花売り娘と薔薇の少女
「お、お花は、いり、ませんか……。」
か細い声で往来に声をかける、その女の子は震えていました。女の子は裸足で、服も、ボロ切れの雑巾のような布一枚でしたけれども、女の子が震えていたのは、寒さだけが理由ではありませんでした。
この、やせっぽっちの女の子は、どんくさくて、ぼーっとしていて、ほかの子ども達のように、スリでお金を稼ぐことができず、おかしらに怒鳴られて、殴られてばかりいました。
おかしらのためにお金を盗んでくることができない女の子は、いつもお腹をすかせていました。働いて、お金をたくさん持ってくる子には、おかしらはたくさんごはんを食べさせてやり、ときには甘いものまで与えるのですが、女の子は愚図で役立たずだったので、ごほうびのごはんがもらえるはずがなかったのです。
まわりの子どもたちも、そんな女の子をバカにして、わらっいました。おもしろがって、なぐったりふんづけたりしました。
それだけなら、女の子はまだ、がまんすることができました。
なぐられたり、ふんづけられたり、つばを吐かれたりしている間は、ただ黙って、じっとうずくまってがまんしました。
どうしてもおなかが空いたときには、ゴミ箱の残飯をあさったり、野良ネコのくわえている魚を奪って食べたりして、空腹をしのいだのです。
しかし、1Gも稼げない女の子に、おかしらは、とうとう我慢ならなくなったようでした。女の子に、道ばたに咲いていた花を摘み取って紐で束ねたものを籠いっぱいにつめこんで、女の子に押し付けたのです。
「1束500Gで売ってくるんだ。いいか、買ってくれたお客様に何をされても、暴れるんじゃねえぞ。全部売れるまで帰ってくるな!! 良いな!?」
女の子は真っ青になりました。女の子は、少しぼーっとしたところはあるけれど、おかしらが自分にさせようとすることがわからないほど、無垢な子どもでもありませんでした。
小さいお花をそのまま売るなら、普通は5G、どんなに高くても10Gを超えることはありません。500Gは、お花のねだんではありません。そんなものよりも、もっともっと、お客さま……特に、おとなの男の人が喜びそうなものの値段です。
……つまりは、花が売り切れるまで体を売って稼いで来いと、そう命令されたのでした。
「お、お花はいりませんか……。」
本当は、こわくてたまりませんでした。知らない人にどんなことをされるのか、不安でしかたがありません。
でも、おかしらに逆らう、という考えは女の子の頭には浮かびませんでした。
知らない人に体を売るのは、女の子にとってははじめてのことでした。おかしらのところに集まる子どもたちの中には、そういった仕事をしている子も、少しいるようでしたが。
「500G、一本、500G、です……。どうか、お花を、買ってください。」
お花はなかなか売れません。たいていの大人は、女の子を無視して通り過ぎていきます。
このままでは帰れない、どうしよう……そう思って、女の子がうつむいたその時でした。
「君、本当に500Gで売っているのかい?」
顔をあげると、大人……おかしらよりも年上に見える男の人が、女の子を見下ろしていました。顔を見てみると、ニヤニヤと笑っています。
「は、はい……。」
「そうか、そうか。じゃあ、自分がどうすれば良いのかも、わかっているんだね?」
「……はい。」
男の人は、女の子の肩に手を置きました。びくり、と女の子のからだが震えます。
からだを売る、と言っても、具体的に何をしたらいいのか、女の子はわかりません。ただ、何があっても暴れたり逃げ出してはいけないと、おかしらは言っていました。
全身をさわられ、抱きしめられるのは、なぐられるよりは良いかな。どんなにイヤなことがあっても、がまんして、がまんして、がまんしていれば、きっとすぐに終わると思いました。
「だいじょうぶだよ、やさしくするからね……。」
男の人は、息を荒くして、女の子の耳に熱い息をふきかけてきます。
ぞわぞわ、と悪寒が走りました。でも、がまんしなければいけません。だって、この人ひとりでおしまいではないのです。
お花が売り切れるまで、この人のほかにも何人も何人も、相手をしなければならないのです。じっとこらえなければ。がまんして、がまんして、がまんして、がまんして、がまんして……。
べろり、と男の人が女の子の耳を舐めました。
「いやあああああっ!!」
女の子は、男を突き飛ばしました。男がよろけた隙に、女の子は自分でも信じられないほど速く、駆け出しました。
「てめえ、この糞ガキがああああ!」
男の怒鳴り声が、後ろから聞こえました。女の子は、もうすっかり青ざめてしまって、無我夢中で逃げました。
裸足が、道端の小枝や石に引っ掛かって、血が流れても、立ち止ることはありませんでした。
やがて、とうとう女の子は立ち止りました。いつの間にか、雪が降っていました。
