特別な花

 事の発端は、所用で街に出たことだった。
 騎士団本部における勤務中の用向きであるからして、もちろん服装も制服から改めることはない。それが裏目に出た、といえば、それもそうだろう。
 ダヤリーズ王国西部に位置する地方都市の一つであるリィリャを守る竜謡騎士団は、自惚れるつもりはないが、精強であると自負している。戦果は高く、殉職者は少ない。事実として、住民からの評価も高かった。だからこそ、通りがかった花屋の店主から、
「おっ、そこ行く兄さん、騎士団の人だろ? いつも街を守ってくれてありがとうよ! これ持ってきな!」
 ――と、厚意を受けることにもなるのだろうが。
 しかし、如何せん俺は花束を持って歩き回るのが似合うような出で立ちではない。六歳から十七の時分まで騎士となるべく鍛えられ、紆余曲折あれど二十九の現在に至るまで騎士として働き続けている。殉職でもしない限り、今後もそうあり続けることだろう。
 そうして積み重ねた日々によって、我が肉体が国と民の天敵を討つに過不足ない高さと厚さを獲得するのは当然の結論であり、要するに己が些か威圧的な容姿であることは認めざるを得ない。愛想に欠けると部下に苦言を垂れられることもあるが、どこぞの上官のように相対した子供に泣き喚かれるような惨事に陥ったこともないので、まだ及第点のはずだ。おそらく。
 ともかく、問題はこの花束である。
 なるべく早く手放したいのが本音ではあったが、住民からの厚意を手荒に扱うのも躊躇われる。結局、俺は花束を手にしたまま本部に戻り、周囲からの信じがたいものを目にしたとばかりの視線を受けながら、己が率いる小隊の執務室に帰還する羽目になった。
不幸中の幸いか、部隊の執務室には部下が一人残っているだけだった。
アラーナ・レアード。二十一という若さながら、既に隊で一、二を争う戦果を叩き出す出来物の女性隊員だ。その一方、二年前にこのリィリャへ志願して異動を果たし、あろうことか俺の隊――問題児集団の代名詞として扱われて久しい――に配属を望むという珍奇な行動を取るところもある。
「隊長、お帰りなさ……」
 そのレアードが――剛毅果断な一面を持ちつつも、平時は極めて冷静な振る舞いを保つ娘が、俺を見て目を丸くしていた。
「……街の花屋の厚意だ」
 ため息を吐いて言えば、苦笑と共に返される。
「そういうことでしたか。急にどうしたのかと思いました」
 まあ、そうだろうな。街に出たついでに土産を買って戻るにしても、多くが軽食だ。粗忽者やら無骨者が多い我が隊に花瓶などという雅なものがあるはずもなく、俺も未だかつて花を買って戻ったことはない。
「念の為、訊いておくが」
「残念ながら、花瓶はありません」
 きっぱりとした即答に、二度目のため息が漏れる。
「だろうな。……どうしたものやら」
 執務室に併設された休憩室には、給湯設備も一式用意されている。ひとまずは流しに水を溜めて、浸けておくか。
「あの、隊長」
 休憩室に向けて歩き出そうとすると、控えめに呼ぶ声が聞こえた。足を止めて声の主を振り返れば、レアードはどこか落ち着かなさげにしている。珍しいな、どうした?
「花瓶、借りてきましょうか」
「そこまですることもあるまい。元々花瓶の用意のある隊なら、そのまま預けた方がいい」
 何しろ、この隊には粗忽者が多い。下手に花など飾ろうものなら、うっかり倒すだの引っくり返すだのして、面倒事を増やしてくれるに決まっている。
「でしたら、私の部屋に、使っていない花瓶があるのですが」
 言い淀む姿。普段はきはきと喋るレアードにしては、つくづく珍しいことだった。
 思えば、レアードは部下の中では数少ない、粗忽者でも無骨者でもない隊員の一人だった。何かと細かいことにもよく気が付き、事務仕事の処理も早い。日頃も率先して俺の補佐を申し出てくれる。そうした優秀さばかりが目についていたが、やはり年頃の娘らしく――等と評するのも失礼かも分からんが――花を好む趣味もあるのか。
「その、宿舎ではデイジーと同室で」
 デイジー・ガードナーも、俺の部下の一人だ。二十三歳の女性隊員で、歳も近いことからレアードとは仲がいい。いつの雑談だったか、それとも酒の席か。運よく同じ部隊の二人で二人部屋の同室に入ることができた、と聞いたような覚えがあった。
 遠い過去か近い過去かも分からない記憶を遡っていると、「それで」とレアードの声で意識が引き戻される。
「デイジーも花が好きなんです」
「ほう。名前からして、想像できるな」
「さすがに、だからということもないでしょうけど」
「まあ、安直に過ぎるか」
 花の名前をつけられたのだから、花が好きだろう。そう決めつけられては、あの温厚で物静かな隊員も、苦笑の一つは浮かべるかもしれない。
「ともかく、それならちょうどいいか。お前たちなら、他言もしないだろう。上手く飾ってやってくれ。――他の連中には、秘密でな」
 花束を差し出すと、レアードはぱっと表情を輝かせて駆け寄ってきた。差し出せば、まるで貴重品でも前にしたような手付きで受け取る。そこまで喜ばれるとは、思ってもみなかった。そんなに花が好きなのか、それとも特別にこの花が好きなのか……?
「はい、秘密に――大事に飾らせていただきます」
「そこまで言ってもらうと、もらいもので悪いような気もするがな……」
 あくまでも、街の住民の厚意だ。俺が何かした訳でもない。
「そんなに花が好きなら、この部屋にも花瓶の一つでも用意するか。お前の目の届くところに置いておけば、落ち着きのない連中の魔の手にもかからないだろう」
 執務室の殺風景なことは、以前から隊員の間でも時たま不平として語られることがあった。この機会に多少の改善を図るのも良いかもしれない。
 そう思って切り出したが、更に予想外なことに、レアードは頭を振った。
「い、いえ、それには及ばないかと。私もいつでも見ていられる訳ではありませんし、ロブ辺りが倒しそうですし」
「……やはり、そうなるか」
 部隊におけるお調子者もとい粗忽者筆頭の名前を挙げられてしまえば、もう七日と経たずに花瓶が床に転がっている無惨な光景しか思い浮かべられなかった。……やはり、この隊に花を飾るなんぞという雅さを求めるのは、時期尚早か。俺の不徳の致すところだ。
「まあ、花を飾る趣味を持てる者が部下にいると分かっただけで良しとしよう」
「恐縮です」
 律儀に頭を下げるレアードに「そうかしこまるな」と答えた時、ふと壁に掛けられた時計が目に入った。午後三時半。もうじき、他部隊との合同訓練で外に出ている隊員も戻ってくるはずだ。その時に「花束」が残っていては、面倒なことになる。
 部隊長が部下を一人だけ優遇するなどということは、本来褒められたことではない。自分の仕事だけでなく、俺の仕事を手伝うことも少なくないレアードには礼をするもやぶさかではないが、それはまた別の機会にするべきだろう。
「レアード、長話に付き合わせて悪かったな。じきに出ている者も戻ってくる。それまでに一度宿舎に戻って、花を置いてきてもらっていいか」
 命令として告げるには、些か躊躇われる内容だった。図らずも微妙な言い回しになってしまったが、それでもレアードは大人しく頷いて見せ、「すぐに戻ります」と普段通りのはっきりとした声音で応じる。
「何、要は俺の持ち込んだものの後始末だ。休憩だと思って、ゆっくりしてきて構わん」
「……ありがとうございます」
 背筋を伸ばして頭を下げる姿は折り目正しく整い、俺の麾下に入らねば二十を超える頃には大隊長の副官に任じられるであろう、と実しやかに噂される才媛然としていた。俺自身もその評価には太鼓判を捺すところだが、本人が望んでこの隊に在籍している以上、上からの要請でもない限り余計なことは言わずにいるつもりだ。
 勿体ない、と思うことが全くないではないが、何しろアラーナの手腕には大いに助けられている。端から当てにして良いものではないが、特に書類仕事が嵩んだ時などは、力強いことこの上ない援軍だった。
「……やはり、一度きちんと報いておくべきか」
 いそいそと執務室を出て行く背中を横目に、そんなことを思った。

