つくる
おにんぎょうさんはかいものにいこう、そうおもった。
おにんぎょうさんはばっぐをもってそとにでかけた。
おにんぎょうさんはまずいちばんちかいどらっぐすとあへとやってきた。
おにんぎょうさんはかごをもっておみせのなかをあるきはじめた──
俺が少し目を離していた間に、あいつは仮の仕事道具に何かを書き出していた。こうも同じ文字が続いているのを見ると、だんだん訳が分からなくなってしまいそうだ。
「いやーん、見ないでー」
「……あのな」
「うそうそ、ごめんごめん。ゴミ箱の中を片付けてくれるんでしょ。ありがとう」
ほんの少し前、この謎の文章を生み出すまで、何度も試行錯誤していた痕跡がそのゴミ箱に残っている。
中に入り切らずに周辺にまで転がっている、丸められた紙がとにかくたくさんある。
俺は持ってきたビニール袋にそれらを入れるため、その場でしゃがみ込んだ。まずはゴミ箱に入っているものを一気に入れていく。
さて、と自分を鼓舞して残りを片付けようとしたそのとき、あいつの方から新たなものが飛んできた。
無残にも落ちていったそれは、もう動くことはなく静かに床に転がっている。
「おい」
「何?」
「一体何をしてるんだ?」
「さっきのはやめた」
別に俺にはそんなことはどうでもいい。あいつのしていることに口出しするつもりは一切ない。それがあいつの仕事だから。
だが、何も考えずにゴミを増やされたことに、俺は思わず言葉を発していたのだ。
それもあいつには全く伝わっていないようだが。
盛大な溜め息をつきながら、俺は床に散らばっているものたちを袋に入れていく。ざっと見てみると、ほとんどが半分も書かれていないようだ。少しでも、たった一文字でも気に食わないとそれはもうゴミだ。
俺にはよく分からない感覚である。
チラリとその姿を見ると、再び何かを書いていた。
気が変わるのが早いこと。
あいつのことが分かるわけではないが、あいつがストレスなく快適に仕事をしていることが、俺のやるべきことである。
俺に多少の不満はちらほら出てくるものの、懸命に作業をしている姿が見られるということは、俺の求めている結果だ。
嬉しさを心の中に秘めておき、そそくさと片付けを終えて俺はそっと部屋から出ようとした。
「あ、ごめん。これも追加でよろしく」
そう言ってあいつは、真剣な表情で一枚の紙を手渡してきた。
分かった、と受け取り、俺は部屋を出て行った。
さて捨てるか。そう思いつつも手渡された紙に視線が移る。やけにぎっしりと埋まっていたそこから目が離せず、気付けば目を通していた。
一人を輝かせるには、誰かが支えている必要があるかもしれない。
何もかもを完璧にできる人は果たしているのだろうか。
残念ながらそんな人に出会ったことはない。
だが、誰かに自分のできないことをしてもらっているおかげで完璧になっている人を数多く知っている。
身近にもお世話をしてくれている人がいる。
誰よりも美しく部屋を整え、誰よりも美味しい食事を作り、誰よりも語らずに察して行動してくれる。
こんなにも素晴らしい人は他にいるのだろうか。
誰もが羨むような唯一無二の存在。
閉じ込めて誰にもその存在を見せたくない。
一人前に見えるのは、それらがあってのおかげである。
この感謝をどう伝えればいいのだろうか。
今一番困っていることはそれかもしれない。
一生分の愛を語っても語り尽くせないだろう。
もしくは薄っぺらいものになってしまうかもしれない。
さて、どうしたものか──
一体これは何だ。何をどうしたらここまで変化があるものを平然とした顔で書いていられるのか。
この文章に出てくるお世話をしてくれている人、誰よりも色々やっている人は、俺のことで間違いない。
読み終えた途端、急に顔が熱くなってきた。
自分の姿を一切確認することなく、ただ紙一枚を持って再びあいつの部屋に入っていった。
「おい!」
俺の声に反応してこちらを見る。
そして次の瞬間、盛大に吹き出して大声で笑い出した。
「あははは、見たんだ! それで言いに来たの? あははは、顔真っ赤だよ」
ありのままを言われ、俺は何も言い返せなかった。
ただあいつが笑う姿をじっと眺め、部屋の入り口でずっと立ち尽くしていた。
すると、ピタリと笑いを止めたあいつがこちらをじっと見ながら、近付いてくる。
「でもね、そこに書いたことは事実だと思ってるよ。思い出して、俺が一人だったときのことを。人を招き入れていたのに部屋はゴミとそうじゃないものがひたすらごちゃごちゃしていて、食事はとりあえず入ればいいやって状況だった。それを変えてくれたんだよ。今じゃこんな素晴らしい生活がないなんてあり得ないと思っているよ」
「……俺はただ、家賃として、完璧な家事を提供していた。ただそれだけ。不快がなるべくないようにしているだけだ」
「うん。それがとっても嬉しいんだよ。ありがとう、──」
久々に呼ばれた名前。それを紡いだ口は、柔らかな笑みを浮かべていた。
顔が、手が、足が、全身が、形容しがたい幸福感に包まれていく。俺は、目の前にあるその姿から目が離せなかった。
「べ、つに……。俺は、その……。あれだ。いてもらわないと俺が悲しい。だから、いつまでもいてもらいたいんだ。俺は、お前がいないと生きていけないんだ、──」
俺には優れた感性はない。思ったことはそのままぶつけるしかない。だからせめて、名前を呼び返すくらいはしてもいいだろう。
これが俺の今の全部だ。
あいつは目を丸くして驚いていた。
互いに名前を口にするのはいつぶりだろうか。語らずとも問題なく生活していたせいか、むしろ恥ずかしいものだ。
動かずにいるあいつの手を両手で取り、俺は再び口を開く。
「頑張ってたから、とびきり美味いものを用意する。だから、休憩の時間だ」
「そ……そうだね。美味しいものを食べて、それからとびきりの創造をしよう」
片方の手を離し、もう片方は繋いだまま俺たちは移動する。たった十数歩。互いの温もりを感じているその瞬間も離したくはない。
あっという間に着いてしまったリビングで手を離し、俺はキッチンへと向かっていく。
作っておいた休憩用の菓子を皿に並べ、それに合う冷たい飲み物を用意する。
二人分を持ってあいつの待っているソファへと向かう。
「あ、俺が一番好きなやつだ」
子どものようにはしゃぎながら早速食べている。とても嬉しそうな表情が俺の横にある。
「はぁ、最高……。また頑張れそうな気がする」
「頼んだぞ」
「はい」
そう言って俺に一口差し出してきた。俺は条件反射のようにそれを口にする。
「俺のために大好きなものを最高の組み合わせで用意してくれたから、いつもより頑張っちゃうよ」
俺が言葉にしていなかったことをあっさりと見抜き、思わずあいつを見る。そこにあるのは、何事もなかったかのように再び食べ進めている姿であった。
さり気なくしていたつもりだったが、全てお見通しというのか。
それでも、あいつが幸せなら俺は十分だ。
あいつが幸せであることは、俺も幸せということである。
ささやかな幸せを噛み締めながら、自分用の菓子を口にし始めるのであった。
サークル名:シュガーアイス(URL)
執筆者名:まつのこ
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