審判


「古より、神話や伝説の中で人々は死した最愛の人を生き返らせようと、様々な方法で挑んできたが、成功した話を私は寡聞にして知りません。これから何年、何十年と時が経ったとしても、死者を蘇らせることは叶わないのではないか。人類はたぐいない想像力で数々の不可能を可能にしてきましたが、今日までそれが成し遂げられていないということは、これはもう人間の能力を超えた理なのでしょう。ならば、不可能に思いを馳せるのではなく、その想像力を亡くなられた最愛の人の思い出に向けて、死者を悼みませんか。どちらも建設的ではないですが、それでもまだ後者のほうが無駄にはならないのではないでしょうか?」
 探偵を生業としている菅野村正は室内に集まった人間を順々に見回す。ひょろりとした背広姿の男、小学生ほどの男の子に老齢の男性、そして小太りの男が輪を描くように狭い部屋の中に立ち並んでいる。
「どうでしょうか。皆さんがひとり一人、亡くなられた人との思い出を語り合いませんか。時が経つにつれて記憶は薄れてしまいます。古い記憶を手繰るとなると、かなりの労力をともないますが、まだ記憶も新しい思い出を手繰るのはむつかしいことではありません。どうぞ、思い出せるまま、おひとりお一人どうぞ、」
「では、私から良いですか?」
 スーツ姿のひょろりとした痩せ型の男が手を上げる。沈痛な面持ちで彼は床の一点を見詰め、周囲の人間が頷くのを確認していない。それでも、否定の言葉が上がらないので男は語り出す。
「妻は、私と結婚するまで孤独でした。幼いころに両親を亡くし、親戚縁者はいても邪魔者扱いをされて、引き取り手の家を転々とする日々だったそうです。でも、そのお陰と言うか、所為と言うべきか、彼女は人の気持ちを酌むことのできる、優しい人柄でした。私と妻の出会いも、彼女のその優しさのお陰でした。
 その日、私は通勤電車の中で唐突に眩暈に襲われ、途中駅のホームでベンチに腰を掛けていました。眩暈は中々治まらず、次第に吐き気まで催してきました。立ち上がるのも、助けを求めるのも辛く、ぐらぐらとする意識の中、ただただ症状の治まるのを待っていました。そこに、彼女が声をかけてくれたのです。返事もままならないことに気付き、救急車を手配し、見ず知らずの私のために付き添ってもくれたのです。これほどまでに性根の優しい人に出会ったのははじめてでした。感謝の気持ちとともに、瞬く間に私は妻に惚れこんでしまいました。幸い、彼女は私の思いを受け止めてくれて、結婚することが出来ました。
 子供も生まれ、幸せな日々が続くと思っていました。ですが、私の転勤があの悲劇に遭遇する遠因となってしまったのです。子供の教育を考えれば転校などさせず、私が単身赴任をすれば良かったのですが、『家族は一緒にいるべき』と言う妻の言葉に甘えてしまい、知り合いのひとりもいないあの地へ引っ越していきました。そして、私が仕事に出ている日中、買い物に出かけ、あの悲劇に妻は巻き込まれました、」
 記憶を辿るのを終えた男は、やはり呆然と床を見詰め続けていた。
 隣にいた少年は男の視線が留まる床をこつこつと爪先で蹴りながら、ぽつりぽつりと言葉を漏らす。
「僕のお母さんはいつもニコニコしていた。」
 今にも零れ出してしまいそうな涙を瞼に溜め、少年は肩と声を震わせる。
「友達のお母さんたちと違って、太っていなかったし、煙草の臭いもしなかった。僕が熱を出して寝込んでいた時も、ずっと傍で看病してくれたし、いつもは手間がかかるからってやってくれないウサギ型にリンゴを剥いてくれたりもした。料理も上手で、給食のカレーよりも百倍美味しいカレーを作ってくれた。
 でも、もうお母さんのごはんを食べることはできないし、熱を出しても手を握ってくれない。僕が悪さをしても庇ってくれない。
 お父さんの大事な本を汚してしまった時も、お母さんは罪を被ってくれた。お父さんに謝って、代わりに本を買いに隣町の大きな本屋まで出かけて行った。でも、その時にお母さんは事故に巻き込まれて――。
 僕がちゃんとお父さんに謝っていたら、お母さんは死ななかったのかもしれない。ごめんなさい。ごめんなさい、お母さん。」
 呟くような少年の言葉は途切れ、彼は俯いたまま微動だにしない。
「何も悪くない。」部屋にいた一番年嵩の男が節くれ立った手を少年の頭に乗せ、優しく撫でる。「君は何も悪くない。本当に悪いのは――、」
 年輩の男はしわがれた声で喋りながら少年と同じく俯き、床の一点を見詰めた。その目には、怒りと悲しみが入り混じり、苦々しい皺が口の端に刻まれていた。
「結局、私も謝ることが出来ないまま、二十数年会うことのなかった娘と永遠の別れを強制されてしまった。この歳まで生きてきて、後悔しかないのだから寂しい人生だ。娘が生まれた時は、こんな気持ちになるなんて露にも思ってはみなんだ。
