ディソイディア

 世俗から隔絶されたような特別空間。最上階はフロア全貸切。天井は高く、一室は二十四畳よりも広い。
部屋の主は鳥が囀るような美しい声色で陽気に旋律を歌唱する。ダークグレーの折り畳み式覆い布を滑らかな形のよい手で掴んでは一気に開くと、高層階から街並みが広がる夜景を一望できる。
 ムーンストーンの双眸を持つ主は、夕闇に染まった街を見つめて口元を綻ばせた。
 こんなにも美しい絵画のような光景を毎日眺められるのは豪華なスイートルームならではのこと。女性であれば一度はこんな部屋で暮らしたいと憧れるだろう。生憎、そこに囲われているのは美女ではなかった。
背の高いすらっとした体躯の青年は、腰まである金色の癖髪を示指と中指で梳く。絡みひとつないしっとりとした艶やかな金糸は二本の指をするりとすり抜けた。
 彼の名は、がん・アルデバラン。
 大貴族アルデバラン家の長男。ただし、庶子である。
 部屋の明かりにより窓に映る、貌の部位は黄金比で配置されひどく整っている。月長石を思わせる少女のような大きな瞳、眸の周囲を縁取る金色の長い睫毛、鼻とくちびるの距離は近く、ぷっくりとした厚みのあるくちびる、染みひとつない健康そうな肌。
中性じみた美貌の青年は、黒の魔力で創世された視認できない強固な結界によって守護されている。ゆえにひとりではこのフロア外への出入りができない。衣食住に不自由はなくてもこれは軟禁に等しい。
 籠の鳥に等しい環境下であってもこの待遇に異存はない。
 義母であるアルデバラン家正妻貴和きわ・アルデバランにより、幼少時から眼は抹殺対象とされている。貴和は目的のためなら手段を択ばない女性。
 眼・アルデバランの暗殺賞金額は現在一億。金に目が眩んだ闇の世界の玄人暗殺者たちから最高額賞金首として昼夜命を狙われ続けている身。
 事情を知る恋人のれいえいが眼を徹底して庇護したがることは彼氏としては当然のことだと眼は理解しているのだ。
 金刺繍の入った赤紫の光沢が上品な和装姿で心地の良い長椅子へと腰をかけ。ティアラが描かれた濃淡二色のシャンパンゴールドティーカップへと紅色の液体を注ぐ。
湯気が上がっているローズヒップティーへと口をすぼめてふーふーと息を吹きかけ、冷ましては舌を火傷しないよう恐る恐る口をつける。途端、酸味が口のなかへと広がった。
数口飲んでのどを潤した後、彼は先日入手した製菓書籍を膝の上で開き、色とりどりの美しい絵が書かれたページを眺める。
「菓子を作るのか?」
「!?」
 低音で心地よい声が背後からかけられる。
 本に気を取られ相手が至近距離に近づくまで眼は来訪者に気がつけなかった。
フロア一帯が彼の魔力領域。世界で一、二を争う膨大な魔力の持ち主の創造世界を破壊できる者はほぼ皆無。
刺客は来ないという安堵感により、無意識下で警戒することを怠ってしまっていた。
(影相手に警戒する必要はないけどよ。でも、気の緩みってほんと怖いから、今後は気をつけよっと)
 内心反省しつつも、彼に複雑な心中を悟られまいと心がけ。花が綻ぶような微笑を浮かべては、恋人の来訪を歓迎する。
「ヘアメイク係のアヴィー姐が、あ、仲良い女性団員のひとりなんだけどよ。彼女、今月が誕生日なんだ。それで皆でバースデーパーティーするとき用のケーキレシピをチェックしてたんだよ」
 座ったまま斜め上を向く。作る予定の菓子を指差しながら、眼は意気揚揚に瞳を輝かせてケーキの構造を彼氏へと簡単に説明する。
「上段が花の入ったレモンゼリーで下段がホワイトチョコレートムース。これなら可愛くて美味しいって喜んでもらえるかなって。お仕事お疲れ様、おかえり影」
 脚のすらりとした颯爽たる長身の彼は、相変わらず上から下まで黒尽くしの服装だった。髪色、双眸だけでなく。タートルネック、ズボン、靴までもが漆黒。
相変わらず口を開いても表情筋肉はほぼ動いていない。無表情で、一見気難しそうな顔だからこそ、彼の怜悧な美貌が際立っていた。
「ただいま、眼。中断せずとも好きにしてくれて構わない」
「大丈夫、急ぎじゃねえし。それにエディブルフラワー使用するから、調達してからじゃないと作れねえのよ」
 本番で失敗しないよう眼は一度試作してから贈答用の菓子を作る主義。
 影は甘いものが苦手。それゆえ試食係は護衛のランスロットに限られる。ならば後日にした方が賢明だと眼は即時判断した。
「食用花か。塩づけなら、桜と蘭。ゼリーに入れるのであれば、この時期ならパンジーかプリムラになるな」
 数万冊の本を読破している活字中毒気味の男は博学な雑学にも長けていた。
「やっぱパンジー可愛いよな。あっさりとした味らしいし、ビタミンも豊富だから姐さんたちに喜ばれると思う」
影が不在のときに材料の調達を行うことを決め。「この話はこれでおしまい」と、話題を変えようとすれば。彼は眼の横へと長い脚を組んでは座り、何故とばかりにじっと顔を覗き込まれる。
「え、影?」
「なぜ話題を変えようとする?」
 質問に対して質問で返すのはいかがなものか。
世界で百人に満たない希少な直系皇族の皇子様は下々の者に対する礼儀に欠ける部分がある。
「だって、影は花に興味ないだろ」
 これでこの話はおしまい。そう締めくくろうとすると、両手をほおにあてられ、顔を引き寄せられては至近距離で囁かれる。
「私としては、花を愛でるのはやぶさかではない」
「!? ……っ」
 花とは、生花のことではなく。
 意味を理解した眼は、たちまち全身がかっと熱くなった。一気にどくどくと全身へと血が巡るのがありありとわかる。心臓の鼓動もたちまち早まった。ほおがひどく熱い。顔どころか耳まで真っ赤になってしまったに違いなかった。
 眼には、仕事上の源氏名がある。
劇団花陽の女優は全員が花の名前。男性であっても少年時代から女装して舞台に出ている眼にも花名が与えられていた。
舞台上での芸名は茨。すなわち茨=眼となる。
 彼は婉曲な言い回しによって眼に愛しいと告げた。
(この皇子様はっ……。こういうことを恥ずかしげもなく面と向かって言い出すからほんと困るっ)
「それはどうもっ。……ちょっと、なにやってんだよ」
やっとほおからひやりとした手が離れたことをほっとしたのもつかの間。いつしか帯がほどかれ、帯絞めにまで手をかけられている。
「花を食みたい」
 頭を打ちつけぬよう後頭部に右手をかました状態で押し倒された。どうやらこのまま同衾したいということらしい。長椅子の上で拘束するように上に乗っかられては逃げ場がなかった。
「ちょ、だめ、……まだ昼間です」
 逢瀬時には毎夜肌を重ねている。昼間まで躰を許してしまっては節度に欠けるとやんわりと拒否してみると。相手は相当不服らしく眉根を寄せ、長襦袢のなかへと手を入れてきた。脚に手があたりくすぐったい。
「ひゃっ、お触りも許可してないって」
 日中の性的な行為はダメだと両手で相手の体を押し返すと長襦袢のなかから手を抜かれ、今度は両手首を掴まれた。
徹底抗戦の構えかと半目で睨みつけてみれば、押さえつける手に力は入っておらず。年下の彼氏はここぞとばかりに恋人の掌握にかかる。
「本気で嫌なら突き飛ばして逃げてくれてかまわない」
「……それ、卑怯」
 殺し屋や変質者相手なら兎も角。危害の意思がない彼氏相手に対して実力行使によっての拒否ができる訳がなく。しかも形ばかりの拘束で、選択は眼に委ねられている。力づくでない以上つっぱねることは抵抗があった。
(甘え下手のコイツがこんな風に甘えるのオレ限定だし。……もう、仕方ないなあ)
 手を拘束されているため背中や頭を撫でることはできない。その代わりに、眼は相手のまぶたにそっと口づける。
「お残ししないなら、どうぞ」
 照れと緊張により、語尾は声が上ずってしまった。視線を交わすことが恥ずかしいので明後日の方向を向いて許可を出す。
「余すことなく貰い受けると約束しよう」
 首筋へと軽く歯を立てられた。汗ばむ手を羽織の袖で拭いてから相手の背中に腕を回してまぶたを閉じる。
それが恋人同士たちによる営み開始の合図となった。

