千年の後に辿る人

なんて素敵にジャパネスク 2次創作

 

 電車がホームに入りかけたところで席を立った。駅名に山が入っているだけあって、周囲は緑が濃い。京都からみやこ路快速に乗って、歌枕の地を過ぎ奈良県に入ってすぐのJR平城山ならやま山駅。あと一駅で奈良駅に着くのだが、蝉の声がけたたましく思い切り郊外の雰囲気を漂わせていて少し怯む。
「奈良県に入ってるんだよね・・・・・・京都から随分来ちゃったなあ」
 ひとり呟いて、改札を出た。自販機で緑茶のペットボトルを買って一口飲むと日傘をさして歩き出す。夏の日差しが上からも下からも照りつけてきて、暑い。奈良市内、と言っても京都府との境を越えたばかりの場所。古墳や遺跡にほど近い郊外の住宅地で、ものすごく静かだった。
 徒歩十五分ほどで、目的地に着いた。平城山女学院大学。正門の守衛さんに声を掛けると、キャンパスの地図を渡され図書館は突き当りを右に曲がるとすぐと言われた。
夏休み中だけあってキャンパスは閑散としている。公開講座のポスターが貼ってあったが週末に開催のようだ。言われた通り、突き当たりを右に曲がると「青蓮華寺しょうれんげじと三条内大臣忠宗ただむね家の栄華展」の看板が、図書館の棟の入り口に掲げられていた。
 遥々、関東から新幹線に乗って来たのはこの展示を見るため。大学でこの展示のポスターを見たのは、前期試験中だった。三年だし、そろそろ卒論のテーマをちゃんと考えなきゃいけないと思っていて。王朝の女流文学について何か、くらいしか浮かばず悩んでいたときにポスターを見て渡りに船とやって来たのだった。

