「みんなー、おやつたーべよ!」
 入学式からしばらく経った春の日、後輩がそう言いながら部室に入ってきた。
 大きな窓から明るい陽が差す部室に入り、後輩は早速鞄を開けて中に手を突っ込んでいる。
「葛西君、おやつって何を持ってきたの?」
 いつもおっとりしている友人が少し驚いた様子で、意気揚々とタッパーを取り出す葛西と呼ばれた後輩に問いかけている。
「藤の花のパイですよ。新橋先輩は食べたことあります?」
「藤の花のパイ? 僕は食べた事無いなぁ。
蔵前君と大島君は食べたことある?」
 葛西から訊ね返された友人の新橋は、俺とその隣に座っている一番下の後輩の大島にも訊ねてくる。
「いや、藤の花をパイにするって発想がない」
 俺がそう答えると、大島は斜め上を見て何かを思い出そうとしているようだ。しばらくそうしていたけれど、思い出せなかったのか大島も葛西に向き直って答える。
「薔薇や菫はお菓子にすると言う話を偶に聞きますが、藤の花のお菓子というのは初めて聞きます」
 薔薇や菫も俺は初耳なんだけどと思いながら、葛西がタッパーを開けるのを見る。中に入っていたのは何の変哲もない、けれどもおいしそうに焼き色の付いた小振りなパイだった。
「それじゃあ、ひとり一個ずつあるんで、食べてみたい人は食べてみて下さい」
「おう。じゃあありがたくいただくわ」
 俺がタッパーの中からパイをひとつ取り出すと、新橋と大島もそれに続いた。
 みんなでいただきますをしてひとくちパイを囓る。すると、口の中に砂糖の甘みと微かな渋味が広がった。パイの断面を見ると、スパー石を思わせる紫色のジャムが覗いている。
「おいしいですね。藤の花の渋味を砂糖で消しているんでしょうか? 甘めのジャムと甘さ控えめのパイのバランスが良いですね」
「お? わかる?
パイシートは砂糖控えめで作ってるんだよ」
「パイシートから作るあたりに本気度と執念を感じますね」
 大島と葛西のやりとりを聞いて思う。確かに、言われてみると甘いばかりではなくてパイの香ばしさ、わざと少し焦がしているのか焦げ目の苦味があって後を引く味だ。
「すごく技術力を感じる味だけど、葛西君はなんでまた藤のパイを作ったの?」
 ゆっくりとパイを噛みしめて飲み込んだ新橋が、一呼吸置いてそう訊ねる。すると、葛西はこう答えた。
「実は、ここ数年毎年このパイと併せて薔薇のパイも作ってるんですけど、今年は姉ちゃんのサークルのみんなの分も作ったら勢い余って作り過ぎちゃって」
「そうなんだ。確かにお菓子とか料理って、慣れない分量つくろうとすると加減が難しいよね」
 そういえば、葛西は随分と前から製菓が趣味で、毎年バレンタインの度に姉の手伝いをしているという話は以前チラッと聞いた気がする。
 その話だけだと葛西がずいぶんなシスコンのように感じるけれども、お姉さんのやらかし具合も併せて聞くと、ああ、うん、それは面倒見ないと……と言う気になるので単純にかいがいしいだけなのだろう。
 それにしても。と、ふたくちめのパイを飲み込んで疑問に思った事を訊ねる。
「そういえば、薔薇の花はともかく藤の花ってどこで買ってくるんだ?
食用の藤の花なんて売ってるとこある?」
 俺がそう言うと、葛西は些か自慢げにこう答える。
「うちの庭に藤棚があるんですよ。薔薇も庭に植わってるんで、そこから摘んでジャムにしてるんです」
「はー、庭に」
 庭に藤棚があるとかどんな豪邸だ。普段わりとやんちゃな言動をするから、お坊ちゃまっぽいイメージは全く無いのだけれど。
 不思議に思いながらまたパイを囓ると、葛西はにこにこしながらこう続けた。
「本当は庭に蓮池も欲しいんですけど、さすがに蓮池は設置出来ないみたいで」
「でしょうね」
「お前庭を桃源郷にする気?」
 大島と俺が即座にそう答えると、新橋が納得したように口を開いた。
「蓮池かぁ。確かに蓮の実って生で食べようとすると蓮池がないとなかなか難しいよね」
 蓮の実って食べられるの? そう疑問に思っていると、葛西がその通りといった様子でこう返す。
「そうなんですよ。生の蓮の実おいしいって聞くんで食べてみたいんですよねー」
 続いて大島も口を手で隠しながら言う。
「なるほど。生の蓮の実はカスタードクリームに近い味がすると聞いてはいるので憧れはあります」
「へぇ、カスタードクリーム」
 なるほどなと思いつつ三人の話を聞いても、どうにも蓮の実の味はイメージ出来ない。そもそも蓮の実ってどんなだったっけ……
