くへ住んでいる。
雪輪ゆきわの浴衣って可愛くない?」
 孫娘である六花ろっかは、お年玉をはたいた量販店の浴衣を見せに来た。ミシンで縫った浴衣と手で縫った浴衣は、手触りも着心地も何もかも違う。だが、時代が変わろうとも花柄の可愛い浴衣を着たい、そんな娘心を尊重したく、私は柔らかく微笑んだ。了


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サークル名:アテナ戦記(URL
執筆者名:橋本野菊

一言アピール
タイトルは「武士の娘の娘」というドラマの科白から頂きました。
踊りをやる方はある程度の仕立ては出来、舞台衣装を他所へ頼むと高いので、皆で稽古場へ集まり運針をする光景を、子供の頃から見て来ました。
田老は実話で、無料配布本を配りたかったのですが、断念しまして、またの機会に作りたくエピソードのみ入れました。

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