第二ボタンの約束
うららかな春の陽を受け、女学院の講堂のステンドグラスが穏やか微笑んでいる。二つ歌を唄って解散です、と聞いている
翼もちょうど一年前に歌った「旅立ちの日に」だ。
――あっという間の一年、
腕の中で揺れる
*
部活の後輩に囲まれ卒業を惜しまれる同級生や、高校でも部活に来いと先輩から声をかけられる卒業生を、翼は特別な感傷も深い感慨もないままに眺めていた。部活動に参加せず、
――オレが演劇バカなら、お前は花の大バカさ。
正門を抜け、
名前が呼ばれ、視界が
「つ、翼さん、」
「……え、」
そこにいたのは美しい花束を携えた
「ご卒業おめでとうございます。」
「……ありがとう、ございます。」
花束の贈呈が終わると、沈黙が訪れる。もともと口数が少ない二人はしばしば会話が途切れる。以前は何か話さなければ、と焦ったが、今は
路肩の沈丁花の蕾を眺め、横切る猫に道を譲り、店休日のジオードを大窓からそっと覗く。しばらくして見えてくる公園を曲がれば、梓の自宅はすぐそこだ。一人ではやや単調な通学路も、二人で歩くには短すぎる。
「あの、」
「あの、」
公園の角で翼と梓の声が重なった。先に話すよう互いに譲り合うのは毎度のことだが、今日は珍しく梓が、では私から、と切り出した。
「第二ボタン、ください。」
「……、……。」
ようやく意味を理解した翼が、詰襟から第二ボタンを外す。それに花束からの一輪を添えて差し出した。
「受け取ってください。」
「ありがとう、ございます。」
うれしくて飛び跳ねちゃいそう、と梓が満面の笑みを浮かべる。あまりの可愛らしさに、不意に翼が梓の手を取った。梓の頬が瞬く間に赤く染まるも、打って出た翼は頬どころか、首や耳まで見事に茹で上がっている。
「来年は、ボクが女学院に行ってもいいですか、」
「……。」
言葉にならない梓は翼の手をそっと握り返し、ただただ頷くだけだった。
*
パイプオルガンの調べが朗らかに広がり、青空に溶けていった。歌が終わると、わぁっと歓声が上がり講堂の扉が開かれる。卒業生や保護者たちが一斉に出てきた。高等部への進級が大前提の女学院中学の卒業式は鴨中よりもさらに淡泊らしい。写真撮影や歓談をする者はほとんどおらず、地下鉄駅へと向かいこちらへとやってくる。
約束をしている。擦れ違うことはない、だろうが。
――一秒でも早く、
翼が精一杯に背伸びし、辺りを見回す。
その翼の腕の中で花弁が揺れ、優しい香りが漂う。横を通る女学院生が、素敵な花ね、誰を待っているのかしら、と密やかに言葉を交わしているが、梓を探す翼の耳には全く届かない。
校舎や昇降口に目を走らせ、再び講堂に目を戻した。
「梓さんっ、」
「……、」
翼の声に梓の笑顔が咲く。
うれしくて、少しだけ恥ずかしくて、でもやっぱり、うれしくて。
――嗚呼、あなたって人は。
翼は矢も楯もたまらず、祝花を抱え直すと、梓のもとへ駆け出したのだった。
サークル名:Amalgam(URL)
執筆者名:波水 蒼一言アピール
個人サークル琥珀舎で五年ほど活動していましたが、一人よりは二人、互いの進捗を互いに見張る、文芸イベントへの参加の回数もニ倍、を目標に2018年8月に合同サークルAmalgamを作りました。鉱物や理科モチーフの波水とアイドル描写を得意とする瀧の二人組。同じテーマで書き発表する合同誌もを作っています。