対面

 挨拶の口上を終えしばらくすると御簾みすが巻き上げられ、藤のかさねの色目がちらりと見えた。

袖から覗く指先に握られた扇が見え、思わず視線を下げる。晴れてはいるが、三月に入ったにしてはまだ風が少し冷たい。
 微かに漂う袖の香に、向こうに座した女人のことを思う。僅かに見えた指先は抜けるように白い。御簾の向こうに座すのはいったい、どのような方なのだろう。将軍家の御台所みだいどころ、尊き御身の上皇の外戚に当たる坊門前内府ぼうもんさきのないぶ(内大臣)のご息女と、乳母や女房たちから繰り返し噂を聞いているが。
 邸で着ているような普段の身軽な格好とは違い、五衣いつつぎぬを纏った身体が重い。扇をぐっと握り意を決して目を上げると、こちらを見つめる瞳があった。噂に聞く都人の姫君そのままの姿で、御台所は扇で顔を少し隠しながらもこちらを見ている。
「ようこそ、姫君。つつがなく成人なされ、おめでとう」
 御台所に続き、御前に控える女房たちも次々に祝いの言葉を述べる。前将軍・頼家よりいえの娘とは言え、とうの昔に父を亡くしひっそりと乳母の元で育ったわたしに初めて訪れた晴れの日。尼御台所と呼ばれ今もなお権勢衰えぬ祖母の願いによって今日の日はある。御所へと向かう輿に乗る間際まで、乳母は感涙にむせんでいた。晴れやかな祭の日が来たように。 
 自らにとっては晴れやかな気持ちというより、ただただ恐ろしさが勝る今日だったが御台所の言葉に僅かに心が軽くなる。
「ありがとうございます、御台所さま」
今日、わたしはこの女人――将軍家御台所の猶子ゆうしとなった。
 姫君のお祝いをと、御台所の側に控える年嵩としかさの女房が声を上げると菓子をうずたかく盛りつけた器が運ばれてきた。目に鮮やかな水菓子や、様々な形の唐菓子からくだものに目を奪われていると御台所が微笑む気配がした。
「姫君さま。こちらは、御台所さまも大変な好物の唐菓子にございます。そして、こちらは……」
年嵩の女房が言葉を切る。白湯さゆが運ばれて来たのだろう、と何気なく見ると年若い女房が携えてきたのは白湯ではなく朽葉色くちばいろの湯。見慣れない不思議な飲み物、これは薬湯だろうか。御所では普段からこのような飲み物を飲むのか、内心首を傾げ思わず御台所を見る。ふっくらとした頰、ゆらゆらと長く美しい髪……絵巻から抜け出たように見るからに愛らしく、姫君然とした御台所。これがわたしの母となる方なのか。
「姫君、これは茶という唐渡りの薬湯。葉上僧正ようじょうのそうじょうが宋から持ち帰られたものを分けていただきましたの」
 葉上僧正とは将軍家が篤く帰依し昨年亡くなられた栄西禅師のことで、幾度も遠い宋の国に渡られたと聞いている。御台所の言葉に、しげしげと茶を覗き込む。宋から持ち帰った貴重な薬湯は、どんな味がするのだろう。不思議な色をした薬湯だけあって、苦いのだろうか。御台所は、涼しい顔で茶を飲んでいる。再度、女房に勧められて茶の入った土器かわらけを手に取ると柔らかな香りが鼻をくすぐった。
「京のお寺でも、昔から茶を作ることは行われていたと聞きます。でもそれは、お山の中でのこと。わたくしが口にしたのは僧正が、病を得た将軍家に献上されたときが初めて。少し渋みもありますが、香りも良くなかなかの滋味でしょう」
最初の印象としては、絵巻物に出てくる姫君そのままの御台所だったが茶についての説明を女房任せにはせず、意外にもはきはきと話す。御台所に倣って茶を一口含むと、舌先に渋みを感じる。慣れない味覚に、知らず知らずのうちに顔をしかめていたのだろう。
薬湯やくとうでございます。姫君さま、唐菓子でお口直しを」
女房の言葉に縄のような形をした揚げ菓子をかじるが、御台所の御前で緊張してしまいせっかくの唐菓子の味もろくに感じられない。御台所はと見ると、梅の枝の形をした唐菓子を口にしている。