 寝台の上で影が布団の端を掴んでは引っ張った。ベッドの中心部に布団を引き寄せ立てこもった中身は一向に顔を出そうとはしない。
「眼、そろそろ私は虚淵城へ戻らないといけない。顔ぐらい見せろ」
 これから二日間影は居城で仕事。その間ふたりは会えない。
名残惜しいから顔を見せろと要求されても、眼は全身を真っ赤に染めて無理だと布団の中で首を左右に振った。
「やだ、ぜったいやだっ。このドスケベ、えっちい、変態、ばかああぁぁぁっ!!」
「全部食せと言い出したのはおまえだ」
 言葉のあやというものを知らない真面目な彼氏は見事なまでに有言実行してくれた。
おかげさまで腰のダメージがひどく。ベッドの中から当分の間出られそうにない。それを知られるのも悔しいから、眼はこうやって攻防戦を行っていた。
 あと数分もすればこの騒ぎをききつけてランスロットが影を強制的に職場へと向かわせるであろう。
(また好き放題されないためにも、今朝はぜったいに顔を見せてやらないっ)
 花にだって萎れたり枯れたりしないための自衛の権利はある。開錠はいたしませんと布団を砦にしていたら、業を煮やした相手は力づくにより右側を強引にこじ開けた。
「うわっ!?」
 相手は現役軍人。しかも最高責任者。本気で格闘すれば眼は影には到底叶わない。
このまま布団を全部引っ剥がされると覚悟してぎゅっと強くまぶたを閉じると、彼は眼の手を掴み、指先にそっと口づけた。
「次来るときまでには機嫌を直しておいてくれ。私のディソイディア」
 指先へのキスの意味は賞賛。軍人の彼にとっては求愛の合図。
ディソイディアはダークベルグデージーの別名。その意味は――。
(オレ、その花言葉知ってる。……もうっ、頭んなかが沸騰してどうにかなりそうだよっ)
 ますます赤くなった顔面を両手で押さえては、羞恥によりぷるぷるふるえ小動物のような動きをして悶え続けた。
正気に戻るにはしばらく時間を要する。

 ディソイディア。
その花言葉は、可愛い恋人。


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サークル名:SOMARI(URL
執筆者名:猫賀ねこ

一言アピール
人間界とは異なった世界に住む黎皇族をメインにBLファンタジー小説書いてます。R18率高めのサークルです。

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