 三条内大臣忠宗とは、平安時代中期の摂関政治の最盛期の人物。現代から見ればちょっとマイナーだけど、裕福な政界の有力者で派手好きだったらしい。青蓮華寺は、三条内大臣の支援で太秦にあった尼寺だけど、応仁の乱を逃れ奈良に移転し昭和初期に廃絶したんだって。尼寺の最後の住職がこの大学の創設者の親族で、寺宝が受け継がれて現在も平城山女学院大で研究されている、と展示の説明に書いてあった。
 展示の家系図によると内大臣忠宗の子は一男一女で、息子が侍従大納言とおる、娘の名は分からずただ、忠宗女ただむねのむすめ(あるいは、中納言高彬室たかあきらのしつ)とある。誰々の女、とか室だけで本名が分からないのは平安時代あるあるだけどちょっと寂しい。侍従大納言融の直系の子孫は、南北朝期に途絶えたみたいだから青蓮華寺の奈良への移転には関係なさそうだった。
 青蓮華寺の仏像や贅を凝らした調度品の数々が展示されていて目を見張る。ほとんどは奈良に移転後のものだったけど。平安時代の物として、鏡と二階厨子が展示されていたのは眼福だった。二階厨子は、平安時代の寝殿造の邸で使われていた調度品だそうだ。しかもその二階厨子は、忠宗女が夫の死後に供養のために経典を納めたものらしいと知り、興奮した。平安時代の姫君が本当に使っていた物かもしれないのだし。中納言高彬は、右大臣の息子で時の帝の覚えもめでたい将来有望な青年公達だったけど、忠宗女との間に子はなく二十代で亡くなったと言う。
 忠宗女についての説明をじっくり読んでいると、室内に人が入ってくるのが見えた。今まで、あたしが展示を独り占めしていたけど他の見学者だろうか。何気なく振り返ると、ガイドの名札をつけた長身の女性が立っている。
「十一時から、展示の解説ツアーをします。お客様おひとりですが、宜しかったらご参加ください・・・・・・」
腕時計を見ると、十一時の1分前。
「はい、じゃあ解説ツアーに参加します」
あたしより少し年上くらいの、大学院生だろうか。参加の返事に嬉しそうに頷いて、挨拶してくれた。
「ご参加ありがとうございます。展示の青蓮華寺と三条内大臣家の研究をしている、設楽研究室の隅田と申します」
長身で、ベリーショートの隅田さんは、大学院の博士課程に在籍中、だという。
「塩川です。宜しくお願いします」
解説は展示に沿った内容で、平安時代の暮らしのことなども含めての話で分かりやすく、質問も気軽に出来る。
「あの、二階厨子は忠宗女に縁とありましたが?」
「ええ、若くして未亡人になった忠宗女が納めた経典が入っていた厨子と伝えられています。亡き夫との間に交わした文をすき直した紙にお経が書かれた、と。元の文に書かれていた字を解読することは出来ませんが、すき直した紙にも元の墨の跡が確認されています」
 正倉院展で、公文書を反故ほごにして裏にお経をとは聞いてたことがあったけれど。新しい紙にすき直す、とは亡き夫によほどの思いがあったのかと想像する。
「中納言高彬は、忠宗女の弟の侍従大納言融と親しい友人だったようです。二人が結婚したのは十代の半ばから後半、もしかしたら幼い頃からの付き合いだったかもしれませんね」
「伊勢物語の筒井筒のように?」
可能性は十分にあります、と隅田さんは頷く。振り分け髪で、男女の別なく一緒に遊ぶ子供たちが浮かぶ。
「その後、忠宗女は?再婚したのですか?」
「いえ。すぐには再婚せず、独身で通していたようです。四十近くになるまでは」
言葉を切り、少し考えてから隅田さんは続ける。
「塩川さんは、秋篠卿行状記はご存知ですか?」
「えっと、名前だけは聞いたことあります。三条内大臣と同時代の公卿ですよね。うちの大学の図書館には無くて」
まだ読んだことがない、と言うと無理もないといった表情で隅田さんは頷いた。
「秋篠卿行状記によると、時の帝が譲位して上皇になるとそれまで後宮にいた女御たちの誰一人として宇治に新築した院御所には伴わず、ただ中納言の御方を召し入れられた・・・・・・とあります。世間の人々は、上皇の老いらくの恋に驚いていたようですが。中納言の御方は三条内大臣の女なり、と書かれています」
 上皇の老いらくの恋、と言っても二人はまだ四十程度。現代の感覚では信じられませんね、と隅田さんは笑う。上皇の元に行った忠宗女は、上皇が薨去するまで連れ添ったという。
「でも、どうして・・・・・・忠宗女は宮仕えしていたわけではないんですよね?邸の中にいて家族と対面するにも御簾の中でという女性に・・・・・・風の噂を頼りに恋文を送って知り合ったとか、なんでしょうか」
 ぽつん、と呟きが漏れる。でも、四十近い裕福な未亡人についての風の噂って何だろう。現代だったら、莫大な財産目当ての若い男性が寄ってきそうだけど。
「二人の出会いがどんなものだったかは、想像するしかありませんが。秋篠卿行状記や同時代の女房、山吹女王日記の記述から見ると、忠宗女は上皇の母宮や降嫁した叔母と親しく交友していたようです。ご存知かもしれませんが、山吹女王とは上皇の母宮に仕えた皇族の女性です。傍系で没落しかけた家の出だったようですが、宮家の出という出自の良さもあり、上皇の母宮が住む山科の院御所から内裏への使者に度々立っていたようです」