「晴れて母子の仲になったのです。これからは頻繁に行き来を致しましょう、姫君。物語りやら、色々な遊び……和歌や管弦の会なども」
 和歌と聞いて、思わず目が泳ぐ。敷島しきしまの道に熱心な叔父上――現将軍・実朝さねともとは違って、わたしは和歌を詠むのが苦手だった。時折、乳母に勧められて和歌集を手に取ることはあるのだけれども。
 居並ぶ女房たちは将軍家が和歌に打ち込む熱心さや、先祖の八幡太郎殿はちまんたろうどのが勅撰集に入選していることについて口々に語っている。やはり御所に伺候する女房たちは、京から御台所に従って来た者もそうでない者も皆、教養豊かな者が選ばれているのだろう。
 身の置き所のなさを察したように、御台所はわたしを側に差し招く。今年で十四になるわたしと並んでも御台所は、小柄なまるで少女のような方だった。京の都からこの鎌倉に嫁いで十年余り、将軍家である叔父上との夫婦仲は円満と聞くが、いまだ御子は無い。だから祖母は異母兄の公暁くぎょうを叔父上の猶子に、わたしを御台所の猶子にと考えたのだろうか。
 もっと近くに寄るようにと促され遠慮しつつもじりじり膝行しっこうすると、御台所は晴れやかな声をあげる。
「歌の会も良いけれど、わたくしが京から持参した絵巻を見るのはどうかしら。伊勢か光源氏か、住吉の物語か……」
楽を奏でるような御台所の声に、そして、絵巻と聞いて知らず心が弾む。京の都から来た絵巻物は、さぞ華やかだろう。見てみたい絵巻はどれかと思い巡らすうちに、ひとつ思い浮かんで思わず声を上げた。
「あの御台所さま」
「決まったようね。姫君は、どの物語を?」
涼やかな風に背中を押され、思い浮かんだ歌を口に乗せる。
「吹く風をなこその関と思へどもみちもせにちる山桜かな……」
「吹く風をなこその関と……義家よしいえ朝臣あそんの。そう」
御台所はすぐに気がついた様子で頷いた。側に控える年嵩の女房が、はっと気がついて目を見開く。
「今度、御所に貸していただきましょう。奥州十二年合戦の絵巻を」
 その昔、先祖にあたる八幡太郎義家公は陸奥守と鎮守府ちんじゅふ将軍しょうぐんに任じられ陸奥国へ向かう際、勿来なこその関にてこの和歌を詠んだのだとという。そしてその歌は死後かなりたってから晴れの勅撰集、千載せんざい和歌集わかしゅうに入選した。
 奥州十二年合戦の絵巻は、奥州入りした八幡太郎殿と父君・頼義よりよし公が、敵対する安倍の一族をはじめ土着の豪族たちを平定していく様を描いている。前九年、後三年の役とも呼ばれる合戦のことである。
 将軍家である叔父上はかつて、京の都からこの合戦の絵巻を取り寄せて鑑賞していたのだった。これ以外にも叔父上の絵巻好きは世に知られ、将軍家の御前での絵合えあわせは白熱したものだったと噂に聞く。
「御所も尼御台所も姫君が立派に成長されていることを聞き、さぞ喜ばれることでしょう。これからは物詣ものもうでにも共に参りましょうね」
 はい、と頷くと御台所はゆったりと微笑み年嵩の女房に目配せをした。意図を察した女房が女童を呼び、唐菓子の入った器を持って下がらせる。
「後ほど姫君の邸に唐菓子を届けさせます。ここでは緊張して、菓子を味わうどころではなかったでしょうから。ね、鞠子まりこ姫」
悪戯っぽく笑う御台所の言葉を最後に謁見は終わった。気がつけば日が差して寒さが和らぎ、外からは鷗の鳴く声が響いていた。


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サークル名:庭鳥草紙(URL
執筆者名:庭鳥

一言アピール
北海道から九州まで、すあま食べ比べ本と歴史創作小説を持って駆け巡っています。なんて素敵にジャパネスクの二次創作小説もあります。

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