 最初の後悔は、あれにはじめて手を上げてしまった夜だ。元々、世間体もあって躾は厳しくしていたが、その日は仕事にトラブルもあり、虫の居所が悪かった。些細なことで、私は娘をぶった。情けないことに、その暴力すら躾の一環と自己肯定し、私はその後もことあるごとに手を上げた。
 そんな育てられ方をしたら、当然反発の強い子供になるに決まっている。娘も、思春期を迎えるころには反抗的になり、その態度が私にさらに手を上げさせた。もう、容易に修復できぬほど、私たちの間には深い亀裂ができていた。
 そんなある日、娘は高校を無断で中退し、家を出ていった。すぐに呼び戻せば、もしかしたら帰ってきたかもしれないが、意固地な私は歩み寄ることが出来ず、娘という存在を記憶から忘れ去ることにした。
 それから二十数年、私と妻はふたりで静かに暮らしていた。しかし、元々身体の強くない妻は病に倒れ、家の中を整理していたら、妻と娘が密かに連絡を取り合っていた手紙が出てきました。私も人の子ですので、いくら忘れようとしていても自分の子供に会いたくないわけがない。忘れよう忘れようとしても、ずっと心の襞に残り続けていた。でも、娘の連絡を知った後も、二十年前と同じで私は勇気がなかった。歩み寄る勇気が。
 結局、あの大事故の被害者の中に娘の名前を見付け、連絡を取ることも仲直りすることも叶わなくなってしまった。まあ、不器用な私には仲直りどころか、再び会話をするのもできたかどうか……、」
 記憶を手繰り終えた老齢の男はこのわずかな時間でさらに年齢を重ねたかのように気力を消耗し、項垂れた顔を持ち上げることも出来ず、床を険しい表情で見つめている。
「娘を失う辛さは僕も分かるつもりです。」
 まだ口を開いていなかった小太りの男が、老人に歩み寄り、同情を寄せる。
「たしか、貴方があのバス事故で失ったのもお嬢さんでしたね。」
 労わるように菅野は小太りの男を見る。
「ええ、」太った男は頷き、悔しそうに歯噛みして視線を落とす。「娘はまだ小学生で、まだまだこれから多くのことを経験し、成長していくはずでした。幸せになるはずでした。あの事故によって、彼女の未来は失われてしまった。あれはもう、殺人と言っていいと思います。
 娘は気が弱く、親の影にいつも隠れているような子でした。僕のシャツの裾を小さな手でぎゅっと握る姿は今でも瞼の裏に焼き付いて離れません。他にも、小学生に上がった直後は学校に行くのが嫌で、毎日のように泣いていた姿も忘れられないし、友達ができて泣かずに登校する様子を見た時は、小さいながら幸せを感じました。
 その後も、嫌がっていた学校行事での外泊も乗り越え、少しずつ少しずつ日に日に成長していく姿は僕の宝物でした。あの日も、友達と遊びに行くと笑顔で僕に手を振っていた。でも、それが娘を見た最期の姿でした。」
「あの事故は本当に悲しい出来事でした。」四人の話を聞き終え、菅野は頭を左右に振る。「あの痛ましい事件をなかったことにさせるわけにはいきません。皆さんの思いに応えて私は『コレ』を見つけ出しました。」
 皆が見詰める床の一点――そこには手足を縛られ、猿轡をかまされた男が横たわり、菅野は冷ややかにその人物を見遣る。
「あの事件の主犯とも言える、不注意運転をしていたバスの運転手です。彼は多くの人間を死に至らしめたというのに業務上過失致死を問われるだけで、実名を報道されることもなく、わずかな刑罰のみで済まされた。
 想像してください。事故の瞬間、貴方たちの最愛の人がどのような恐怖を感じ、どのような苦痛を味わったのかを。」
 それは想像力を働かせるまでもなかった。彼らの耳には最愛の人の悲鳴が幻聴として木霊し、焼き付いて離れない。
「探偵として、皆様に依頼されたとおりに『コレ』を用意いたしましたので、あとはご随意に、」

     ※

「想像するというのは、優しさです。」
 菅野はあなたにゆっくりと語りかける。
「普段は及びもつかないものへと思いを向けること。それは寄り添うということです。しかし、一部の人間は自分本位で、他者への想像力を著しく欠いています。不慮の事故を起こした加害者がどれだけ苦しんだか、そしてその者にも大事な人間がいて、反対にその者を大事に思っている人もいる。そんな当たり前のことにも思い至らない人間たちが。
 さて、私は頼まれました通り、私刑を加えた人間を捕まえました。あとは、あなたの思うままにどうぞ――」


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サークル名:妄人社(URL
執筆者名:乃木口 正

一言アピール
今回は推理要素がほぼ0でしたが、普段はもう少しロジカルな学園ミステリを書いてます。
まあ、読後感はこの小品と五十歩百歩と言ったところなので、
いつも「あと味が悪い」という褒め言葉を頂いてます。気になる方はイベントでお立ち寄りを!


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