碧空尽 中国短編小説集三


 「龍の髭」を主宰する春秋梅菊さんによる古今の中国の王朝を舞台にした短編集の第三弾。
 日中戦争下、己のアイデンティティに揺れる日本人を主人公に描いた「祖と、故と」と、明代を舞台に個性豊かな武芸者が活躍する武侠小説『情に溺るるを知れば」の二作を収録。

 「祖と、故と」が描くのは、日中戦争という暗い時代を背景に、「祖国」である日本と、「故国」である中国のあいだで揺れ動く、中国を愛した日本人たちの引き裂かれんばかりのアイデンティティである。国を愛するということが、これほどまでに痛みを伴うのかと思わせる。それは、この作品が戦争の英雄や歴史の立役者を描いたのではなく、おそらく当時、たくさん大陸にいた「普通の人々」を描いているからこそだろう。そんな登場人物たちの前に、突如、まばゆいばかりの輝きを放って現れるのが女優「李香蘭」だ。まさにその身体に「祖」と「故」を抱く彼女の登場がこの作品に大きな深みを与えている。
 『情に溺るるを知れば』は明代の武侠小説をモチーフにした作品で、文句ナシでおもしろいピカレスクロマンだ。登場人物の個性豊かさには、誰であっても間違いなく心惹かれるし、主人公の朱濃の生き方は実にハードボイルドで魅力的なのだ。そんな彼の周囲に現れるライバルや敵、キャラクターが際だって実に楽しい。とても短編とは思えない仕上がりで、アクション映画を見た気分にさせてくれる。


発行:龍の髭
判型:A5 80P  
頒布価格:400円
サイト:龍の髭

レビュワー:唐橋史