チアップ・ナップ

【名称:フラワードラゴン】
【属性:植物・花(ピンク)】
【外見:体長2m。全身桜色で部分的にムラがあり、腹部は白に近い。瞳は濃淡のある緑。鱗は非常に柔らかい(花弁に似ている)】
【性格:陽気、気まぐれ、人懐っこい】
【能力:花弁放出】

「そんな竜もいるのか。昔話のじーさんみてーだな」
 炎を吐くように花びらを振りまくのだろうか? それはちょっと見てみたい。さぞかし童話的で幸せな光景だろう。
 国際大学1年の春の連休。ヒマを持て余した俺は構内を散歩がてら、どこかのサークルの練習や野外飲みを横目で眺めたり、学食で安い飯を食ったり、すっかり花が散って葉桜になった木の下で昼寝をしたりしながら、何の変哲もない小さな端末で「秘密の竜図鑑」を読み解く作業に没頭していた。小学校以来、何年ぶりかで真面目に取り組む自由研究みたいな気分だった。
「俺がドライフをやったときの竜は、見た目は可愛かったけど能力は危なかったよなぁ」
 ドライフとは、人間が竜の伴侶に選ばれて数ヶ月間を共に過ごす役目のことだ。選ぶのは竜で、その基準は不明(目的も不明だ)。世界に竜が何頭いるのか、どんな種類の竜がいるのかもよく知られていない。その希少性から密猟者に狙われやすく、たとえ鱗一枚であっても売買は禁じられていた。
 ドライフに選ばれる確率というのは買ってもいない宝くじの一等に当たるようなものだ、なんて言い回しもあった(大学図書館の古い新聞で見つけた)。大昔は山や滝の神様として伝承の中に姿が見られることもあったらしい(文学部の資料室で調べた)。現代では普通に暮らしていて野生の竜に出会うことはまずありえない。つまり、そもそも竜を見たことがある人の方が少ないし、中には竜は空想上の生き物だと信じている人もいる(5年前に行われた調査では千人のうち約2%の人が「存在しない」と回答していた)。
 俺は、高校3年になる春に「買ってもいない宝くじの一等」に当たった。
 あっという間に約半年のドライフ期間は終わってしまい、後にはわずかばかりの特典が残された。この秘密の竜図鑑もそのひとつだ。ドライフ経験者専用サイトで閲覧できる、一度見始めると面白くてやめられない危険なデータベースだった。外見、性格、好き嫌いの特徴に、特殊能力の有無など項目は多岐にわたり、自由記述欄に「足の裏をくすぐると喜ぶ」なんてことまで書かれている竜もいた。うらやましい、俺もくすぐってみればよかった。一方で、体長や外見の記録しかない竜もいる。たった一度のドライフ経験で、すべての情報を網羅することなどできないのだ。
 竜図鑑はドライフ経験者たちが自分の関わった竜の情報を登録して成り立っている。俺がこの専用サイトに初めて招待され、ログインしてまず最初にやったことも、自分が出会った竜の特徴を登録することだった。登録者名欄にローマ字でエキモト・キイチと入力したときは誇らしい気持ちになった。
 図鑑の画像データに堂々と写真が掲載されている竜も少なくないことには驚いた。まてまて、竜の撮影はドライフの規則違反ではなかったのか。ハナさんに聞いてみると「このサイト内に限り公開可」とのことだった。よほどセキュリティが堅牢なのか、データを流出させない自信があるらしい。
 規則を破った者だけがサイトに写真を掲載できるなんて腹立たしい。そう思いながらも俺は自分の端末にこっそり保存しておいた秘蔵の画像データをぱぱっと選んで、鼻息も荒くアップロードした。あの可愛い生物が俺一人のものだった瞬間を世界中に自慢できる唯一の場所なのだ、ここは。なんだか猫自慢投稿サイトみたいだな。ふと我に返ったが写真は取り消さない。俺が登録した図鑑のページは最強に可愛くなった。
 ちなみにハナさんというのは、俺に「宝くじ」の当選を知らせにやってきたエセ公務員のあだ名だ。一度だけ本名を教えてもらったことがあったけど、漢字が難しすぎて読めないし書けないので俺はハナさんと呼んでいる。俺をこのサイトに招待してくれたのもハナさんだ。
 サイトの情報は全部英語、もしくはその他の外国語で、日本語の情報は皆無だった。知りたいことを調べるためには少なくとも英語が必要不可欠だ。このフラワードラゴンのページも元は英語とフランス語(だと思う)で書かれていたのを、自力で少しずつ日本語化していった。そう、せっかく調べた情報も英単語もしばらく経つと忘れてしまうことに気付いたので、サイト内に自分用の日本語ページをこつこつ作り始めたのだ。今のところお咎めはない。誰も利用しないので気付かれていないのだろう。
 大学入学時に振り分けられた基礎クラスには50人ほど同級生がいたが、連休で帰省するやつは思った以上に多かった。国際大学という名前は伊達ではなく、全国からこの大学の国際ナントカ科に入りたくてわざわざ受験したという学生もいた。俺は元々住んでいた安アパートから通えるという理由でここを選んだ。他にもまぁ、ちょっと外国語を勉強して国際交流できたらいいなとか、つまり、ちょうど良かったのだ。
 だが進路指導教官には「エキモト、お前こんな時期にいきなり無茶を言うな、絶対今年は無理だから浪人を覚悟しろ」と脅され続けた。高校での2年と半分の間ずっと最下位クラス常連だった俺の学力も内申点も、この国際大学への合格判定はEだと断言していた。だけどそういえば、諦めろとは言われなかったな。塾や予備校の話も出なかった。教師はだいたい俺んちの事情を知っていた。つまり俺が高校入学時から一人暮らしをしていて、親が勉強に関する資金援助をしないという事情は教師の間で割と有名な話だったらしい。

