スナグル 樹木医立花春光のカルテ

 右手の鉄製プレートを確認し、正門を潜り抜ける。笑い声に立花春光たちばなはるあきは視線を上げた。私立桧律かいりつ高等学院、県内ではトップクラスの進学校。回廊構造で建てられた北と南の校舎を繋ぐ二階の渡り廊下を、制服のスカートを翻して軽やかに駆けていく生徒達が見える。思わず目を細めた。独特の、しかし懐かしい匂いがくすぐったい。
 駅近くの商店街に軒を連ねる立花生花店から徒歩十五分。数少ない大口の取引先である高校に、先日注文を受けた花の配達に来ている。卒業アルバムの写真撮影の際、生徒たちに持たせるという白のカラー。修道女のような清らかで美しい凛とした花は、女生徒にとても映えるだろう。先程見かけた生徒を思い浮かべながら事務室へと足を向けた。
「立花生花店ですが」
 用を終えて部屋を出る際、一目で教育者と分かる水色の白衣を纏った男とすれ違う。目の端に映る、立ち上げられたトップと短い前髪、くっきりとした二重に長い目尻。どこか見覚えのある顔だった。誰だったかな、と思いながらも小さくお辞儀をする。男は気づかずに事務室に入った。春光も部屋を後にして職員専用の玄関に向かった。知らない素振りだったので気のせいかと思い直していると、「失礼します」と後方から声が聞こえた。
「トモ?」
 思わず友人の名を口にして振り向いた。事務室から出てきた白衣の男はカラーを携え、春光の作業エプロンを目にすると小さく会釈した。
「立花、生花店」ハッと男は表情を変えた。
「立花って、タチバナ、ハルアキ?」
 春光は小さく頷いて笑う。気のせいではなかったらしい。男は破顔の笑顔で駆け寄り、春光の肩を叩いた。
「お前何でここに、っていうか、いつこっちに戻ってきたんだよ!」
 白衣の男は、高校時代の友人、上田智之うえだともゆき、その人だった。
「なんでって配達だよ。今、君が持っている花の」
「え? なに、もう家継いだの?」
「違うよ、僕はただの店員。トモユキこそ……え、就職先の学校って、ここだったの? てっきり公立の学校かと」
「落ちました。期待を裏切って悪うございましたね」
「いや、別に期待はしてなかったけど」
「ヒデェ!」
 格好は一端の教師だが、こうして話してみると何も変わっていなかった。母校でなくとも学校という場所だからか、高校時代の記憶とダブる。
「お前は昔から薄情というか淡泊だよな。戻ってきたのも知らせてくれないし。弟もそうだよ、あいつも俺の話を聞きやしない」
「なんでユキツグが」
「聞いていないの? 俺、ユキツグの副担任で数学教えてんだけど」
「君が!」
 春光の弟、雪嗣ゆきつぐがこの高校に入学したことは知っていた。だが、まさか友人が教師として雪嗣に教える立場になっていたなんて思いもしなかった。
 そうだよな、あれから七年経ってるんだもんな。別に不思議じゃないんだよな。
「あ、なんか傷ついた。すっげー傷ついた」
 二十五の男らしからぬふくれっ面を浮かべる智之は、もはや教師のそれではない。
「悪かったよ、なんか想像できなくって。ゴメンゴメン」
「悪いと思うなら、この後、俺に付き合え」
「いいよ、なら今夜でも」
「いや、今。今、俺に付き合え」
 何を言っているのだろうか、この男は。まだ下校時刻どころか、昼にもなっていない。
「今って言われても、店番しなきゃいけないし、だいたい君も授業が」
「これがな、タイミングよくこのあと空き時間なんだな」
 智之は、ニヤって笑って春光の肩に手を回した。
「付き合えるよ、な?」
 一度言い出したら引かないのは知っている。「分かったよ」と親友の腕を払った。
「これ教室に置いてくるから。ちょっとここで待ってろ。逃げんなよ?」
 親友は廊下を駆けていった。制服ではない、翻る白衣が眩しい。
 昔とはもう違うんだな、と春光は苦笑した。

