瑠璃神話

瑠璃神話                                       
                                            嘉村詩穂
 数百年にひとり生まれてくるという異形の子は、母の愛を受けずして葬られる。かつてはらを痛めて生んだ我が子に情を移した母もあったかもしれない。されど殺さなければこの村はおろか、国までも滅ぶとあって、乳を与えるよりも前に刃にかかった異形の子は果たしてどれほどの数に上ったか。国に残る正史からもその存在は抹殺されて依然として知れない。偽書偽典の類には逸文としてわずかに形を留めるのみで、異形の子の記憶は口伝えの伝承として、子守唄となって母から娘へと細々と伝わるばかりであった。
 さような子守唄を聴きながら生を受けて十五年、明日婚礼の夜を迎えるというのに、たまきの心は晴れやらず、月光を受けて輝く瑠璃の耳飾りを手に夜空を仰いでいた。心にかかる霞の彼方、月明かりよりもなお清らかにうち笑むのはひとりの少年の面影であった。銀色の髪に銀色の瞳は人ならざるものと知れた。面識ある相手ではない。ひとたびたりとも目にしたためしはないが、やしろの鳥居をくぐり、社殿に詣でる折りには彼女の胸の内に語りかけ、夢とうつつのはざまに現れては様々な予兆の言葉を預けるので、環は神と信じて疑わず、さりながら余人に語る気にもなれずに、ひとり心の奥底に秘めて奉ずる神であった。その名を瑠璃の君と彼女は呼んだ。環が生を受けるとともに授かった瑠璃の耳飾りになぞらえてのことだった。
 その謂れは母が環の産土うぶすな神社から賜ったものだと聞いている。あたかも己の守り神のようで、この耳飾りに瑠璃の君が宿ると感じた彼女は、日中は絶えず耳飾りをつけて、夜になれば枕元に手縫いの敷布を敷いた上に置いて休ませるのだった。
 やがて彼女も十五歳となり、婚礼の夜を明日に控えるとなると、妙な胸騒ぎがして寝るに寝られず、寝床を抜け出して夜空を見上げれば、皓々と輝る月の下にあの瑠璃の君が現れはせぬかという思いが頭をもたげた。
 嫁ぎ先の村長むらおさの息子は、酒をひとたび飲めばたちまち狂態を露わにして女を虐げる。逃げ出した女たちは数知れず、村長の子とあっては拒むわけにもいかぬ。彼女らは村人たちに後ろ指を指されて、新たな婿も決まらないまま、世間から隠れるようにしてひっそりとよわいを重ねる。中には耐えかねて自ら命を絶った者もいたと云う。さような噂を聞くにつけ、この縁談を破談にしたいと何度願ったことだろう。叶わぬことと知りながら、瑠璃の君と結ばれればどんなに幸せだろうかと思わずにはいられなかった。
 こうして夫となる相手でなく、己ひとりが奉ずる神に心傾けることは不義理に違いないと分かってはいても、思い留めることもできない。いっそ逃げ出してしまおうか。里の山には数多の禽獣が潜む。ひとたび夜の海へ漕ぎ出せば命はない。それでも村長の子に虐げられ、辱められるくらいならば、この命、己の奉ずる神に捧げたい。
 折しも夜は更けて真夜中にさしかかったおり、耳飾りが妖しい光を放って夜道を照らしはじめた。海の夜光虫の放つ光に似て、青白くまばゆく輝く光の先に、瑠璃の君が待っているに違いない。環は草履も履かぬまま素足で獣道を駆け出した。
 光の示した先は墓地であった。有象無象の墓が並ぶ中、草木に埋もれてくずおれたひとつの墓があの青白い光に包まれている。環は恐々として足を踏み出せずにいたが、耳飾りをにぎりしめてすっと息を吸いこんだ。ただ確かめたいだけなのだ。己が奉ずる神の正体を。
 環は墓に歩み寄ったものの、何かが現れる様子もなく、墓の発する光は煌々ときらめき、光量はいや増してゆく。好奇心とおののきに背中を押されるままに、おそるおそる草木をかき分け、朽ちかけた墓石を掘り起こしはじめたが、墓あばきをしたことが知れたらただではすむまい。死を覚悟した己ひとりが汚名を着せられることはともかく、一族にまで累が及ぶかもしれない。手も足も土にまみれて汚れてゆく。もはやここまで来ればもう後には引けぬ。村を捨てる。腹は決まった。
 神がここまで己を導いたのだとすれば、よもや罰するような真似はなさるまいと祈るような気持ちで土を掘り返した矢先に、穢れも知らぬような白衣びゃくえに包まれ、銀の髪をうち靡かせた少年が横たわっているのが明らかになった。夢にまで見た神が現れたことに、環はうつつも忘れて呆けたように見入った。
