花は軌道に消える

(※この話は史実を参考にしたフィクションです)

 戦後七十年以上が過ぎ、従軍経験のあった人々の殆どが鬼籍に入ってしまった。
従軍した当時の大人ではなく、我々が戦争の惨禍の中で、流され、苦しむしか無かった子どもたちにヒアリングの対象者を移したのもそういった理由による。

 駅の子、街の子と言われ、都市部を彷徨った戦災孤児たちも現在、多くが八十代を迎えている。
 彼らが戦争を知る時代の最後の証言者である。

 我々が戦災孤児だった人々から当時のヒアリングをしている、ということを知り、連絡してきた中に以外な人物がいた。
 池脇源太郎。かつて、関東一円を拠点とした池脇組の組長だった人物である。暴対法のあおりを受け、十五年ほど前に組は解散しているが、現在において、裏社会との関わりが完全に切れているかは不明である。
 池脇組はバブル期には地上げ屋として知られていた。池脇は名言はしなかったが、証言の中で語られるブンちゃんとは、元不動産会社社長で、二〇〇五年に死んだ田端文蔵のことで間違いはあるまい。

 内容は非常に興味深く、重要であると考えられる。しかし裏取りできない部分も多いため、この文章を読む数人を除き、当分の間は非公開にしておきたい。

●池脇源太郎の証言

 このようなことを語る気になったのは、自分の人生の終わりが見える年齢になって、あの時、見たもの聞いたものを黙ったまま死なない方がいいな、と思ったからですな。
 戦災孤児の上がりだということは、特段、秘密にしていた訳ではないんですがね。でもどっか恥だと思っておりました。

 俺は横浜で空襲にあってお袋と兄貴をなくし、親父は招集されて、南方へ行ったきりになっていて、遠い親戚をたらい回しにされることになりまして。
 で、邪険にされているうちに飛び出して流れ着いたのが渋谷駅だった訳です。終戦の年の秋のことで俺は十一歳でした。
 渋谷一帯も空襲で殆ど焼けてしまって、駅前のあたりも、今はなんだか気取っていやがる青山の辺りも焼け野原になっていました。焼けなかったのは松濤の辺りだけでしたね。
 大人たちは、焼け跡にバラックを建てて生活しはじめていて、周辺の子どもたちも次々と疎開から帰ってくる。校舎なんか焼けちまってるもんですから、青空教室って言って、屋外で授業し始めたりしていた。
 とは言え、俺は浮浪児でしたから、学校になんか通えるはずもありませんでした。学校に通っている薄汚い子供たちは、より汚い浮浪児の俺たちを見つけると、石を投げてきやがるんです。
 大人たちも酷いもんでしたね。本当にゴミでも見るような目で俺たちを見てくるんです。
 全く、なんで俺たちがこうなったのか知ってるくせにね。たまたま親子が一緒に生き残ったことがそんなに偉いのかと。