「見て欲しいんだ。今のお前なら分かるだろうから」
 事務室がある北校舎の裏側を歩く。校舎の裏側は職員用の駐車スペースらしく、北側であっても明かりが抜ける。その右手にはプレハブ。「文化部の部室棟だ」と説明を受けながら建物に沿って、夏草が茂る突き当りまで歩き進めた。砂利の音が足元で響く。
 突き当りは学食と購買部が連なって並び、パレットに積まれたパンを販売スペースに並べている人たちがいた。もともと雑木林だったのだろう。日陰で涼しい。
 今のお前なら、智之はそう言った。春光は実家の花屋を継ぐための大学に入学し、そこで別の未来を見出した。大学卒業後は造園業に進み、研修を経てこちらに戻ってきた。まだまだ新米ではあるが、傍から見れば同じ。春光は立花生花店店員兼樹木医だ。
 学食から少し離れたところで智之は立ち止まった。
「学校のシンボルの一つだよ」
 サァーと風が吹き、緑の玉霰が降り注ぐ。足元にはサクランボを緑にしたような実がいくつも散らばっていた。聞かなくても分かる。
「立派なクスノキだね。でも」
 特に異常は見受けられない。樹木医ならそう口を揃えて言うだろう。春光以外は。
「クスノキもシンボルだけど、見て欲しいのはそっちじゃなくてこっち」
 智之に促されて視線をずらす。クスノキよりも太いヒノキが上へ上へと枝を伸ばし、もこもことした形状の帽子をかぶっている。
「桧律高校。学校名の由来なんだ」
 シンボルというよりは、守り神、ご神木と言った方が相応しい立派なヒノキだった。
「だからちょっと心配でさ。これ、放っておいても大丈夫なもんなの?」
 智之が指さす位置を覗きこむ。土の上へと盛り上がった太い根の一部に出来た、大きめの樹洞じゅどう。一般的にウロと呼ばれるものだ。かなり前からあったのだろう、樹洞の中は枯れ葉が堆積している。春光は枯れ葉を少し取り除き、そっとヒノキに手を当てた。感じることは出来たが、何も聞こえない。
「今日は何も持ってないから見て感じたことだけしか言えないけど、すぐにどうこうなることはないよ」
「こんなデカい穴が開いてるのに?」
「大丈夫。これでも樹木医だから、何かが起こる前には手を打つよ。だから心配しないで」
 顔を上に向け、クスノキの枝に腰を掛け、緑のポンチョを纏っている少年を見つめる。春光が来た時から心配そうにこちらを見下ろしている少年の顔が綻んだ。少年はふわりと音もなく舞い降りて言った。
「お兄さん、お医者さんなの?」
 見るのは初めてだったが声で分かる。春光は小さく頷いた。少年はびっくりしたような表情を浮かべた。
「え、聞くことも出来るの?」
「全部じゃないけど、聞こえる」
「は?」
「生きたいと願う、その意志は。経験は少なくてもね」
 怪訝な声を上げる友人に、言葉を足す。少年は春光と智之の顔を交互に見つめ、智之の顔を覗きこんだ。ヒノキを見ている智之の視線は動かない。
「お兄さんは」
 話しかけようとする少年に見えるよう、春光は人差し指を唇に当てた。少年は残念そうな顔をして春光の隣に並び、エプロンをギュッと握った。
「まだ半人前だから、友人に紹介する自信がなくて。ごめんね」
 そう少年に囁くと、少年は首をブルブルと横に振ってから、「僕もだもん」と笑った。
 ヒノキはもちろん、少年がいたクスノキも、その大きさから若木には見えない。人間から見れば、もう立派な大人で半人前とは言えないが、彼らは、特に長寿の木であるクスノキは何百年、何千年と悠久の時を同じ場所で生き続ける。そう考えれば、クスノキの化身である彼が、少年の姿であることも、僕も、というのも頷ける。
「偶然とはいえ、専門家に見てもらえて良かったよ」
 智之はホッとした表情で、しみじみと言った。
「俺もそうだけど、他の先生たちも分からないからなぁ。生徒達みたいに何か話してくれたり訴えてくれれば、それが無理でも態度とか見せてくれれば、まだやりようもあるんだけどさ。植物は喋ってくれないし、態度も見せない」
 智之の言い分はもっともだが、春光に言わせれば、全くないわけでもない。この少年のように姿が見えるのは稀だが、声だけなら拾える樹木もあるし、実際語りかけられたこともある。だが、ヒノキのように何も語らない樹木もまた、少なくない。店に置いている切り花も鉢植えも、何も話さない。
「そう、人のように話してはくれない。だから、僕らは想像するんだ。今、中で何が起こっているのか。この先、何が起こるのか。この樹が何を求めているのか、訴えているのか」
「難しいな」
 春光は樹洞の淵をそっとなぞった。
「容易くはないけれど、ありのままの姿で居続けてくれるから出来ないことじゃない。彼らは人のように逃げない。強がらない。嘘をつかない」
 春光の隣で少年がコクコクと頷く。
「虚偽をしない」
 春光の言葉に、そういうものなのか、と智之は呟いた。
「樹木医で一番大切なのは技術じゃない。どこまで選択肢を増やせるか思考する力があるかどうかだ。想像できるかどうかだ。そのためには、僕らは毎日勉強しなければならない。触れ合わなければならない。経験しなくてはならない。それらは全て糧になる。想像と発想の元に。治療法の向上に」
 ザァァァと風が吹き抜けた。
「僕の先輩と相談して、改めてまた見にくるよ」
 風に揺れる木々がさざめく。
「今度は樹木医として道具を持って」
 木々のエールに、春光は力強く言った。


Webanthcircle
サークル名:シュガーリィ珈琲(URL
執筆者名:ヒビキケイ

一言アピール
現代ファンタジーを中心に恋愛ものや舞台脚本を取り扱っています。変わり種でエッセイと、鳥と猫しか出てこない話も書いてます。今回のアンソロジーは現代ファンタジーの読み切りですが、気力があればいつか新刊として出るかもしれません。


Webanthimp

この作品の感想で一番多いのはしみじみです!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • しみじみ 
  • ほのぼの 
  • 受取完了! 
  • しんみり… 
  • ロマンチック 
  • ゾクゾク 
  • 怖い… 
  • 胸熱! 
  • 尊い… 
  • エモい~~ 
  • この本が欲しい! 
  • そう来たか 
  • かわゆい! 
  • 泣ける 
  • 切ない 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • 感動! 
  • 笑った 
  • 楽しい☆ 
  • キュン♡ 
  • ほっこり 
  • ごちそうさまでした 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください