彼は惨死の先を視る


※作中に流血・残酷表現を含みます

「エーテルトカゲ?」
ワニじゃないかな」
「ドドンゴじゃねえの」
 曇天の沼地を泳ぐ何かを見つけた男たちは、それぞれの故郷で存在を聞いた、凶暴な水棲の肉食獣を思い浮かべた。
 各々の得物を構え、いつでもその鱗を貫けるように、あるいは突撃を避けられるように身構えながら。
 大きな沼に歩み寄り、その主らしき生物の存在を認めた瞬間、理解してしまった。これが『討伐対象』であることを。
「……来るよね」
「だろうな」
 フォグと名乗っている、若草色の髪をした青年は、一歩前へと踏み出した男に静かに問う。そして息を呑み、異形の両手で曲刀を握り直した。
 いかつく青白く、六本の指を備え、先端が地面に届くほど長い手は、以前相対した化物から奪い取ったもの。生体武装グラフトと呼ばれる異能力のひとつ、他者の四肢を使う力によって得たそれを扱うには、想像力と慣れを要した。
 子供の頃に遊んだ、携帯端末のゲームアプリをふと思い出す。プレイヤーの分身たるキャラクターが、ダンジョンに潜ってアイテムを集め、身を鍛え、モンスターに殺されてはまた挑む内容のものを。モンスターの特徴を奪えるシステムのソフトを、ずいぶんとやりこんだ記憶がある。
 まさか自身が似たような――しかし記憶の中のものよりずっと悪趣味な――状況で暮らすことになるとは、この奇妙な世界に召喚されるまでは露ほども思わなかった。ハックアンドスラッシュよりFPSがよかったのに、この世界では規格の合う銃と銃弾を買い揃えることができない。
「モーくんは」
「下がってろ。隙を見て投げてくれ」
「わ、わかったっ」
 隣に立つ仲間をちらりと見やる。自分よりも年下の、まだ幼さを残す姿の少年が、後ずさりながら荷物袋を漁った。
 先月仲間入りしたばかりの新入りは、ゲームで言えばまだレベル3か4といったところだろうか。巨大な獣を相手に立ち回るのはまだ早い。距離を取りつつ先輩たちの動きを見せなければ、そしてあわよくば自分の頼もしい姿も……と意気込んだ、その時だった。
 沼を泳いでいた何かが動いた。がばりと身を起こしたそれはやはり鰐に似ていて、やや遠巻きでも見上げるほどの巨体を誇示したかと思うと、水を滴らせる二対の前脚を広げて水面に倒れこんだ。
「げ――」
 押しのけられた水が、ざばぁん、と大きな音を立てて降りかかる。咄嗟に後輩の腕を掴み、きつく目を瞑った。水中のごみで視界不良を起こしては戦闘に響く。
 流されぬようにと足を踏ん張り、冷たい衝撃を全身に受けた次の瞬間、敵は案の定近くに迫っていた。人間をやすやすと呑めるほどに大きい、鋭い牙が二重に並んだ顎を開きながら。
「頼む!」
 目の前の男――生活と戦いを共にするメンバーのリーダーである――が、叫びながら右に跳び退る。それが自分への言葉であること、そして何を頼まれたのかは瞬時に理解できた。
 後輩の腕を掴んだまま左へ駆ける。そして近くの木へと異形の手を伸ばし、目一杯の力で肘を曲げて身体を持ち上げた。痛みが腕を軋ませるが知ったことではない。勢いよく閉じられた巨大鰐の顎が、誰もいなくなった空間を噛み砕いた。
 獲物を食らい損ねた鰐は、四対の脚で湿地を踏みしめて向きを変えた。狙うは小粒の人間たち二体。鋭い眼で確と見据えながら這い寄り、同時に尾を激しく振るう。泥を撫でるように、逆方向に逃げたもう一体の人間を弾き飛ばすために。
 巨大鰐の誤算は、尾であしらおうとした一体こそが、最も戦いに長けた凶暴な個体であったこと。
「うぉらああああああアアッ!!」
 獣じみた咆哮が響く。フォグよりも多くの異形を宿した男は、人間離れした脚力で尾を飛び越え、腕を振り上げて尾を切り裂いた。手にした武器ではなく、武器そのものとなっている腕によって骨を断ち切った。
