ミオソティス

 目の前に絶世の美女がいる。
否、違う、違う、そうじゃない。目の前にいる女が絶世の美女に見える。この差はすごく大きい。世間一般の美女の条件で言えば、精々色白ぐらいしか佳澄には当てはまらない。その色白だって、元はただ不健康なだけなのに。
「うう……」
 薬の副作用なのか少し眩暈がして、俺は顔を手で覆う。心拍数が高い。体温も。自分の体のことだ、つないだ計器の表示を見なくても分かる。
 一度落ち着こう。深呼吸深呼吸。
「……俺、何飲まされたんだ?」
「言ったらプラシーボになる」
 ツンケンした声に、なぜだか心が浮かれた。
 佳澄はモルモットを見る目で椅子に座った俺を見ている。その視線がとても嬉しくてもっと見てほしい。異常だ。
「気分でも悪くなった? なんの薬だと思う?」
 意地の悪い口調だ。確実に楽しんでいる。
「お前これ……惚れ薬だな?」

 現代に生きた魔女の痕跡が発見されたのは、百年前の話だ。
 発端は、三年ほど行方が知れなかった元少年が『魔女のねぐら』から命からがら逃げだしてきたことだ。彼は魔女に攫われ無理やり働かされていたのだという。警官や近隣の住人を引き連れてその『ねぐら』に戻ってみれば、魔女らしき姿はなく、かわりにおびただしい量の動物の骨と、見たこともない言語での書きつけが発見された。少年曰く、魔女はそこで不老不死の薬を研究していたのだと。
 誘拐監禁で錯乱したのだろうと誰も信じていなかった元少年の証言だが、物好きが数年かけて解読したメモの一つに短時間であるが空を飛ぶ魔法が記されていて、事態は一転する。他にも物に命を吹き込む魔法、姿が消える薬、頭の良くなる薬――そして不老不死の薬などの存在が示唆されていて、にわかに魔女のメモの解読ブームが沸き起こった。
 忘れっぽかったのかそれとも単にメモ魔だったのか魔女の書きつけは大量にあり、そしてかつその言語は難解で同じ文字列でも全く関係のないことを指していることが多く、現在でも全ての魔女メモの解読は終わっておらず、また不老不死も見つかっていない。おかげで今やネット上に未解読メモは公開され、懸賞までかけられている。
 一攫千金を夢見て俺と佳澄がメモに手を出したのは中学生のころだった。誰にでも公開されているが故、夢見る中高生はみな一度は魔女のメモに挑む。
 魔女のメモには『想像力が大事』と繰り返し強調して書かれているらしい。時には走り書きで、まるで自分を鼓舞するかのように。
 昔、どこかの識者もテレビでこう言っていた。「十代のうちは知識を想像力がカバーしてくれる。過去にもメモの解読に成功した子供も少なくはない」と。
 実際多分、それは間違ってない。でもきっと、俺たちはただ運が良かったのだ。
 青春の貴重な時間を費やして解読に成功したメモには、魔法や不思議な薬ではなく、残念ながらその日の晩のメニューが書いてあっただけだった。重要度的にはハズレもハズレだが、解読成功には違いない。高校生――着手から四年経っていた――の小遣いにしては多すぎる懸賞金を手にして、俺たちは調子に乗った。
 次はもっと長いものを。そうすれば今度は魔法や薬の製法かもしれない。もしかすると不老不死の断片かも、いや他にも存在が示唆されているあの夢の魔法かも。そうだったら内容によっては正直に解読を報告して懸賞金を得るより自分たちで商売に使ったほうがいいんじゃないか。俺たちは毎日全く進んでいない解読を続けながら夢を語り合った。
 だが夢はいつか覚める。
 きっかけは些細なことでもうよく覚えていない。
「お前はもう必要ない」
 どこにでもある話で、俺たちは喧嘩別れをした。
「あの二つ目のメモ、解読できたよ。魔法の薬の製法だ」
 だから、十年音沙汰のなかった佳澄からの久々の連絡に浮かれた。
「もっとデータが欲しい」
 そして提示された報酬に目がくらんだ。それがどういうことか、想像しなかった。
 そして今思い出す、昔「想像力がない」と言われて喧嘩したのだと。
――おかげでこのざまだ。