 宿舎へ向かう足取りは、らしくもなく弾むようだった。一段飛ばしで、けれど腕に抱いた花束の花弁が落ちないように気を付けて階段を駆け上がり、自室の扉を叩く。
「デイジー、いる?」
声を掛けると、短い間の後に本日公休にして同室の同僚が、扉を開けて顔を出した。デイジーは私と花束を見比べ、きょとんと眼鏡の奥で目を丸くさせる。
「どうしたの、アラーナ」
「ちょっと、色々あって。デイジー、花瓶の代わりになりそうなもの、何かない?」
 誰かに見つかる前に、ととにかく部屋の中に入りながら訊けば、残念なことに首が横に振られた。分かってはいたけど……。
「マグカップくらいしかないけど」
「やっぱり、そうよね……」
「その花束を飾るの? よかったら、街に行って買ってこようか?」
 思わず肩を落とすと、見かねたのかデイジーが提案してくれた。あんまり厚意に甘え過ぎてもいけないと思うけれど、萎れさせたくはないし……。
「ごめん、お願いしていい? お金は後で払うから」
「いいよ、暇してたし」
 ありがとう、と答えながら、備え付けの流しに水を張り、花束の持ち手――花の根元を浸ける。ほっと息を吐いて振り返ると、デイジーが外出の用意を整えているところだった。
 ああ、そうだ、もう一つ、言っておかないといけないことがあったんだった。
「あの、デイジー、申し訳ないんだけど、もう一つだけ、お願いしていい?」
「え? うん、いいけど」
 デイジーは一瞬驚いた様子を見せたものの、すぐに「そんな風に言うなんて珍しい」と微笑んでくれた。それは、そう……私も、こんなこと自分でも珍しいって思う。でも、今回だけは特別なのだ。
「私とあなた、花が好きってことにしておいてくれない?」


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サークル名:燎火堂(URL
執筆者名:奈木 一可

一言アピール
青年騎士と半竜幼女の擬似親子みの強い空戦ファンタジー「雲払い響け、竜の謡」の主人公ローレンツと、彼の部下の一人のお話でした。テキレボでは初売りとなる1巻完結の長編ですので、お手に取って頂けましたら幸いです。

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