 右腕の代わりに片刃の剣を、左手の代わりにいかつい爪を備えた男・イゾラは、赤黒い血を浴びながら凄絶な笑みを浮かべる。恐ろしくも頼もしい、悪鬼めいた笑みを。武器は他者から奪ったものではない、紛れもなく彼自身から生えているものだ。
 傷を負い、辛うじて繋がったままの尾をぶら下げたまま暴れる巨大鰐を、残る二人は木の陰から見上げていた。
 新入りの少年・モーリェは焦りながらも、化け物を前にしている割には落ち着いた動きで、手にした着火器具のスイッチを何度も押している。しかし水に濡れた装置はだんまりを決め込むばかりだった。用意してきた原始的な爆発物は使えそうにない。
「ごめん、置いてって……っ」
「ああ、気を付けて」
 モーリェの瞳で水面が揺れた。比喩ではなく、本当に海を封じたかのような片目は、彼が得た異能力の源である――が、今は役に立ちそうにない。
 フォグは少年の意思を確かに汲むと、背を向けて巨大鰐へと向かっていった。彼にとっての唯一の後輩は、大切に愛で育てたい存在だ。しかし戦いの中で鰐の巨体に圧し潰されたとしても、それは致し方のないことだと判断した。
 この場に集う男たち――闘人レイズドと呼ばれる異形の戦士たちは、四肢を捥がれ心臓が止まったとしても、真に死ぬことはない。彼らを飼う存在によって強制的に蘇生させられ、また戦いへ赴くこととなる。ひよひよの新入りであったとしても。
 自ら死地に踏み込み、命に代えてでも討伐対象を討つ。その生き様を背で示すため、青年は湿地を駆けた。
「よっ……と!」
 異形の手を伸ばし、薄く開いた口の先端に曲刀を突き立てる。しかし手ごたえは硬く、鼻先の鱗は堅固に刃を拒絶した。
 ならば、とその隣に生えた角を掴む。鱗を破れないのなら、もっと柔らかい場所を突いてやればいい。しかしそうやすやすと体に登らせてくれるはずもなく、鰐は頭を大きく振って抵抗した。やや小柄な体が宙へと跳ね上げられ、引っかかった枯れ草のように振り回された。
「っ、ぐ……」
 呻きながら標的を見下ろせば、その巨体の上を駆ける姿が見えた。
 赤い髪を靡かせ、細長い鱗を踏んで跳んだイゾラが、右腕の刃を首へと突き立てる。並の刃物の比ではない、呪いじみた切れ味の刃が鱗を抉り――止まる。
 背に備えられていた細長い鱗が動き、その下から無数の刺が射出された。死角から襲い来る敵を討つためであろう刺は、イゾラの片耳を潰し、背から翼のように生えた触手を傷つけ、腹と脚を貫いた。つくりの良い顔が、苦痛に、そしてそれを塗りつぶさんばかりの快感に歪んだ。闘人たちの体は、痛みを悦いものとして受け取るように作り替えられている。
 彼は串刺しにされながらも、左手の爪を鱗に突き立てその場に留まった。しかし振り落とされぬようにするのが精一杯で、首の肉を切り開くことはできずにいる。
 そんな根競べとなった戦いに、小さな姿が割り込んだ。
 ひとり取り残されていたモーリェが、鰐の口めがけて何かを投げつけている。齧りつかれかねない危うい距離で。
「こ、こっちだ! かかってこい!!」
 ありったけの声で叫びながら、拾い集めた鰐の刺を投擲する。それがなくなれば続いて石ころを。多くは外れるか鱗に弾かれたが、いくつかが口腔内を傷つけた。
 巨大鰐の眼が少年をねめつける。頭を振り回す動きが、一瞬、止まった。
 その隙を見逃すわけにはいかない。フォグはすかさず他の角を掴み、鰐の頭によじ登っていく。武器は取り落としてしまったが、もっと切れ味のよいものが目の前にあった。
「イゾラ!」
 名を呼び手を伸ばした先は、血まみれで荒く息をしている男。チームのリーダーにして最硬の剣。左腕をひしと掴めば、彼はその意図を汲み、傷のないほうの足で鱗を蹴って跳んだ。
「任せろ!!」
 尖った歯を見せて吠え、右腕の剣を横薙ぎに振るう。赤黒い刃は鰐の目尻を捉え、巨大な近眼を真っ二つに切り裂いた。
 血と透明な内容物が傷から溢れ、巨体が揺らぐ。頭を振るだけではない、勢いよく地に転がる動きに、男たちはいよいよ振り落とされ泥溜まりに叩きつけられた。
