ナイト・パーク


 背後で大きく喉を鳴らしているかと思えば、ごぇっと暗がりに音が落ちるように響いた。未知なる獣がする雄たけびのようなげっぷ。「きったねえな、獣かよ」と言い放ちながら、キリンラガーの大瓶を右手から左手へ持ち替える。そして飲む。平らな喉は鳴らない。瓶の中では黄金色にしゅわしゅわしているんだろう。ビールもこの暗さの中では色を感知できない。でも味は分かる。
 想像だけだ。きっとビールはしゅわしゅわしてる。暗がりに負けない麦穂色を光らせている。
「あら、失礼」なんて淑やかな声を猫のように吐きだして、シークワーサーの氷結缶500mlをぺきぺき鳴らしている。
「氷結の缶、ダイヤモンドカットを鳴らす」
「そう、氷結の缶は小さな楽器でもある」
 なに言ってんだ、とビールの大瓶で小突いてやろうとしたら避けられた。ビールは随分減っているから零れたりはしない。
「あ、獣の仲間だわ」なんて言って小さな芝生に向かって歩いていった。

 なにかがずれていったり、どちらかがいやな心を抱えたりしたときにいつだって繰り出すのは夜の公園だ。二人が出会った場所が夜の公園だったから、その暗がりを歩いてゆくことで平静を保つんだ。って言えばそれなりの理由になるんだろうか。理由なんて本当はない。季節が抽象化していずれ喪われるように、理由はほどけてこの暗がりの公園に飲みこまれて無くなってしまう。ノー・シーズンズ。ノー・リーズンズ。
 いろんな公園を巡った。その度に新しい発見があった。
一緒に住んでいる部屋からもっとも近い公園は道路を挟んで二つあった。初め一つの公園が二分されているのかと思ったが、それぞれが独立した公園で名称が異なっていた。一つは水飲み場と砂場(藤棚に囲われている)、ブランコとトイレ、木製でべったりとペンキが塗布されたベンチが四つある。撤去されたゴミ籠の名残である丸く盛り上がったコンクリート跡も二つあった。
対してもう一つの公園は長方形をしていて、マンションと運送会社に接した短辺、長辺側は植樹で覆われている。けれどこれを公園と呼んでいいのかがどうにも分からなかった。なにせ、なにもないのだ。植樹と柵があるだけ。ベンチも遊具もない。交差点の角地の隙間を埋めるために作られたような場所だった。
どちらの公園にするかをせーので互いに指差してみた。結局どちらも少数派だという意識があったから小さな公園に入った。植樹を時折撫ぜながら酒を飲んだ。マンションのすぐ傍にあったから、ひそひそ話し合った。「小さな声は怒りを鎮めるね」と囁かれた言葉が印象的でノートに書きつけてある。

 獣の仲間には毛がなかった。気高く雄々しく原野を駆けだそうとする白馬が小さな小屋のオブジェの脇に立っている。小学校高学年くらいの子供ならばよじ登って跨ることができるくらいの高さ。白いペンキで鬣も尾っぽも固められている。
「毛がない。つるつる」
「でも魂は」
「あるかな。でも誰の」
「創作者の。それから馬というデザインを生み出した神様の」
「創作者の。それから神様の」
「合作」
 それなら、と言って氷結の缶を尾っぽの先に器用に立てかけて軽々と馬に乗った。ねえ、撮って、と言われた。撮ってやることにした。アイフォンを取りだして、フラッシュを焚いて、動画で撮影した。暗がりの白い馬の耳に囁きかけるように小さく語るのを撮影した。
「馬の、創作者の、神様の、それからキリンの氷結の、それから跨る者の合作。録画している眼とアイフォンによる合作。魂。魂っていうなら、男だったころの魂があるはずだし、女の子であるはずの魂があるだろうし、想像だってできるよ。こんな小さく刈り取られた芝生の丘にも魂が溢れてるってこと。想像できちゃうよ。背後にある小さな小屋にこの美しい白馬を買っている全身ペンキだらけの家族の魂あることだって」
 ねえ魂を撮影してよ、と言われる。挑戦的に黄ばんだ歯並びを見せてる。あの犬歯で一度舌を切ったことがある。馬の首に両腕を回して体重を預ける全身の奥にかつての魂も見えるように撮影してみる。映像はありのままを映してくれるから、きっと魂だって映りこんでいる。

双子のようでいてアンバランスな公園から南側へ進んでいくと運送会社が社宅も併設した巨大な配送所をもっていて、その脇を進んでいく。先にある信号を渡るとここにも公園がある。ワニ公園と呼ばれているそこは少年たちが少人数で野球やサッカーができるくらい広い。町の歴史を紹介する看板も設えられている。ワニのオブジェの他にもゾウとカバがいる。ワニの人気が伺える愛称だ。初めてここに来た時はどちらもひどく心が不安定で、近所の金華宴という中華屋で紹興酒をしこたま飲んでからワインやニッカウイスキーをコンビニで買いこんでやってきたのだった。少年少女のように駆けまわって我先にとチェーンネットクライムと呼ばれる遊具にしがみついて昇った。二メートル半はあろう枠に鎖が張り巡らされて所々に掴まるための輪っかがくっついている代物。てっぺんに昇ると思いの外怖かったことを覚えている。慎重に足で踏んばりながら降りて、鉄くさい掌を互いの鼻に近づけて笑った。
最近、昼間に立ち寄ったらチェーンネットクライムは「のぼるのダメ」と大きな貼り紙が吊り下がっていた。なにかあったのだろうか。「昇りたいな」という駄々を制して手を引いて帰った。その日はホンビノス貝を酒蒸しにして食べた。その日も大瓶のキリンラガービールと氷結を飲んだ気がする。

