幸福の花冠を瞳に残して

「サムエル、どうして行ってしまうの」
 十に満たない年の王女は、二十ほどの青年の服の裾を掴んで訴えた。石で造られた城の静寂な廊下には、彼女の声だけが響いていた。
 留学のため、南東の大国イスキオへの旅立ちを控えた青年サムエルに対する彼女の反応は、容易に予測できた。下手に黙って祖国ノルクから出立すれば、この地に留まらざるを得ない王女の怒りや悲しみは、遠く離れた地でもサムエルに『伝わって』しまうだろう。それよりは遥かにましかと思ったけれども、彼女に別れを告げるのは忍びなかった。
「リーナ様、エヴェリーナ様。イスキオには勉強に行くのです。イスキオが何故豊かなのか、どうすればノルクを豊かにできるのかを学びたいのです」
 サムエルはかがみ、王女エヴェリーナに目線を合わせてから、諭すように答えた。
「勉強が終わったら、帰ってくる?」
「もちろんです。そのための留学ですから」
 サムエルは念を押したが、エヴェリーナは心残りがあるようだった。
 ノルクの国民の中には、栄えたイスキオに憧れる者も多い。両国を隔てる山脈を魔術によって超える転移門が完成してからは、イスキオに移住する者も年々増えていた。エヴェリーナが不安に思うのも、衰退する一方のノルクを、繁栄してゆくイスキオを『視た』故かと、サムエルは考えていた。
「……それでも、納得がいきませんか? ならば、私が旅立つ前に、思い出を作りませんか?」
「思い出?」
「貴女のお父様にお願いして、一日だけ魔術の練習を休んで、一緒に出かけるのです」
「それは素敵だわ!」
 少しでも王女を笑顔にできないかと考えた提案は、彼女の表情をたちまち明るくした。その姿に、サムエルはほっとしていた。
 サムエルの姪にしてノルク第一王女エヴェリーナは千里眼の魔術師であり、程度はあれ離れた場所の出来事を見聞きできる。ただし、幼い彼女は魔術の制御が不十分であったため、訓練を日々受けていた。さらに、彼女の魔術は使いようによっては他国の情勢を収集できうる故に秘匿され、城に軟禁された彼女が陽の目を見ることはなかった。
 これは、現国王に嫁いだサムエルの姉が優れた未来視の魔術師である故の遺伝でもある。けれどもエヴェリーナは意に反してここではない光景を見続けて、時に貧しき民の姿や貴族たちの諍いに、辛い思いをしたことだろう。読心の魔術師サムエルには姪王女の悲嘆が『伝わって』きたからこそ、彼女の心を晴らせないかと考えていた。
 ――それがひと時の別れの前にまで延びてしまうとは、失態だったけれども。

「義兄様。……ご息女に、一日限りの自由を」
「彼女が千里眼を発動させないと、保証はできるのか?」
 翌日、玉座の前で、サムエルは膝をつき王に懇願した。厳格な顔立ちのノルク国王の視線は、イスキオとの国境に高くそびえる山脈のようだった。それもその通りだ。エヴェリーナが千里眼を発動させてしまったら、彼女の身体的負担も大きい。
「ええ。これまでの報告通り、彼女は自身の魔力で千里眼を制御できるようになっていますし、有事の際は私が対処いたします」
 サムエルは左胸の脈動を感じながらも、冷静さを努めた。読心の魔術をもってしても、王の心を読むことは困難だった。それでも彼は彼なりに娘を案じているとわかるが故に、彼女を自由にする決意が揺らいではならないと念じていた。
「お父様。わたし、魔術の練習これからも頑張ります。だからお願いします、サムエルと出かける許可をください!」
 隣に控えていたエヴェリーナも、膝をついて祈る。王は、一度だけ娘と目を合わせて、眉間にしわを寄せた。
「……一日なら、いいだろう。ただし、王城内から出てはならない。サムエル、くれぐれも我が娘から目を離さぬことだ」
「承知しています」
「ありがとうございます、お父様!」
 王の言葉に、サムエルとエヴェリーナは礼をした。エヴェリーナの表情は晴れやかだったものの、二人の緊張は謁見の間を出るまで解れなかった。