 一回転して体勢を立て直した鰐は、受け身を取りそびれたフォグの腰を踏みながらもう一体の敵へと向かう。骨が軋み、内臓が破裂する感触に、フォグは鈍い悲鳴をあげてのたうった。
 巨体が狙うは最も危険な個体。イゾラは刺で貫かれたままの身体を起こし、血と泥にまみれながら、なおも闘志を失わぬ眼光で敵を見据えた。
 鰐が大口を開ける。その動きから逃れる力は既に残っていない。しかし彼は、
「たんまり味わえよなぁッ!!」
 力強く叫び、まだ動くほうの脚で地を蹴り――巨大鰐の口の中へ、自ら飛び込んだのだった。
 石を手にしたままの少年の、リーダーを慕う眼が見開かれる。その瞬間を脳裏に焼き付ける。
 口を閉じた鰐は、強靭な歯で確かに敵の脚を捉えた。そしてそのまま身をよじり激しく暴れだした。薄く開いた歯の隙間から血が滴り、辺りを赤く染めてゆく。命を懸けて飛び込んだ男が、口内で刃を振るい続けている。
 鰐が暴れるうちにイゾラの脚が千切れ、振り落とされて沼へと落ちる。半身を失ってなお喰らいつくことをやめない、狂気を孕んだ闘志がそこにあった。
 ただ見ている者たちにとって、その時間はひどく長く感じられた。敵は顎を振り回しながら遠ざかってゆく。やがて襲撃者が振り落とされ、脚の欠けた体が地に落ちると、鰐は傷ついた巨体を引きずり逃げていった。どこか体を休められる場所へとゆくのだろう。
 残された二人にそれを追う力はなく、小さくなってゆく姿をただ見送るのみだった。しかし討伐対象の動きを身で学び、かなりのダメージを与えたことは、後に行われる追撃の大きな助けとなるだろう。
 唯一動ける状態であるモーリェは、ずたぼろの仲間たちを交互に見て、フォグのもとへと駆け寄った。まだ助かる可能性がある、と判断して。
「生きてる!? 怪我は!?」
「いろいろ、潰れたね……何か、襲ってきたら、置いてって。囮ぐらい、には、なるよ」
 血を吐きながらもどうにか笑顔を作って見せると、少年は申し訳なさそうに頷いた。
 ぼろ雑巾のような体をも再生しうる、魔法のような装置が彼らの拠点にあるものの、その恩恵は生きて帰ったものにしか与えられない。それまでに力尽きたとしたら、離れて転がっているイゾラと同じように、強制的な蘇生の世話になることとなる。
 リスポーンは治療よりも高くつく。こんなところまで昔遊んだゲームと似通っていて、それならヒロイックなストーリーも用意してくれよ……と思ってしまう。
 思わず追いかけたくなるヒロインがいないわけではないのだが。
「あの、一応、イゾラさんも見てくる」
「ああ……よろしく」
 フォグのお気に入りの少年は長い三つ編みを揺らし、すでに事切れているだろうイゾラのもとへと駆けてゆく。彼の愛くるしい瞳は、剣を擬人化したような男をいつも追っていた。
 この悪趣味な世界に順応しきった男は、窮地において思考を止めることがなく、命を賭してでも喰らいつくすべを想像し実行する。その背は恐ろしく、頼もしく、少年の憧れを受けるに値するものだった。
 モーリェがしゃがみこみ、顔にそっと触れるさまを、遠巻きに見つめる。
 瞼を下ろしてやるその動きに、どれだけの想いが詰まっているのか。溜め息をつきたい気分だったが、出てきたものは血の塊だけだった。


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サークル名:むしむしプラネット(URL
執筆者名:柏木むし子

一言アピール
官能猟奇バトルBLライトノベル『絶命のユーフォリア』でてんやわんやしている男たちの一幕でした。
妙なパーツが生えた男子・首の取れる男子・ガッツのある少女が大好き! むしむしプラネット!
少女+男子生首アンソロジーを刊行予定です。クビモゲストの皆さんもそうでない皆さんもよろしくね。


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