老婆の叫び
老婆の叫び
妻の母国の中都市のバスターミナルで、乗り継ぎの長距離バスを妻と二人で待っていた時のことだった。
二人で出発ホーム近くのベンチにすわって、バスが来るのを待っていた。
そこに、他の長距離バスを待っているらしい一人の老婆がすり寄って来た。
話を聞くと、どうやら老婆はトイレに行きたくて妻に助けを求めてきたらしい。
このバスターミナルで、たくさんの手荷物を抱えながら一人でトイレに行くというのは、そう簡単なことではない。
置き引きやひったくりや強盗がいるかもしれないバスターミナルの中、本性はともかく外見は信頼できそうな我々夫婦に助けを求めてきたのだった。
妻は、私に老婆と私達の手荷物を見ているように言った後、老婆をトイレに連れて行った。
しばらくして、妻と老婆がトイレから戻ってくると、ちょうど私達が乗ろうとしていたバスが入って来た。
私達二人は、老婆に適当にあいさつしてバスに乗り込み始めた。
車内の席に座り、私が窓を開けて先ほどの老婆の方を見ると、老婆はこちらに向かってしきりに何か叫んでいた。
バスターミナルのプラットホームの構造上、老婆がバスの窓のそばに来るのは困難であった。
バスの窓から老婆まで距離があったのと出発間近のバスのエンジン音で、老婆のか細い声は聞き取れなかった。
私が妻に、
「おい、まだ何かあるのか叫んでいるぞ」
と声をかけた。
なんとか聞き取ろうと二人でバスの窓から首を出し、老婆の方に顔を向けていると、老婆のそばにいた小太りの中年の婦人がそれに気がついて、老婆の言葉を大きな声でゆっくりと言ってくれた。
「おばあちゃんはね、こう祈っているのよ。『あなた方に神様の祝福がありますように』って」
サークル名:数学的恋愛論(URL)
執筆者名:藤四郎
一言アピール
短文一行落とし 最後の一行で喜怒哀楽を感じていただければ幸いです。