 そうだったんだ。公卿や女房たちといった宮中で活躍する人々が書き残した僅かな忠宗女の痕跡。
「平安貴族の女性は宮仕えしている人を別にすると、物詣の他は邸に引き籠もって滅多に外出しないという話を聞いたことがありますが。この忠宗女はそうではなかった、ということですか?」
あたしの言葉を聞き、大きく頷く隅田さん。
「大臣家の跡取り娘ですから、父の内大臣を助けて帝に近い皇族女性との社交に勤しんでいたのでしょう。そうは言っても、当時の身分ある女性にしては、顔が広く型破りで行動力がある人だったと思われます」
 作品は現代まで残っていないものの、物語作者として知られる斎院水無瀬さいいんみなせとも親しかったこと、青蓮華寺の尼僧の中にも宮家の姫がいたと伝えられている・・・・・・などと、隅田さんは解説のパネルを指し示す。
 研究していると言うだけあって、隅田さんは生き生きと流れるように話す。忠宗女のことを、もっともっと知りたいと言いたげに。
「そんな行動力のある女性でも、残っていないんですね。忠宗女の名前は」
「ええ残念ながら。女御として入内したわけでも、叙位されたわけでもないので公文書から彼女の名を知る術はありません。勅撰和歌集に数首入選していますが、中納言高彬室の名です」
ここから先は青蓮華寺の寺伝からの話になります、と言って隅田さんはあたしを平安時代の鏡の前に誘導した。
「ただ、応仁の乱を逃れて大和に移転したりその後数回、火災があり記録が途絶え後に口伝を元に記録された部分が多いので・・・・・・信憑性に疑問が残る部分がありますが」
 目の前の、鏡を見る。葡萄や蔦などおめでたい文様が彫られたこの鏡は、大皿かと思うほどに大きい。奉納のための物で、当時の人が実際に使った鏡と比べるとあまりにも大きい。
「この、平安時代の鏡は、瑠璃鏡るりのかがみと呼ばれています。調査によると院政期のはじめ頃に鋳造されたそうです。青蓮華寺の寺伝によると、これは忠宗女の死後に三条内大臣家の人々が・・・・・・侍従大納言の子孫ですね、その人々が忠宗女の法要の際に奉納したものだそうです。当時の技術の粋を尽くした豪華な鏡ですね。忠宗女は大変な長寿でなんと、百歳過ぎまで健康を保って生きたとか」
「えっ、百歳!」
 これにはびっくり。そりゃあ、昔の人だって長寿はいただろうけど。百年も生きた忠宗女は、摂関家の全盛期から院政に移り変わる時代をその眼で見たのだろう。
「父親の忠宗自身、九十半ばまで生きた人ですので長寿の遺伝子を父親から受け継いだのかもしれませんね。鏡の話に戻りますが、奉納された際に添えられていた漢詩に仏教の七宝について言及があり特に、瑠璃について誉める部分があったそうです。そのため青蓮華寺では、忠宗女のことを瑠璃姫君と呼び鏡は瑠璃鏡と呼ばれているそうです。残念ながら鏡に添えられた文書は現存していませんが」
「瑠璃の、姫君」
 忠宗女の名前の話はどこまで本当かは分からない。瑠璃姫君という名も、当人が生きていたときに呼ばれた名ではないかもしれない。それでも青蓮華寺の人々は、千年近くこの瑠璃鏡を大切に伝えてきたと言う。しみじみと瑠璃鏡を眺めていると、チャイムが鳴った。時計を見上げると十一時五十分。
「すみません、三十分程度の筈が調子に乗ってこんな時間になってしまいました。では、ガイドはここで終了にしますね」
 お昼近いと気がつき焦った表情で隅田さんは頭を下げる。忠宗女の話になると時間を忘れてしまうのだろう。
「こちらこそ、どうもありがとうございました。隅田さん。とても楽しかったです。東京に戻ったら、秋篠卿行状記と山吹女王日記を読んでみます」
「ええ。どちらの本も、国会図書館にありますので」
 では、と行きかけて隅田さんは振り返った。
「隣の棟の一階と三階に学食が営業していますので、ご利用ください。この辺りは飲食店も限られるので、ご近所の方も結構来てますよ。大学の近くには、歌姫瓦窯跡という奈良時代に平城京の瓦を焼いた跡地がありますのでお時間があったら是非」
 そして隅田さんは颯爽と去って行った。再び一人になったあたしは、目の前の瑠璃鏡と見つめ合う。
「千年前のこと、残っていないようで結構残っているのね。あなたと同じ名前のお姫様は、本当はどんな人だったのかしらね?」

 

 


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サークル名:庭鳥草紙(URL
執筆者名:庭鳥

一言アピール
なんて素敵にジャパネスクの二次創作をしようと思った十年以上前に思いつき、長年あたためていた話です。10月のテキレボで、これまでアンソロの投稿してきたジャパネスクの二次創作をまとめた新刊を出す予定です。


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