「あなたは……瑠璃の君」
名を呼ばれて少年は目を覚ました。銀色の瞳に射すくめられて、彼女の背筋に冷たいものが走る。人ならざる妖しい目だった。
「我が妹よ、久しいな」
「いもうと……?」
 環は膝から崩れ落ちた。己が神と信じていたものは、他ならぬ兄であったのか。さりながら己に兄がいたなどという話は耳にしたことがない。この十五年もの間、独り子として育てられてきたのだ。にわかには信じがたかった。
「知らなんだのか。我はそなたの兄として生を受け、我らの母に殺された。異形の子としてな。されど我は去ぬことも叶わず、こうして十七年もの間、土の中で眠り続けてきたのよ」
「母さんがそんなこと……子守唄で聴いた異形の子が私の兄さんだったなんて……」
「その耳飾りが何よりの証。もともと我のものであったのを、我らが母が惜しんでそなたに与えたのであろうが、耳飾りを身につけた者と我とは分ちがたく結ばれて、我を招かずにはいられない」
「そんな……」
「そなたは明日、村長の子息の元へ嫁ぐはずだったが、縁談を破談にしたいと望んでいた。違うか」
「なぜそれを……」
「夢の中ではそなたの考えなど筒抜けよ。そなたの夢と我の夢が交わったのだ。ゆえにそなたも我を見たであろう。さあどうする? 刃を振りかざせど、焰をもって焼き滅ぼせども我は死なぬ。これまでに生まれては屠られてきた異形の子らは、数多の同胞はらからではない。ただ我ひとりだったのよ。墓に葬られては息を吹き返し、十七歳このとしになるまで墓の中で息を殺して睡り、やがて数百余年の時を経て若返り、再び胎児となって次の母のはらに宿り、また屠られては生まれ、まもなく墓に埋められる。ことわりのわからぬ人間の所業はまことに愚かなものよ。輪廻なるものも我とは無縁なれど、これを業と云わずしてなんとしよう」
「あなたが破滅をもたらすというのは本当なの?」
「左様。されど破滅は自ずとやってくる。遅らせれど遅らせれど、衰亡の兆しはいずれこの国にもたらされる。その自明の理を人の手で延命しようとしたがゆえに我は幾度となく殺されてきたのだ。筆舌に尽くしがたきその苦しみ、そなたには分かるまい。幾度も殺められるたびに身を裂かれる苦しみを味わい、生まれるたびに身もくびれるような苦しみに苛まれる。だがそれも今日で終わる。我が墓と数多の母の胎の中を行き来するのもこれで仕舞というわけよ」
 少年はついてもいない泥を衣から払うような仕草を見せた。清らかな白衣がさらさらと夜風に揺れる。彼にとって国を滅ぼすことは塵を払うに等しいことなのだろう。それでも環にとって、父母の住まう村がこのまま滅んでゆくのを指をくわえて眺めているわけにはいかなかった。それが人の子の愚かさそのものだとしても。
「いいえ、あなたにこの国を滅ぼさせはしない。そしてあなたの忌まわしい宿命からあなたを解き放たれるのは、きっと私だけに違いない。私があなたを呼ぶとともに、あなたもまた私を呼んだのよ」
 生まれ故郷を捨てた娘と、その兄たる異形の子。もはやこの地に留まってはいられない。ふたりが生き延びる道はただひとつ。
「探しましょう。私たちの住むべき場所を。ここから遠く離れた安寧の地を。私はあなたを神として鎮める巫女になり、国を統べる者になる。ふたりで国を築きましょう。あなたは破壊神ではなく創造神になるの」
「そなたが我の囚われた理を変えようと云うのか。面白い。だが叶わぬならば我がそなたを食い殺し、新たな国をも滅ぼすまでよ」
 こうしてふたりは旅立った。それから数十年の時を経て、森の奥の巨大な湖の中心にある島で、兄を神と仰ぎ、妹を統治者として戴く国が発見された。言語はいずれのものとも知れず、文字は解読不能に思われた。妹は齢六十歳を超えて、容貌は衰えていたが、兄の外見は未だ十七歳のままであった。銀の髪の合間からのぞく耳には瑠璃の耳飾りが揺れていた。


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サークル名:紫水宮(URL
執筆者名:嘉村詩穂

一言アピール
耽美主義を掲げて、雪月花、花鳥風月をテーマとして詩や小説、俳句などを発表しています。


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