 それからサムエルとエヴェリーナは別れの前日、王室の庭園へと向かった。エヴェリーナは普段、自由に歩き回ることも出来ない。ならば、広い庭園で過ごしてみてはとサムエルが提案して、彼女はそれに賛同してくれたためだった。
 エヴェリーナはサムエルの隣で色とりどりに咲く春の花を見て回ったが、彼女が何より気に入ったのは、木々が点在する広場一面に敷き詰められたクローバー畑だった。
「リーナ様は、それでいいのですか?」
 他に、庭師が手間暇をかけた綺麗な花はごまんとあるはずだ。それでも、たくましく広場に葉を広げ、花をつけるクローバーを気に入った王女に、サムエルは不思議そうにした。
「いいの! だって、四つ葉のクローバーを見つけると、幸せになれるんでしょう? わたし、本で読んだわ!」
「そうですね。なら、四つ葉を探してみてはいかがですか」
「サムエルは探さないの?」
「私はここで見ていますから」
「そっかあ」
 エヴェリーナはむっとしつつも、ひとりでクローバーを探しに行った。一方のサムエルは彼女を見守りながら、シロツメクサの花を摘んでひとつひとつ編んでいた。
「五つ葉のクローバーを見つけたわ!」
 サムエルが花を編んでいる最中、エヴェリーナはクローバーを右手に掲げ、サムエルのもとに戻ってきた。
「五つ葉ってことは、四つ葉よりももっと幸せになれるの?」
 五つ葉のクローバーをサムエルの目線に運び、エヴェリーナは尋ねる。
「いいえ。五つ葉は金運が上がるとも、不幸になるとも言います」
「そんな……」
 サムエルが答えると、エヴェリーナはクローバーを手にしたまま、顔を曇らせた。
「ですが安心してください。五つ葉のクローバーは人にあげると、幸せになれるそうですよ」
「サムエルにあげれば、不幸にならない? サムエルはお金持ちになれるの?」
「ええ。お金持ちにならなくとも、お互い心を豊かにできればいいですね」
「ならこれは、サムエルが持っていて」
「ありがとうございます、リーナ様」
 サムエルは一度シロツメクサの花の編み物を左手首にかけて、五つ葉のクローバーを受け取った。すると、エヴェリーナは花の編み物に気付いたようだった。
「ところで、サムエルは何を作っているの?」
「秘密です」
「気になるなあ……」
「これから続きを作りますから」
 五つ葉のクローバーを傍らに置き、サムエルが花で何かを編んでゆく様子を、エヴェリーナはまじまじと眺めていた。
 王女の視線に落ち着かなさを感じながらも、サムエルは最後の一本の花を両端に繋ぐ。花の編み物は冠となった。
「さあ、完成ですよ、お姫様」
「わあ……!」
 完成した花冠を目にしたエヴェリーナは、金の瞳を喜びに震わせた。
「触ってもいい?」
「ええ」
 花冠をエヴェリーナに渡すと、彼女は冠を回したり、ひっくり返したり、夢中で構造を観察していた。その様子に、あることを思いついたサムエルは、気が済む頃を見計らって声をかけた。
「少しの間、冠を返していただけませんか?」
「……どうぞ」
 仕方なさそうに、エヴェリーナは冠を差し出した。サムエルはそれを受け取ると、彼女の青い髪にふわりとかぶせた。冠は、丁度いい大きさだった。
「……サムエル?」
 ぱちぱちと瞬きをして、白の花冠を戴いた王女は首をかしげる。その仕草も、花冠が可愛らしさを引き立てていた。けれども彼女は国王夫妻の長子であり、男兄弟はいないため、何事もなければ女王となる運命だ。ましてや、千里眼の持ち主なのだから、将来は順風満帆とはいかないだろう。
 だからこそサムエルは、「よく似合っていますね」と曖昧に微笑んだ。
「そう言ってくれて嬉しいわ。ねえ、サムエル。冠の編み方を教えて」
 サムエルの不安とは裏腹に、エヴェリーナはほんのり頬を赤らめながら、無邪気に尋ねる。
「どうしてまた?」
「サムエルに、この冠をかぶせたいの」
「私は男ですよ?」
「綺麗な顔だし、きっと似合うわ! それに、サムエルがいなくなる前に何かしたかったし……」
「仕方ないですね。リーナ様、一緒に作りましょうか」
「ええ!」
 エヴェリーナは花冠の作り方をすぐに覚えて、瞬く間に冠の形を作り上げていった。隣に座るサムエルは不意にクローバー畑に手を伸ばすと、触れたクローバーは四つ葉だった。
 けれど、幸福が必要な人間は、自分ではない。彼女に、この葉を見つけてもらいたい。ささやかな願いを思い浮かべているうちに、王女の花冠は完成間際となった。
「出来た!」
 完成を見守る暇もなく、サムエルはエヴェリーナに花冠をかぶせられた。
「わっ」
「やっぱり、似合っているわ! 五つ葉のクローバー、貸してもらえる?」
 少しだけ小さい花冠が落ちないようにサムエルは頭を抑えながら、エヴェリーナに傍らの五つ葉を渡す。彼女は仕上げと言わんばかりに冠に挿すと、二人の顔はほころんだ。
「ありがとうございます。……けれど、私の冠のほうが贅沢じゃないですか? 貴女の冠には、四つ葉のクローバーが欲しいですね」
「四つ葉のクローバーは探してくれないの?」
「幸せになれるのは、見つけた人でしょう。貴女に見つけて欲しいって、クローバーは言っていますよ?」
「なら、やってみるわ! 絶対に、見つけてみせるんだから!」
 気合い十分なエヴェリーナに四つ葉の在処がばれないように、サムエルは天を仰いでいた。どこまでも晴れた空。太陽が顔を見せない曇天の冬が延々と続くこの国で、ようやく訪れた春の日差しは心地が良い。
 ふと地上に視線を戻すと、エヴェリーナはクローバーをひとつひとつ、真剣なまなざしで吟味していた。四つ葉探しに集中していれば、ここではない光景を見てしまうことはないだろう。
 別れの前に、そして遠い未来に彼女が幸福を掴めるよう、サムエルはただ願っていた。


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サークル名:たそがれの淡雪(URL
執筆者名:夕霧ありあ

一言アピール
夢と成長をテーマに据えた、過程重視のファンタジー小説サークルです。
新刊は少女小説ファンタジー「灰白のヴィジョン」の、今作を含めた前日譚短編集を予定しています……!

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