花の命は短くて

 彼女は『花』が好きだった。
 その『花』はとても美しく、時に人を神秘と魅惑の世界にいざなう。しかし、その『花』はとてもはかなく、ひとたび手に取るとたちどころに消えてなくなってしまう。人々はその『花』を、ある時は一瞬の美の象徴として称え、またある時は幻想の世界からの使者として崇め、世界の歴史と共にその『花』は咲き続けてきた。
 世界のどこにでも咲くわけではないその『花』は、しかし時に人々に恐ろしい猛威を振るう。美しく咲き誇り続けたその『花』は、まるで世界と共にあることを拒むかのように、世界を傷付け、人々の生活に尋常ならざる重荷を課す。それは、まるで人々と、世界に試練を与えようとしているかのようでもある。
 それでも、人々はその『花』に魅せられ続け、『花』の咲く季節の到来を待望し、そして歓迎する。人々は『花』と戯れ、『花』を別の形あるものに作り替え、『花』がもたらす恵みを余すところなく享受する。自然の中に咲き乱れた『花』は、時の過ぎ行く中でいつの間にかその姿を消し、また咲いては消え、そしてまた咲いては消えを繰り返してきた。それはこの世界が形作られた時から連綿と続く、有と無の競演でもあった。
 彼女もまた、そんな『花』に魅せられた一人だった。彼女は『花』の咲く季節になると、それを愛おしそうに窓から見つめていた。無数の『花』が舞い散る光景は、彼女にとってこの上ない幸福と安息をもたらしてくれているように、私の目には映った。しかし、彼女はその『花』に触れることはできなかった。触れたいと心から願っても、身体がそれを許さなかったのだ。
 だから、彼女はいつでもガラス越しにしかその『花』を見ることができなかった。私は一度でいい、たった一度でいいから彼女に『花』を触らせてあげたかった。しかし、それは決して叶わない願いだということは私も分かっていた。でもいつの日か、また次の季節が来た時に、そこで叶わなくてもまた次の季節に、とその機会が到来することを祈り続けた。

 そんなある日、ふと彼女が言葉を漏らした。「あの『花』が見たい」。それは無理だと私は言った。今は『花』の咲く季節ではなかったから。しかし、彼女は言い続けた。まるで呪文のように「あの『花』が見たい」と。彼女とて、あの『花』の咲く季節が分からないはずはないだろうに、何故今になってそのようなことを言うのか。
 そこで私ははたと気付いた。これは彼女の最後の願いなのだと。彼女はもう理解しているのだ。自分が次の『花』が咲く季節を迎えることができないと。だから、彼女は自分を虜にし、この世界に留め続けたあの『花』に一目会いたいと願ったのだ。叶うはずのない願い。しかしなんとかして叶えさせてあげたい。気が付けば、私も彼女と一緒に祈っていた。あの『花』が咲きますように。それは、もはや祈りというより彼女の心そのものだった。
 私は、例え願いが叶わなくても、彼女のそばを離れたりしないと誓った。あるいは、私も彼女と一緒に『花』を見たかったのかも知れない。このような形で最後の機会が訪れるとは夢にも思わなかったが、しかしそれが私の心に一つの決意を宿らせる。彼女に『花』を触らせてあげよう。それでなにが起こっても構わない。もう、彼女は覚悟を決めているのだから。
 その時、窓の外の様子が変わった。あれは『花』か? 私がそう思った時、彼女は誰に言われるでもなく自分の意思で窓を開けていた。今まで一度も開かれることのなかった窓。それが、彼女の手によって今、初めて開かれた。そこには、確かに『花』が咲き始めているのが見えた。そんな、どうして。まだ『花』が咲く季節には早いはずなのに。こんなことが、どうして起こり得るのか。
 しかし、そんな私の疑問は彼女の笑顔の前に消し飛んだ。これはまさに奇跡と呼ぶより他にない。もし、それ以外の呼び方が必要であれば、彼女の強い願いが天に届き、彼女に『花』を見せてくれたのた。私は彼女に言った。『花』を手に取ってごらん。今なら誰の邪魔も入らない。ずっと願い続けた、『花』に触ることのできる機会が、ここにきてついに訪れた。
 彼女は私が手を伸ばすのに従い、一緒に手を伸ばした。窓の外に手を出したのは、彼女にとって初めての経験だった。そして、差し出した手のひらに『花』が一輪こぼれ落ちた。それは彼女にとって初めての感触だった。これが『花』の本当の姿。今まで見ることだけしかできなかった『花』に、彼女はついに触ることができたのだ。
 しかし、『花』は彼女の手にこぼれ落ちた途端、音もなく消えてしまった。まるでそれが触れてはいけないものであるかのように、『花』は原形をとどめるどころかその影すらも残すことはなかった。その後も、『花』は何度も彼女の手にこぼれ落ちていった。そのたびに姿を消し、またこぼれ落ちては姿を消す。それは命というもののはかなさを体現しているようでもあった。
 私も彼女と一緒に『花』の感触を味わっていた。私にとっては季節の変化を思い知るものでしかなかったその感触。しかし今は違っていた。彼女と一緒に味わうその感触は、今まで体験したそれとは全く質の異なった、まるで初めての経験であるかのように新鮮だった。彼女の、初めて『花』に触ることができたことへの喜びの念が、私にも伝播しているような感覚だった。
 しかし、それも長くは続かなかった。彼女の身体が突然膝から崩れ落ちた。慌てて私が抱き起すと、彼女の両の瞳はすでに閉じられていた。ついに訪れてしまった現実を前に、にも関わらず私の心は自分でも驚くほど穏やかだった。彼女が、まるで幸せそうに微笑んでいたのを、私はこの目で確かに見た。私の腕の中で動かなくなった彼女を、私は無言で抱き締めた。

 それから時は巡り、私は『花』が咲く季節を迎えるたびに彼女のことを思い出す。彼女は本当に幸せだったのか。大好きだった『花』に触ることができて、本当に未練はなかったのか。それを知る術は今となっては一つもない。しかし、ただ一つ言えることがある。私は彼女と共に『花』に触れたあの日のことを決して忘れたりはしない。彼女と共に過ごした思い出の中で、あれほど深く印象的なものはなかったからだ。それは、もしかしたら私も彼女と一緒に『花』に魅せられていたのかも知れない。『花』の持つ神秘と魅惑に、私もいつの間にか虜になっていたのだろうか。
 そして、またこの街に『花』が咲く。
 彼女は一体どこで、どんな思いでこの『花』を見つめているのだろうか。


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サークル名:徒然なる世界(URL
執筆者名:リュード

一言アピール
掌編ではありますが、久しぶりの一次創作です。『花』の正体は果たしてなんなのか、そんなことをあれこれ想像しながら書きました。楽しんでいただけますと幸いです。

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