対面
挨拶の口上を終えしばらくすると
袖から覗く指先に握られた扇が見え、思わず視線を下げる。晴れてはいるが、三月に入ったにしてはまだ風が少し冷たい。
微かに漂う袖の香に、向こうに座した女人のことを思う。僅かに見えた指先は抜けるように白い。御簾の向こうに座すのはいったい、どのような方なのだろう。将軍家の
邸で着ているような普段の身軽な格好とは違い、
「ようこそ、姫君。
御台所に続き、御前に控える女房たちも次々に祝いの言葉を述べる。前将軍・
自らにとっては晴れやかな気持ちというより、ただただ恐ろしさが勝る今日だったが御台所の言葉に僅かに心が軽くなる。
「ありがとうございます、御台所さま」
今日、わたしはこの女人――将軍家御台所の
姫君のお祝いをと、御台所の側に控える
「姫君さま。こちらは、御台所さまも大変な好物の唐菓子にございます。そして、こちらは……」
年嵩の女房が言葉を切る。
「姫君、これは茶という唐渡りの薬湯。
葉上僧正とは将軍家が篤く帰依し昨年亡くなられた栄西禅師のことで、幾度も遠い宋の国に渡られたと聞いている。御台所の言葉に、しげしげと茶を覗き込む。宋から持ち帰った貴重な薬湯は、どんな味がするのだろう。不思議な色をした薬湯だけあって、苦いのだろうか。御台所は、涼しい顔で茶を飲んでいる。再度、女房に勧められて茶の入った
「京のお寺でも、昔から茶を作ることは行われていたと聞きます。でもそれは、お山の中でのこと。わたくしが口にしたのは僧正が、病を得た将軍家に献上されたときが初めて。少し渋みもありますが、香りも良くなかなかの滋味でしょう」
最初の印象としては、絵巻物に出てくる姫君そのままの御台所だったが茶についての説明を女房任せにはせず、意外にもはきはきと話す。御台所に倣って茶を一口含むと、舌先に渋みを感じる。慣れない味覚に、知らず知らずのうちに顔をしかめていたのだろう。
「
女房の言葉に縄のような形をした揚げ菓子をかじるが、御台所の御前で緊張してしまいせっかくの唐菓子の味もろくに感じられない。御台所はと見ると、梅の枝の形をした唐菓子を口にしている。
「晴れて母子の仲になったのです。これからは頻繁に行き来を致しましょう、姫君。物語りやら、色々な遊び……和歌や管弦の会なども」
和歌と聞いて、思わず目が泳ぐ。
居並ぶ女房たちは将軍家が和歌に打ち込む熱心さや、先祖の
身の置き所のなさを察したように、御台所はわたしを側に差し招く。今年で十四になるわたしと並んでも御台所は、小柄なまるで少女のような方だった。京の都からこの鎌倉に嫁いで十年余り、将軍家である叔父上との夫婦仲は円満と聞くが、いまだ御子は無い。だから祖母は異母兄の
もっと近くに寄るようにと促され遠慮しつつもじりじり
「歌の会も良いけれど、わたくしが京から持参した絵巻を見るのはどうかしら。伊勢か光源氏か、住吉の物語か……」
楽を奏でるような御台所の声に、そして、絵巻と聞いて知らず心が弾む。京の都から来た絵巻物は、さぞ華やかだろう。見てみたい絵巻はどれかと思い巡らすうちに、ひとつ思い浮かんで思わず声を上げた。
「あの御台所さま」
「決まったようね。姫君は、どの物語を?」
涼やかな風に背中を押され、思い浮かんだ歌を口に乗せる。
「吹く風をなこその関と思へどもみちもせにちる山桜かな……」
「吹く風をなこその関と……
御台所はすぐに気がついた様子で頷いた。側に控える年嵩の女房が、はっと気がついて目を見開く。
「今度、御所に貸していただきましょう。奥州十二年合戦の絵巻を」
その昔、先祖にあたる八幡太郎義家公は陸奥守と
奥州十二年合戦の絵巻は、奥州入りした八幡太郎殿と父君・
将軍家である叔父上はかつて、京の都からこの合戦の絵巻を取り寄せて鑑賞していたのだった。これ以外にも叔父上の絵巻好きは世に知られ、将軍家の御前での
「御所も尼御台所も姫君が立派に成長されていることを聞き、さぞ喜ばれることでしょう。これからは
はい、と頷くと御台所はゆったりと微笑み年嵩の女房に目配せをした。意図を察した女房が女童を呼び、唐菓子の入った器を持って下がらせる。
「後ほど姫君の邸に唐菓子を届けさせます。ここでは緊張して、菓子を味わうどころではなかったでしょうから。ね、
悪戯っぽく笑う御台所の言葉を最後に謁見は終わった。気がつけば日が差して寒さが和らぎ、外からは鷗の鳴く声が響いていた。
サークル名:庭鳥草紙(URL)
執筆者名:庭鳥一言アピール
北海道から九州まで、すあま食べ比べ本と歴史創作小説を持って駆け巡っています。なんて素敵にジャパネスクの二次創作小説もあります。