 で、そんな中で出会ったのが同い年のブンちゃんでした。ブンちゃんも空襲で親を亡くして、しばらくは戦災孤児のたまり場として一番大きかった上野にいたらしいんですが、喧嘩したかなんかでいられなくなって渋谷に流れ着いて来ていました。
 しっかりした子でね、笑顔を見せたりもするんだけど、何か冷めたような暗い眼差しの男の子でした。まあ、戦災孤児なんてみんな地獄を見たからそうなってしまったんで、俺もまたブンちゃんみたいな顔をしていたんだと思うんですがね。
 ブンちゃんと知り合って、二、三週間もしたころでしょうかね。
「ない!」ってブンちゃんが叫び出したんです。「何が?」って聞くと「飯盒(はんごう)が」って。飯盒って、「飯でも隠し持ってたのか」って聞くと、「違う、食べ物じゃない」って。
 すると少し先から、「ひゃあっ」って悲鳴がしたんです。別の戦災孤児、二、三人でしたかね、たむろしている間から飯盒が滑り落ちた。
 ブンちゃんが隠し持っていた飯盒を食べ物だと思って盗んだ奴らが、中を見て驚いて落としてしまったところでした。
 ブンちゃんは血相を変えて「返せ!」って叫んで、俺もその後について行くと、飯盒の中身はかなり砕けてはいましたが、誰かの骨でした。
 ブンちゃんは地面に転がり落ちた、白いものを必死になってかき集めると、飯盒を盗んだ連中は怯えて走り去って行きました。
 飯盒に骨を詰め終わると、中の骨はブンちゃんの妹だと教えてくれました。三月の空襲で母親が死んで、俺と同じように招集されたっきりの父親の行方が分からなくて。四歳の妹と一緒に放り出されたんだけど、終戦の少し前に飢えて死んじまったんだそうです。
 ブンちゃんの親戚とか近所の人とかはどうなっていたのかは、聞かなかったのか、忘れてしまったのか、ともかく俺は覚えていないんですが、ブンちゃんは、「大人が優しくしてくれたのは、ハナコの骨を焼いてくれた時だけだ」と言っていました。
 ブンちゃんの妹は、そのハナコっていう名前で、ブンちゃんは「その名前にふさわしいようにいつか綺麗なところに埋めてあげたい」って言って、焼け跡で拾った飯盒に入れて持ってたんです。
 その頃の渋谷は、今のスクランブル交差点から、センター街の辺りに大きな闇市ができてました。それから、代々木練兵場だったところを進駐軍が接収して、ワシントンハイツっていう名前になって、進駐兵たちが住みはじめて、その連中が円山町の女と一緒に歩いていくのをよく見かけましたね。で、俺はブンちゃんといつも大体一緒にいて、闇市や駅の周りで拾ったシケモクやら、空き缶を拾っては生活費にしてました。もうずっと腹が減って仕方なかった。本当に腹が減った。
 そんな中で唯一、俺たちにこっそり食べ物を恵んでくれたのが、台湾人のすいとん屋のワンさんでした。台湾とか朝鮮とか、日本の植民地だったところの人たちは、その頃、日本人はなくなって、でもどうすべきなのかってまだ決まっていない宙ぶらりんの状態で、闇市に集まって来ていた。
 朝鮮人もいましたが、渋谷は台湾人が多かったですな。で、特に今のセンター街の辺りに溜まっていたんです。ワンさんは一度招集された大陸で足をやってしまって、引きずるようになってしまったんで、太平洋戦争では兵隊に行っていなかった。
 日本名はあったんでしょうが、誰も知りませんでした。ワンさんは夜になるとこっそり残りのすいとんを俺たち浮浪児に恵んでくれていたんですな。だから、俺たちは餓死にしなかったし、ギリギリ盗みもしないで生きていけた。

 とは言えね、俺たちは男だったから、まあそんな風に生きていけたんで、女の子はね、大変でしたよ。まあ、そのね。
 俺たちと同い年だったんですが、身体が小さくてね、もうちょっと幼く見えるトミちゃんっていう女の子がいたんですよ。
「私は幼くて、色気も何もないから」
 なんて俺たちと話してまもなくですかね。新しい年を迎えるかどうかぐらいの時期でしたかね。寒い朝でした。トミちゃんは死体になって見つかりました。宇田川にかかっていた橋のたもとで。
 首を締められて、まあ、そういうことをされて。
 思い出しただけで胸糞の悪い話です。本当に。

 でも、浮浪児なんて、何もしなくたって餓死していくものだったんです。殺されたところで、犯人なんて見つけてくれないだろう、って思っていました。
 ですが、予想に反して一週間もしないうちに、犯人が捕まりました。
 ワンさんでした。

 その頃、台湾人の露天商と、日本人の露天商と警察、の間のいさかいが大きくなっていまして、台湾人たちは、台湾人に濡れ衣を着せたんだ、追い込む口実にするために、日本人の罪を被せたんだ、って言ってました。
 俺もワンさんのすいとんで命を繋いでいたから、そう思いたかった。
 だけど、ある浮浪児がトミちゃんが死体になって見つかった前の晩、駅の裏手で寝ていたら、橋の方に向かっていく、ズッ、ズッという、音を聞いたと言っていたんです。幽霊かなんかじゃないかと思って怖くて目が開けられなかったそうなんですが。足の悪いワンさんが歩く時も、そんな音がするんです。
 ああ、だから、俺はワンさんが俺たちにすいとんを恵んでくれていたのは、親切心からなんかじゃなかったんだって合点しました。
 食べ物を恵んで警戒心を解かせながら、その歪んだ欲望をぶつける相手を物色していたんだって。トミちゃんもワンさんになら、間違いなくついていったでしょう。
 結局のところ、俺たちには日本人だから、とか、台湾人朝鮮人だから、っていうのはなくなって、大人なんてものは誰でも信用できないんだって、深く刻み込まれましたな。あん時に。

 で、ワンさんが捕まって、すいとんが食べられなくなったもんですから、もう俺とブンちゃんは盗みを働くしかなくなりましたね。
 闇市で、ちょっとこう田舎者っぽい奴が、買い出しの籠を置いた隙に、置き引きしたりね。青山の辺りのバラック小屋では、今ではもう考えられないですけど、小屋の前にちっちゃい畑を作っていたりしたんです。
 冬だったから、大根とか蕪だったと思うんですが、そういう畑から盗んだりね。
 そうやってなんとか俺たちは冬を越しました。
 周りには死んだ子もいましたよ。飢えと寒さで朝になったら息をしていなかった子も。

 ようやく暖かくなった頃でしたね。放っときゃ盗みを働く、目障りな浮浪児をなんとかしろってんで、ようやく政府も重い腰を上げましてな。とは言え、その時は、保護なんてもんじゃありませんでした。
 人権とかそういうものは、だいたい、GHQが言うまで忘れていたんです。この国は。知らなかったのかな。まあいいや。ヤクザだった俺には関係のない話でさあ。そういうことは専門家に聞いてください。
 刈り込みっていいましてね、警察とか役人が、一匹二匹と浮浪児を捕まえちゃ、トラックに放り込んで行くんです。家畜みたいにトラックの荷台にギュウギュウ詰めにして攫っていくのを見たら、その先にましな生活があるとは思えないですよ。
 だからきっと、「どっかに送られて、まとめて銃かなんかで殺されるに違いない」って結論になりまして、ブンちゃんと俺はともかく見つからないように逃げ回ることにしたんです。
 そうして、十日ぐらいもした頃でしょうかね。
 別に刈り込みのトラックは毎日来る訳でもなかったんですが、やっぱり、逃げ回っていると、この辺で限界かな、進退窮まったかな、みたいに思い始めた頃、
 ブンちゃんが、「ハナコの骨を埋めたい場所がある」って言ったんです。隠してあった飯盒を取り出してきて、大事に抱えたブンちゃんについていくと、松濤の焼けてないあたりの、人の通らない細い路地に面した桜の木の下でした。
 ええ、ちょうど満開でした。
 もうね、垢まみれでボロっ布まとった俺たちには、眩しくて、眩しくてね。その花が。こんなに綺麗なものが、この世に存在していたのかと。
「そうだね、ここに埋めてあげるのがふさわしいね」
 って俺は言って、ブンちゃんと一緒にその木の下を掘り始めました。スコップなんか持ってやしなかったから、手でね。
 しばらくしたら、なんか背後から視線を感じたんです。
 振り向くとね、白いワンピースを着た同い年ぐらいの女の子がいました。松濤なんて当時から広い家ばっかりのところでね。そういう金持ちの子だったんでしょう。
 俺たちが振り返るとすぐに、その子は気持ち悪いものを見たっていう顔をして、走り去って行きました。
 俺たちは、また桜の木の下を掘り始めました。掘りながらブンちゃんは絞り出すように、
「トミちゃんを、食べ物が貰えるからって最初にワンさんのところに連れて行ったのは俺だったんだ」
 って言ったのが忘れられません。
「ブンちゃんのせいじゃないよ。悪いのはワンさんだし、それよりも前にトミちゃんを見捨てた大人だ」
 って俺は言いましたが、ブンちゃんの横顔は何かを噛み締めたようなまま、こちらを向かなかったのをはっきりと覚えています。
 だから、俺はここに、この美しいところに、ブンちゃんの妹のハナコちゃんと、トミちゃんの魂と、ブンちゃんの罪悪感を全部埋めなきゃならないんだ、そう思いました。
 二十センチか三十センチぐらいの穴が掘れて、さあここに骨を埋めてやるんだってなった時でしたね。
「おい、そこで何をしているんだ」
 って声がして、振り向くと警察官が立っていました。
 ああ、さっきの子が通報したんだって、思いました。
 振り切って逃げようとしたんですが、捕まりましてね。その警察官がどうやって二人まとめて捕まえられたのか、今となっては覚えていないんですが、腰に縄をかけられてしまったんで、観念して道玄坂を降りることになりました。ブンちゃんは着ていたボロボロの綿入れの懐に、中身を埋めそこねた飯盒を抱えていました。
 神泉のあたりまで下ってきたあたりで、俺たちを捕まえてきた警察官は、別の警察官と合流しました。井の頭線の線路の脇のところでした。
 で、二人がかりになったんで、ブンちゃんが懐に持っているものを出せって言うことになりまして、ブンちゃんは抵抗したんですが、あえなく懐からコロコロって飯盒が転がり落ちましてね。
 新しく合流した警察官が少し蓋のあいた飯盒を拾って、中身を見ると、「フン」って鼻で笑いやがりました。
 大分砕けてはいましたが、それが人の骨だということはわかったはずなのにね。
 そうして、あろうことかそいつは、中身を線路の上にぶちまけたんです。
「やめろ!」ってブンちゃんが叫んで駆け出そうとした時、警笛の音が鳴って、電車が滑り込んできました。
 焼け残った車両を寄せ集めて作った、外見なんか、ガタガタの車両だったんですけど、
 それが、俺たちの眼の前でハナコちゃんの骨を巻き上げて行きました。
 ブンちゃんは、その場で、震えながら崩れ落ちてしまいましてね。