 魂が溢れている馬の芝生にバイバイと手を振って、ベンチと樹木と小さな砂場を抜けた。それから巨大な雲梯場へ柵を一跨ぎして軽く乗り込む。
「ねえここ。ここのこの雲梯も昇るの禁止されてるね」
 昇降禁止、とラミネートされた紙が貼りつけてある。
「最近ニュースでやってた。全国の公園を対象に遊具の安全性を再点検して問題の見つかったものを一斉に禁止にしたって。老朽化しているものや構造的に危険と見做されるものを子供たちの安全のために見直す」
「刷新」
「刷新」
「でも正しい?」
「ある意味では」
「危険は?」
「ある意味では」
 そうだね、と言った。バランスで保たれているね、とも言った。でもこの身体は崩れてしまったよ、とも言った。撮影はまだやめていなかった。撮り続けていた。だから、そう。これは演技なんだ、と言い聞かせた。
「魂が映りこむように演技を続けなきゃ」
そう言ってピンク色のアイフォンを取りだして、こちらを撮影した。撮影しているのを撮影しだした。どちらも演技なのだという虚飾で夜に紛れようとした。
「こちら側も歪だったから割かれてしまった」
 なにも言わなかった。かつてノートに落書きした〈未然形の割礼〉という言葉が舌の上に転がってきた。でも口には出さなかった。
「なあ、」
 語りかけてもフラッシュの光りをこちらに向けてじっと黙っていた。僅かに笑っていた。歯は黄ばんでいて不揃いで、犬歯が鋭くって一度舌を切ったことがあった。
「想像できるかな。この空っぽになった大瓶で頭をさ、この大きな瓶でもってさ、おもっきりぶん殴るんだ。流血させるほどに、殺すような覚悟をもって。かち割られた頭は意識をぐらっと失いそうになる。瓶が割れて、その朦朧とした頭から〈反撃せよ〉という信号を崩れゆく全身に流す。この大瓶が割れて地面に落ちようとする鋭利な切先の破片をがっと掴んで殴ったクソ野郎の顔面にぶちこむんだよ。それで二人とも巨大な穴の淵から飛びこむように膝からくずおれるんだ」
 そんなことあるかな。撮影していた。撮影されていた。アイフォンのスクリーンの中で顔の半分をアイフォンに隠して笑っていた。「本当に笑っているのか、それとも演技だから笑っていられるのか」と問いたい気がした。
「そんな飛び方があるいはあるかもしれないね。雲梯前の死闘、あるかもしれない。崩れて割かれた身体が刷新されて、新たな場所を求めて落ちていく。そんな空想はありうるのかもしれない」
 でもないかも知れないね、と笑った。それからアイフォンでの撮影をやめた。焚かれていたフラッシュライトは消えた。アイフォンでの撮影をとめた。焚かれていたフラッシュライトも消した。

「大きなタイヤの怪獣がいる」と訊いていた公園に行った時は酒を飲むのもそこそこにあらゆる遊具で遊びつくして、タイヤを組み上げて作られた怪獣の尻尾の付け根で何かを話すふりをした。ひそひそ囁き合っていた。どこの言葉かは分からない。妖精のような言語で話し合っていた。
「もし警察がやってきて、なにをやってるのかと職務質問されたらどうする」とあのとき聞いたんだ。

 公園の傍にある休憩所はもう開いていなかった。でも自動販売機は煌々と光って虫を集めていた。爽健美茶を飲んで、ジャスミンティーを飲んでいた。
「タイヤの公園に行ったとき」
「ヴぅん」
 ジャスミンティーを口の中でぐちゅぐちゅしながら相槌を打ってきた。
「怪獣の尻尾の付け根に腰かけて妖精の言葉で話し合ったとき。妖精の言葉をもって職務質問されたらなんて答えるって聞いたんだよ。なんて答えたんだ。質問の意味なんて分からなくて意味のない、理由のない言葉にして返したのか。互いに別の妖精の言語で話してたから。あの会話は成り立ってなかったかな」
「ううん」とさっぱりした口で明瞭に答えた。
「きちんと答えたよ」と明瞭に答えた。
「妖精の言葉で応答を続けようね。負けたりしないで」
 そう話したんだよ。妖精の言葉で。

   *

 キリンラガービールの大瓶は飲み干された。氷結のシークワーサー味500mlは飲み干された。爽健美茶も飲み干されようとしている。ジャスミンティーも飲み干されようとしている。「ううん」とか「ふう」とか諦念するような声が互いの崩れゆく身体から漏れていた。
 遠くからバイクの過ぎ去る音が響いてきた。
 その音の余韻の隙間から不意に現れた妖精たちが二人の崩れそうな身体を四つに割いた。妖精たちは黄色い声で四つの身体を軽々と掴んで駆けまわり、笑いながら「昇降禁止」の雲梯をよじ昇った。それから夜空に架かっているのであろう妖精にしか視ることの許されない階段を陽気に昇っていった。
 見えなくなる頃には誰にも見えなくなっている。


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サークル名:羊目舎(URL
執筆者名:遠藤ヒツジ

一言アピール
「羊目舎」は小説家・詩人の遠藤ヒツジが主宰する個人サークルです。今作「ナイト・パーク」は以前から度々書いている日子(ひこ)と非女(ひめ)という男女が主役の小説です。この二人の登場作品をまとめた短編集を来年あたりに出しますので、今作で気になった方はぜひご覧頂けると嬉しいです。夜の公園に行きましょう。


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