 俺の体は今、ソファに拘束されている。薬を飲む前にそうされたので、今となってはまあなるほどと思う。
「お前、俺のこと好きだったのか?」
「なんでそうなる」
「じゃなきゃ惚れ薬なんて飲ませないだろ、なんつーか、嬉しいけどさ」
 佳澄はメモをとりながら、わざとらしく大きなため息を吐き出した。そのわざとらしさが照れ隠しっぽくてかわいい。
「ここまでウザくなるのは想定外だったな」
 吐き捨てるように言って、佳澄はメモを机に放り投げた。
「なんだよ、惚れ薬だって解ってなかったのか?」
「解らないものを幼馴染とはいえ他人に飲ませるわけないだろが。解らないものはまず動物だろ、せめて自分だ」
「ん? ということはお前も惚れ薬飲んだのか?」
「これは飲んでない。解ってたからな」
 イライラした口調で佳澄は言い返す。俺はふわふわした不思議な気分でそれを見上げる。
「そういえば昔も『魔女のメモ』の夕食を再現して俺に毒見させたよな。旨かったけど」
「あのレシピで普通のシチュー以外のものが出来るもんか。旨かったならいいだろ」
「いいけど、これからは毎晩作ってほしいな」
「息をするようにプロポーズするな」
 お前のせいだろ。
 俺は椅子の背もたれに体を預けて、ふと周囲を見回した。
 俺とは別の大学に行った佳澄は、卒業後この国で一番の魔女についての研究室のあるこの大学院に進んだ。つまりここは魔女のメモ解読の最先端だ。噂によれば不老不死の薬を見つけるのなら、ここかアメリカとイギリスの合同研究所だと目されているらしい。そんなところに治験のためとはいえ俺みたいな部外者も入れていいのだろうか。
広々とした研究室には平日の昼間なのに佳澄と俺以外に人はおらず、俺が黙れば必然的に佳澄も黙り、パソコンか何かの機械が静かに低く唸る以外静寂に包まれている。
「普段からこんなに誰もいないのか?」
「いいや、普段は煩いくらいだったよ。侃々諤々かんかんがくがくするのが好きな奴ばかりで」
へえ、と俺は口の中で呟く。
仮に喧嘩別れしなかったとしても、俺はこんな所まで佳澄についてこられなかっただろう。一人で先に行ってしまったことを羨む気持ちも恨めしい気持ちも、行かせたことに申し訳ない気持ちもあった。けど結局、俺の代わりはいくらでもいたか。
「ちなみに……別にこの心理状況が嫌なわけじゃないけど、惚れ薬の解毒剤はあるんだよな?」
惚れ薬を解毒というのも妙な気がするが、ほかに表現の仕方が思いつかない。
「ない」
きっぱりと佳澄は言い切った。まじかよ。
佳澄は机に置いてあったタブレットを手に取り、椅子を転がして俺の前に持ってくる。背もたれを抱きかかえるようにその椅子に座り、俺と向かい合った。そしてタブレットの画面をなにやらスッスと撫ではじめた。
「心配するな、男の恋愛は『名前を付けて保存』っていうだろ。相手さえいればいくらでも新しい恋愛はできるさ。相手さえいれば」
にやりと厭味ったらしく二度言われた。不安を煽られる。出会いなんてここ最近全くない。もしやずっとこのままか?
「お前さあ、ここにもし、もし『不老不死の薬』があったら、飲みたい?」
タブレットから顔を上げず、佳澄は唐突にそう尋ねた。
「薬が見つかったのか?」
「もしだってば」
「そうだなぁ、正直あんまり……。長生きはしたいけど、ほどほどで良いっていうか」
生きることは良いことばかりじゃない。それが永遠というのは想像もできない。
「そう言うと思ったよ」
うつむいたままの佳澄は、うっすらと笑ったような気がした。
「結局、みんなが考えるような不老不死なんて都合のいいもんはないんだよ」
俺は小さく首を傾げた。まるで分っているような口ぶりだ。
「魔女の不老不死は肉体を捨てて、意識だけを別の次元に持っていくんだ、それだけ」
そう言うと、ぐるりと研究室内を見回した。
「でもその次元には永遠と、全智がある」
視線の先、少し離れた場所でプリンターが動き始めた。佳澄がタブレットでなにか印刷したようだ。
「これ、今日の謝礼。増毛の薬のメモの解読。解読の気晴らしに解読したらできたやつだけど。換金するもよし、自分で作って商売に使うもよし。自分で使うのは……まだしばらく必要ないことを祈る」
俺はぽかんと佳澄を見上げる。目の下のクマが酷かった。正直酷い顔だ。でも俺には世界で一番美しい顔だ。
「惚れ薬じゃ、ないのか?」
「ああソレは魔女のメモ製じゃないからな。私がイチから作った。欲しいなら作り方やるけど」
どや顔で言いかけたその顔がすぅと薄くなったような気がして俺は瞬きする。
「けどもう時間なさそうだな」
悲しげに佳澄は自分の手を見つめる。その手は透けて、向こう側が見えていた。
「どういう、ことだよ」
「察しが悪いな、飲んだんだよ、全智の薬ってやつ。だって、そんなの、飲まないわけにはいかないだろ? けど、不老不死の副作用があった。都合のいい不老不死じゃなくて、さっき言ったやつ。それだけ」
早口で言い、佳澄は顔をそむけた。室内には、俺と佳澄以外誰もいない。
「あれこれ試して他より三日伸びたけど、タイムオーバー」
両手を挙げて、佳澄はおどけてみせる。
「私が言うのも何だけど、お前もう変な薬飲むなよ。長生きしたいんだったら」
俺の手首の拘束を外し、ニッと笑った佳澄の姿は衣服を残して霧のように消えた。
「……もう少しお前と駄弁っていたかったな」
最後に聞こえたそれは後悔か、それとも惚れ薬の幻聴か。
俺は一人、誰もいない研究室に長いこと立ち尽くしていた。

