先読


主人公「田西源五郎」は特殊能力者の一人である。能力は<<先読>>。これは他人の特殊能力を比喩的に知覚できる能力である。
彼は紙幣を販売する会社でアルバイトをすると同時に、依頼を受けて特定の人物の能力を<<先読>>する副業を行っている。
しかしアルバイトの身分だというのに、仕事は増え、全社をまきこむ企画を担当し、恋人とは疎遠になっていくのだった。

「異能力バトルものですか」
「異能はあるから戦えるんだけど、仕事しちゃうから戦わないんですよ」
 同人誌即売会「本の杜」のブースで清風氏とそんな会話をした。
 帯には「仕事やめたい」と書いてあった。
 ロスジェネ世代の何とか小説という惹句もあったように思う。それに興味を持った。
 どうやら主人公がサラリーマン的に会社に酷使されつつ、異能を展開する話らしいと思った。

 主人公「田西源五郎」は特殊能力者の一人である。能力は<<先読>>。
 <<先読>>は他人の特殊能力を比喩的に知覚できる能力である。知覚は読書行為的に行われる。発見し、読み、構成し、感想を抱く。対象への感情が影響するらしいが、能力者を構成する一要素をランダムに書き換えてしまうことまでできる(感想の力)。
 特殊能力者たちは自分の能力を自覚できないので、源五郎の能力は審判的で侵犯的である。
 彼はそれを活かして二足の草鞋を履いている。紙幣の販売と、依頼を受けて特定の人物の能力を<<先読>>する事である。なお、この世界の「紙幣」とは「書籍」のように流通しているものらしい。彼は紙幣の販売業務をアルバイトの身分で遂行している。

 仕事をしていると、人間には様々な能力があるのだなという感慨を抱く事が多い。
 役員や上司や部下やアルバイトのそれぞれに得手不得手がある。業務は合理的かつ論理的に遂行されることはまずなく、やる気や体調や好悪や友情や恋愛や向上心や見栄や趣味トークやタバコミュニケーションといった、どうでも良さそうなことの総決算として、排泄か化粧か悪魔の召喚か新生児か何かのように、どろどろと世界に放出されてしまう。ESPの一つや二つくらい余裕で使われてそうだと思う。
 源五郎は、その力で恋人や会社で働く人々の能力を見てしまう。能力者が多い職場らしい。恋人は<<蠱毒>>、冴えない正社員は<<透過>>、取引先銀行のお姉さんは<<草枕>>といった具合。個性をよく捉えた比喩のような気もするが、源五郎に物理的社会的な影響を及ぼすので、そこまで気楽なものでもない。
 おそらく会社で仕事をする人であれば、どこかで見たような人々だと思うことは多いだろう。自分が能力を持っているとすれば何かから始まって、社内政治のあれやこれや、上司と部下や取引先のあれやこれやを身に染みて思い浮かべる。あるいは愚痴とか友人知人の世間話のように耳を傾ける。
 それと同時に、会議室でタバコを吸うなんて信じられないとか、うちの会社の部長は同世代のこともあるよなぁ(ジョジョがわからないなんてダメだよと言われる)とか、自分の経験したことのない営業職の思考回路や仕事が面白かったり、深夜に電話をかけてくる精力にあふれてて公私の区別のない仕事の天才みたいな天災みたいな尊敬するけどみたいな人って遍在するんだとか、IT業界と出版業界の違いとか、徹夜とか夢のなかで仕事してましたとかのあるある話やら、実にリアルかつ夢幻的に錯綜した思いが沸き上がってくる。そして自分だってこんな話の一つ書いてみたいと思うのだけれども、作者の人文学的教養がくねくねとそれを拒否するので悶絶するしかないのだった。

 そんなサラリーマン小説(アルバイトだけれど)である一方で、恋人との浪漫的物語は、この作品は喧嘩別れした後の仲直りのためのラブレターだろうかと思うほど、傷と愛情と対話とわかりあえなさが描かれている。源五郎の態度は筋が通っていて理性的だけれど矢張り通俗的で、こればかりは受け入れざるをえないらしい。恋人の恋愛遍歴が見えてしまうのが嫌だ辛いって言ってるけれど、惚気と思われる。きっと誰だって本当はそうしたい。もちろんそれは浪漫的恋愛物語の醍醐味だろう。

 『先読』の風景には昭和を感じる。インターネットやスマートフォンやSNSが風景にないという意味での昭和だ。しかし日本の大半はまだその昭和で動いているのであり、我々ロスジェネ世代は昭和に生まれIT技術の普及とともに年を重ね、昭和を憧憬し平成に生き昭和の元で働いている。
 同時代性のある物語が読みたいと思っていたところに運良く出会うことができた一冊。幸福な時間を過ごすことが出来ました。


発行:文学結社猫
判型:文庫 178P 
頒布価格:600円
サイト:文学結社猫

レビュワー:m2(Twitter)