『――ってわけで国際大に行きたいんだけど、教師が無理っつってる』
 高校3年の秋も深まった頃、俺はハナさんにメッセージを投げた。俺たちは別に友達ではないが、進路の話をできそうな知り合いがそのときハナさんの他にいなかったのだ。
『参考までに、直近の試験結果と内申点は?』
 すぐにハナさんらしい返信がきた。ハナさんが参考までにというのは、意見を述べてやるから情報を寄越せという意味だ。ちょっとずつハナさんの言い方がわかってきた。俺は正直に答えた。その日、ハナさんからの返信は二度となかった。
 そして翌日、返信のかわりにハナさん本人が部屋にやってきた。アパートの呼び鈴をリンリン押してくる。それインターフォンじゃないからまわりにもうるさいしやめて、と思いながら急いで出ると、見覚えのある地味な灰色のスーツ姿のハナさんが、きっちり七三にかためた髪型の下に細いフレームの眼鏡をかけて一分の隙もなく立っていた。
 そこから思いがけず始まった地獄のスパルタ猛勉強については、あまりよく覚えていない。結果として俺の模試の点数は急上昇し、こうして無事に合格もできて進路指導教官には我が校始まって以来の奇跡だなんだと大騒ぎされた。朦朧とした冬の思い出の中、毎日のようにうちに来ていたハナさんの格好がスーツではなくなり、髪型もどんどんラフになっていったことはなんとなく覚えている。ハナさんの本来の仕事が何なのか、俺はまだ知らない。
 サークルには結局入らなかった。竜研究会というものがあって興味が湧いたが、ドライフ経験者はそういった同好会との接触は控えるように指導された。ドライフの規則を一体誰が決めているのか知らないが、ドライフ経験者専用のサイトにまとめられている「よくある質問」に書かれていた。
 かわりに独自で調べ始めたのだが、大学の図書館をあたっても専門的な書籍は見つからず、情報はあの会員制のサイト内にしかないのだということを理解した。それでこうして一人でのんびり自由研究をやっている。英語の勉強にもなって一石二鳥だ。サークル仲間ってやつに憧れはあったけど、ま、いいさ。
「……ぁふ」
 遠慮なくのびのびと欠伸をする。長閑な陽気の中、木陰でごろごろする幸せ。昼寝から目覚めた俺は、途中で手から落っこちていたらしい端末を拾おうと起き上がった。ひらりと花びらが舞う。
「ん?」
 あらためて木を見上げる。視界を圧倒する満開の桜。
「んんん?」
 とっくに葉桜だった木には存在しないはずの桜色が、見ているうちにもちらちら、はらはら、そして次第にわさわさと散り始めた。目もくらむ花吹雪の向こう側に、きらりと緑色に光るものがまたたいた。全身ピンクで、目が緑、鱗は花弁にも似た――
「ぶ、わぷっ!」
 急に花びらの勢いが強くなり、全身に吹き付けられて思わず顔をそむける。ぱっと振り返ったときには、もうそこに何の姿もなく、辺り一面を桜色に染めながら、元通り葉桜のままの木があるばかりだった。
 ドライフ、竜との巡り合い。あんな奇跡は二度とないだろう。生きてるうちに他の誰かがドライフをやる場面に遭遇する可能性も期待薄だ。そう思っていた。だけど今、そこに。
 俺は夢中で通話を発信していた。3コール目でぷつ、とつながる。
「ハナさん! ハナさん、いま俺、そこに野生の竜が──」
『こちらは纐纈はなぶさです。発信音の後にメッセージを録音してください……』
 耳に届くのは穏やかな自動応答。ああ、ハナさんが電話に出るはずがなかった。
 機械音声が俺の心を少しずつ冷ましていって、ピーッという音が俺に現実的な問題を思い出させてくれた。
「……もしもしキイチです。あの、今たぶんフラワードラゴンてやつが現れて、そこらじゅうに鱗を撒き散らして消えてったんで、この鱗ぜんぶ回収しないとヤバいと思うんだけど……、ひとりじゃ無理なんで早く助けて」
 留守電に残したメッセージをできるだけ早くハナさんが聞いてくれますように。祈りながら通話を切り、ふわふわの薄ピンク色の鱗花に埋もれた俺は、ただ空を見上げるばかりだった。


Webanthcircle
サークル名:えすたし庵(URL
執筆者名:呉葉

一言アピール
「ところでフラワードラゴンの鱗を集めてたっぷりの砂糖とレモンと一緒に煮詰めるとジャムになる。香りもいいが、見た目がとくに綺麗な桜色でご婦人方には人気だ」
「ハナさん!? 売買禁止だよな!?」

竜と人のアンソロジー『心にいつも竜を』に掲載した「ドライフ・ライフ」の一年後です。挿絵のZARIさんに感謝を!

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