昼休み、会社の食堂のテレビで魔女のメモの解読挑戦者が次々と失踪しているというニュースがさらりと流れた。
彼らが不老不死に辿り着いたのだと知っているのは俺以外に一体どれだけいるだろうか。
「名前を付けて保存、か」
――多分ホントに俺の事なんか好きじゃなかったんだろう。
俺は佳澄が俺にあの薬を盛った理由を、もう想像することしかできない。


Webanthcircle
サークル名:押入れの住人たち(URL
執筆者名:なんしい

一言アピール
新しい話を旧作のファイルにそのまま書いて別名保存しようとしたら間違って上書きしちゃうことってありません?私はあります(挨拶
押入れの住人たちは気が付けばやたら魔女ばっかり書いてるサークルで、新刊は惚れ薬ばっかり集めた短編集が出来たらいいなぁと想像しています


Webanthimp

この作品の感想で一番多いのはしんみり…です!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • しんみり… 
  • 切ない 
  • 受取完了! 
  • ゾクゾク 
  • 胸熱! 
  • 怖い… 
  • 尊い… 
  • エモい~~ 
  • この本が欲しい! 
  • そう来たか 
  • ロマンチック 
  • しみじみ 
  • かわゆい! 
  • 泣ける 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • ほのぼの 
  • 感動! 
  • 笑った 
  • 楽しい☆ 
  • キュン♡ 
  • ほっこり 
  • ごちそうさまでした 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください