マヤ


少女画の有名な画家、サクラ・チヨコ。彼女の甥である悟はある日、チヨコの遺作である「幻の3639番」を相続するようにと言われるが。

 悩んだ。ジャンルは現代なのかファンタジーなのか伝奇なのか、いっそ恋愛なのか……童話や児童文学じゃない。心理的ではあるがどっちかというとファンタジーに近いのか。むしろ「少女」ってくくりが欲しいと思う。少女と怪奇は相性がよく、これもその範疇に入りながらも丁寧で、そして母性の香りがする。

 少女人形であるところのマヤからはチヨコの息づかいと少女の硬質で頑なな自我の匂いを感じる。恋愛ではないが濃厚で強い絆は母親と子、特に息子との関係性を連想させて、ここが「マヤ」の特異点なのだろう。

 少女人形のモチーフそのものは「観葉少女」とか歌とかでも出ているし、目新しいものではないが、ここに母親のイメージがかぶるのはちょっと珍しい。母親のイメージの中には温かな野暮ったさも含まれていて、美しくスマートな「少女」のイメージとは少し系統が異なるからだ。

 チヨコの強い願いと女神サラスヴァティーの恩寵がマヤを産み、悟をずっと見守ることになるのだろうが、そこにあるのは愛でもあり、業でもある。チヨコが(変な意味じゃなく)悟を愛していたことは強く感じるが、一面マヤを創作させる執着は業とも呼ぶべき情熱で、多少痛々しさも感じた。
 悟・チヨコ・マヤだけだと閉塞感が出てしまうが、山崎氏が入ることで緩急のリズムが生まれ、クラシカルな雰囲気を出すことに成功している。このおっさん、仕事はしているはずなのだが妙に高等遊民っぽい雰囲気がある。

 割合短い話なのでさらりと読めてしまうが、そのさらりの中に見過ごせない重大な棘があってそれに不意にひっかかれて痛いと思うような読後感。一応ハッピーエンドなので、それもちょっと不思議だ。

 男は死ぬまで「男性」であり続けるのに対し、女は「母親」でありつづける。母性本能なんて言葉は使い古しでもうクタクタな言葉だが、女性であるということは母であるということとニアイコールであり、逆もまた成立する。
 何故なら女は生まれたときから女であることを承知しており、即ち母であることを認識しているからだ──読了後、そんなことを考えた。

 男と女なんて話はこの物語の雰囲気からすると生々しすぎてそぐわないが、少女の殻の内側には何でも入るのだな、と思う一作。ちなみに「東京弁天」というシリーズらしい。サラスヴァティーは弁財天様ですからね。

 あえて誰におすすめということはしない。男性に読んで欲しいが、これを読んだ女性の感想を聞いてみたい気はする。


発行:宝来文庫
判型:A5 60P 
頒布価格:400円
サイト:だぶはちの宝来文庫

レビュワー:小泉哉女