猫と弁天/アヤメさま、宝船に乗る(2)


 墨田区にお住まいの中学1年生の女神アヤメさまと、友人のノラ猫(猫如来)が活躍する連作短編。
(サークルサイトより)

新人弁才天アヤメ様の視点で神様がたの営みを描く、東京弁天シリーズ最新作。
『猫と弁天』はスカイツリーのお膝元にて、ごくごくミクロに。
『アヤメさま、宝船に乗る』はツリーより遥か上、大晦日の空を往く七福神の宝船からマクロに。
それぞれ神様がた(※一部やや不明)のご利益と、その心根の在り処を語る。

こと琴線に触れたのは、2篇目『アヤメさま~』だった。
だがそれも、『猫と弁天』がやや消化不良に”なるように”綴じられていた事に由来する。
「もしかして、わたくしを試したのですか…」(本文より)

『アヤメさま~』はつくづく、八百万の神様がたへの敬意と愛情一色でつづられている。
妹萌えTシャツの大黒様や、船酔いで口からバックファイアする布袋様。
「ああいるわこういうオッサン」的な、プラスマイナスどちらの方向にも親しみを覚える神様がたの描写、その一つ一つがなんとまあ信心に満ち溢れている事か。
年越しの一夜に人里を巡り、懸命に悩みながら福を配って回るアヤメ様の御姿は、それこそ「ご利益」としか表現し得ない不思議な善意の力の実在を信じたくなる程に、そりゃもう萌え萌えだ。

そして、僕ら凡俗の知り得ない所でそうした営みが息づいている、そんな世界の構造をようやく想像できた所で初めて、ふっと『猫~』が脳裏を過ぎったのだ。

ああ……ずるいわー、ずっこいわーこれ(誉め言葉)

決して直には繋がらない2篇ではある。『猫~』がいなくても『アヤメさま~』は成立する。
だが、その2篇の奥に垣間見えるのは、信心の向かう先から零れ落ちてくる、疑うべくも無い神様がたからの暖かな優しさだ。
道端の地蔵とマリア像が同じ顔をしている事に気づいた(或いはそう錯覚した)瞬間のような、神がかり的な何かしらの存在だ。
神の愛? いやいや、そんな大それたもんではないだろうけどさ。

この国ならではの神様感で、福にまみれたひと時を過ごせる。
作者曰くの『代表作』に申し分ない逸品だ。

手前勝手に人の名を解釈する無礼を承知で、最後に申し上げるとすれば。
倭を語る、とはこうした物語の事を言うのだ。きっと。


発行:宝来文庫
判型:A5 72P 
頒布価格:500円
サイト:だぶはちの宝来文庫

レビュワー:トオノキョウジ