 ああー、痛ましかった。本当に。本当に。
 その背中を俺はいつまでも忘れられない。

 その後、俺たちは、トラックに詰め込まれて、収容施設に送られました。途中、ブンちゃんは黙ったままでしたが、ぽつりと、
「恵まれている子供が憎い。親がいて、綺麗な服を着て、食べ物にも困らない子供が憎い」
 って言いました。頭の中にあったのは、通報した白いワンピースの子のことだったのでしょう。

 連れて行かれた先では、別に銃で殺されるなんてことは無かったんですが、同じように食べ物がなくて、鉄格子の嵌った檻のあるところでした。
 俺は逃げ出して、渋谷に戻って、ヤクザの手伝いをはじめて、ブンちゃんとは別れてしまいました。
 ブンちゃんも俺の後に脱走したそうなんだけど、渋谷に戻らずに、新宿で空き缶拾いして稼いだ金で自転車屋始めて、それから不動産屋になりました。わらしべ長者みたいに、あれよあれよという間に出世して。
 で、不動産屋とヤクザになって俺たちは再会して、俺はブンちゃんの仕事を大分手伝いましたね。地上げって形でね。
 バブルの頃はそれは羽振りが良かったですよ。それは話の趣旨から外れるんでアレですが。
 でも、バブルが弾けて、ブンちゃんの会社は大きな不良債権を抱えて、外資の手に渡って、それでブンちゃんは死んじゃいましたけど。自殺して。

 あの時ね、きちんとハナコちゃんの骨をあの桜の下に埋められていたら、俺たちの人生もまた違っていたんじゃないかって思うんですよ。

 あそこできちんと葬ることができなかったから、俺たちは、「金」っていうわかりやすい花にすがりつくしかなかった訳ですから。

(『フワつく身体』よろしくお願いします。終戦直後のこの話が間接的に繋がって、業を描いていきます。ご興味がある方はぜひ、サークルまでお越しください)

参考資料:

・青井哲人「渋谷-ヤミ市から若者の街へ」橋本健二/初田香成『盛り場からヤミ市は生まれた』2013年 青弓社

・伊野泰一/佐藤豊/堀口和正『目で見る渋谷区の100年』2014年 郷土出版社

・『渋谷は、いま』1982年 東京都渋谷区役所

・太田稔『重ね地図シリーズ東京 マッカーサーの時代編』2015年 光村推古書院

・『新編 渋谷区史』1966年 東京都渋谷区

・「NHKスペシャル“駅の子”の闘い~語り始めた戦争孤児~」日本放送協会2018年8月12日放送


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サークル名:すとわーるど(URL
執筆者名:須戸世界

一言アピール
90年代後半と現在を往復するミステリー『フワつく身体』にてテキレボ参戦いたします。こちらのアンソロに参加させていだたいたこの話しは、間接的に『フワつく身体』につながる終戦直後の渋谷の話です。

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