男は追いかけてはきませんでした。しかし、ああ、どうしましょう。女の子はこれで、帰るところがなくなってしまいました。
足は血だらけで、お腹もすいて、寒くって、そしてとっても眠いのです。もう動けない、と思いました。
……顔をあげると、見知らぬ通りに立っていました。そして、女の子の目の前には、素晴らしい景色が広がっていました。
女の子の目の前にあったのは、大きな門でした。格子の間から覗いてみると、夕日を閉じ込めたような暖かな光をともしたガス灯が、ずらりと並んで、一直線に大きなお屋敷へと伸びていました。
ガス灯の光に淡く照らされたお庭には、寒いのにもかかわらず、綺麗な花……薔薇というのですが、女の子はその名前を知らないのです……が数えきれないほどたくさん咲いています。
そして、遥か遠くに見えるお屋敷は、大きくて、立派で美しくて。まるでお城のようでした。中からは、暖かそうな光が見えます。窓辺には、これまた美しいお花が飾られているようでした。
それは、この街で「薔薇の館」と呼ばれる美しいお屋敷でした。これは、この街で一番のお金持ちの、伯爵家のお屋敷だったのです。
そんなことは知らない女の子は、涙を流して手を合わせて、神様に感謝しました。
死ぬ前に、こんなにきれいなものを見せてくれて、ありがとうございます、と。
そのまま、女の子は力尽きて、その場に倒れました。その顔は、とても満足そうに、ほほえんでおりました。
「……あら、気が付いたのね。」
女の子が目を開けると、花のように美しい少女が、自分の顔を覗き込んでおりました。ちょっとだけ、女の子より年上のように見えました。
「天使、さま……?」
女の子は思わず言いました。こんなに美しい少女を、今まで見たことがなかったのです。
「そんなに、やさしいもんじゃないわ。」
美しい少女は、ふん、とわらいました。
女の子は、あたりを見回しました。女の子は、ふかふかで清潔なベッドに寝かされていました。ここは、なんだかとても暖かくて、明るくて、天国なのではないかしらと思いました。
「ウチの前で倒れているからびっくりしたのよ。……さ、まずはこれを食べて。それから私の話をお聞きなさい。」
そう言って女の子が指し示したのは、コップに入ったお水……泥水ではありません!……と、湯気が立ち上るスープでした。
「ほ、本当に食べていいの……?」
女の子はとまどいました。これまで、稼げない子は食べられないのが当たり前だと思ってきたのです。助けられて、おまけにただでご飯を食べさせてもらえるなんて。もしかして、毒でも入っているのではないか、とイヤなことばかり考えてしまいます。
「この私が食べなさいと言っているのだから、素直にお食べなさい!!」
美少女は、もじもじしている女の子に腹を立てたらしく、スプーンでスープをすくってふーふーと冷ますと、女の子の口に運んでくれました。
それは、信じられないほどおいしくて、あたたかかったのです。女の子は、そのあと自分で食べようとしましたが、スプーンなんて使ったことがなかったので何度も落としてしまって、怒った美少女が結局最後まで食べさせてくれました。
「礼儀作法はこれから覚えてもらうとして……さて、一宿一飯の恩を受けたからには、あなたには私に報いるセキニンがあると思わない?」
美少女は、両手に腰をあてて、ベッドに半身を起こした女の子に、大きな声で言いました。
「選びなさい? またあの凍えるほど寒い外に戻って野垂れ死ぬのか。それとも、死ぬ気で私に一生仕えるのか!!」
美少女の声は、大きいけれど、おかしらの怒鳴り声のように怖くはありませんでした。
「……わたしには、もう帰るところがありません。どうか、ここではたらかせてください。」
そういって、女の子は頭を下げたのでした。美少女は、それを見て満足そうに笑いました。
「……ところで、あなた、お名前は?」
そう訊かれて、女の子は困ってしまいました。女の子は、もうずっとずっと名前を呼ばれてこなかったからです。
だから、正直に「わかりません」と応えました。
「そう……名前がないなんて、不便だこと。……そうだわ。わたしが、あなたの名前をつけてあげる。光栄に思いなさい?」
「は、はい……。」
「そうね……アイヴィー、アイヴィーが良いわ。」
「あい、びー?」
「そうよ。そして、わたしの名前はローザ。これから、精いっぱい仕えなさい?」
蔦と薔薇のように、お互いを支え、切っても切り離せないお二人は、こうして出会ったのでありました。
サークル名:藤つぼ(URL)
執筆者名:藤ともみ一言アピール
TRPGが大好きで、遊んだ記録を元にしたリプレイ風ファンタジー小説や、そこで登場したキャラクターの前日譚・後日談を中心に書いていましたが、最近、オリジナル作品が書けるようにがんばっています。『軽めに読めるファンタジー』が目標。バトル描写が苦手なので、最近は特撮見ながら勉強中。