 俺が蓮の実に思いを馳せていると、新橋が話は変わるけれど、と葛西に声を掛ける。
「そういえば、なんで藤の花でパイを作ろうと思ったの?」
 それも言われてみれば疑問だ。薔薇の花でいけたから藤の花でもいけると思ったのだろうか。俺はそう思ったのだけれど、葛西は意外な回答を返した。
「実は、中国では春に薔薇や藤の花のパイを食べるって聞いたから、食べてみたくなったんですよね。
それで作ってみたらおいしかったんで毎年やってるんですけど、実は正確な作り方って知らなくて」
「なるほど。イマジナリーな存在なんですねこれは」
 葛西の言葉に頷きながら、大島がパイを口の中に詰め込む。俺も最後のひとかけを口の中に入れた。
 サクサクのパイを噛みながら葛西の方を見ていると、彼はふぅ。と溜息をついて言う。
「いつか本物を食べたいんですけどね。
さすがにその為だけに中国に行くのは難しくて」
 わかる。その為だけにパスポートを取るのも大変だし、検疫があるから場合によっては色々なワクチンの接種を受けないといけないだろう。まだ高校生の葛西が、藤の花のパイを食べたいからと、ただそれだけの理由で中国に行くにはハードルが高すぎる。
 本場の味はどんなものなのだろうと、そんな内容の話が弾む。藤の花のパイに限らず、本場の味を知りたい料理はみんなも沢山有るようだった。その本場というのは中国に限らない。葛西は製菓をやるけれども、大島は料理が趣味だと言っていて、色々な国の、その土地の料理を食べてみたいとそう語った。特にフランスには憧れがあるらしい。
 そういえば、新橋は親の仕事の都合で何度か海外へ行ったことがあると言っていた気がする。どうなんだろう、新橋は葛西が憧れる中国や、大島が憧れるフランスに行ったことはあるのだろうか。
 そんな事を考えていたら、大島が俺に声を掛けてきた。
「ところで、蔵前先輩はどこかへ行って本場の味を味わいたいとか、考えたことはありますか?」
「え? 俺?」
 どうなんだろう。確かに美味しい物は好きだけど、具体的にどこの、と言われるとイメージが湧かない。
 それでしばらく考えて、はたと思いつく。
「なんかこれ言うと気持ち悪がられそうだけど、虫食ってちょっと気になるな」
 少し遠慮がちにそう言うと、意外にも他の三人は納得した様に頷いている。
「確かに。虫は脂肪がなくて高タンパク。次世代の食糧として検討しているという噂の話は聞きますしね」
 大島が微妙に薄らぼんやりした事を言うと、葛西もしみじみと続ける。
「わかる。言いづらいのがすごいわかる。
俺も昔から虫ってどんな味なんだろうって思ってましたよ。でもそれ言うと気持ち悪がられるしなー」
 否定されずにほっとしていると、新橋が口を手で隠しながらこう言った。
「結構虫の串揚げっておいしいよ。それぞれ食感も違うし。
蝉の幼虫はむちむちした感じで、蚕はトロッとした感じ。蝗はサクサクだったなぁ」
「お前小食なわりには案外なんでも食うよな」
 虫の感想を聞かせてくれた新橋は、食べてきた土地の事を思い出しているのか少しぼんやりして、突然はっとしたようにこう言った。
「藤蘿餅だ」
「たんろー……なに?」
 全く聞き慣れない言葉に俺が聞き返すと、新橋は手に持った残り少ないパイを指して言葉を続ける。
「葛西君が言ってた藤の花のパイのことだよ。
中国では藤蘿餅っていって、確か、緑豆パイと同じ製法の皮で包んで焼いてるんだよ」
 そもそも緑豆パイがわからないのだけれど、葛西は手を打って納得出来たようだった。
「緑豆パイの作り方ならわかります!
そっかあの皮か。来年はその作り方で行こう」
 おお、理解したかそれは良かった。よくわからないままに安心していると、大島がにっこりと笑って葛西に言う。
「緑豆パイの皮って、作るのすごく根気がいりますよね。
その根気を勉強の方に持っていけば、去年悩まされてたって言う赤点も倒せますよ」
「ウワー! それとこれとは話が違うんだー!」
 うん。わかる。それとこれとは話が違うのはすごくわかるんだけど、赤点は早めに倒そうな!


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サークル名:インドの仕立て屋さん(URL
執筆者名:藤和

一言アピール
現代物っぽかったり時代物っぽかったりするファンタジーを書いています。発行物は基本読みきりですのでお気軽に。


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