文字を読んでみたかった。
既に親もその親も文字を読んだ事はない。誰も文字を見た事がないのだから、それがどんな物なのかを知らない。

初めて物語に触れたのは、父親がストーリーデバイスを渡してくれた時だ。五歳の頃だと記憶している。子供部屋の奥に扉があり、そこから様々な世界へと冒険に出る内容だった。
私は夢中になった。一つのストーリーが終わると新たな物語を検索し、次々と子供に向けたフィクションを体験した。
五歳に向けたメニューは数限りなく有るかと思いきや、数ヶ月で殆どを体験し尽くしてしまった。それ以上は一つ歳を取らないとメニューには上がってこない。あれ程自分の誕生アニバーサリーを待ち遠しく感じた事はなかった。
六歳向けのストーリーはそれまでの倍以上あり、殆どを網羅するのに八ヶ月はかかった。そして残りの四ヶ月を又待つだけで過ごす羽目になった。
十になるとカリキュラムがメニューに出現した。年齢に見合った知識と教養を身につけるのは義務だからだ。全て教育統制機関が管理し、小児が無理なく享受出来るよう調整されている。必須項目は当然だが無償化され、例えばカリキュラムに含まれない趣味や娯楽などは有償とされている。
どうやら私は平均よりも知識欲が旺盛だったらしく、配信されるどのプログラムでも退屈した覚えはない。退屈どころか、楽しくて仕方なかった。それまで持ち得なかった知識が自分のものとなるのは、喜びでこそあれ苦痛である筈がない。昨日まで知らなかった事象が、プログラムの履修で自らの知識となる。それを退屈だと感じる者など存在するわけがないと思っていた。

青年期を終え、成人と見なされる年齢に達する頃、規定のカリキュラムは全て終了した。それ以上は日常に必要はないとする判断だ。勿論、そう判ずるのは統制機関で、申請しそれが妥当と承認を受ければ追加のプログラムを受け取る事が可能だった。但し、現状のままでは受信できない。指定の施設で肉体に機器を埋め込まねばならないのだ。
自らのアップデートを選択する際にも迷いは一切なかった。物理的な施術により追加デバイスを接続する、有る意味今後の人生を左右する岐路に於いても、望んで一歩を踏み出していた。より高度な知識を手に入れたい。その為には少々の肉体的苦痛など迷う理由にもならず、周囲の同年者が躊躇うのを見て、大層理解に苦しんだ。この並々ならぬ貪欲さは、恐らく両親が生産局の学術部門に従事していたからだろう。
人はその親のクラスによって能力レベルを固定される。技術部門の親ならその子も技術レベルを高めに設定されるし、音楽などの芸術部門に席を置く親の子は、当然ながらそちらに能力を振られる。
私の両親は研究者ではなかった。有り体に言えば研究者のアシスタントだ。担当する部門で資料を探し揃えた其れ等を提出するのが仕事だった。だがら私の能力レベルは幾分そちらに振られているに過ぎない。殊更に新たな知識を求めたのは、個体差なのだろうと考えている。
親とは別の部署でアシスタントの役割を得たのは、二十一の時だった。仕事は就業に於ける法律で一日六時間までと定められる。人が最も効率よく作業をこなすのはこの時間枠であると立証されているからだ。私は刻限まで流通と効率に関しての資料を探し集めた。そして私事に当てられる時間を用いて、可能な限りの知識を享受した。まさに手当たり次第、受け取り可能な全てを貪る如く体内に取り入れた。

三十を半ば程過ぎた頃、私は一つの過去と出会う。人は嘗て『文字』と言う伝達手段を使用していた事実だ。『文字』に関しての資料は微小で、単に過去の歴史の一部に残るのみ。どれだけ深く検索しても概要すら見つけられなかった。
私の貪欲さがその一点へと大きく傾く。知りたいと願う意識の全ては『文字』へと注がれた。しかし一般市民が得られる中にそれ以上は無く、特殊部門の検索限定を解除しなければ手が届かないのだと知った。
研究者でない一般の職員がその先を得るには、途方も無い行程をクリアする必要がある。矢も盾もたまらず、統制機関の窓口まで出向き、担当者に解除のシステムを訪ねた結果がそれだった。しかし諦めるなど私の思考には皆無だ。その場で最初の申請までのあらましをレクチャーしてもらい、その日から余暇に当てる時間全てを解除の為に費やした。
解除の目的を明確な資料として提出するのが一つ目の課題で、機関が申請を適正と判じない限り次への扉は開かれない。提出から十日が経ち、二十日が過ぎても結果はもたらされなかった。日々をじりじりと過ごすのは5歳のあの日以来だ。あの時は誕生アニバーサリーが到達点だったが、今回は区切りのない時間を送らねばならない。私はひたすら待ち焦がれる日々に身を委ねた。

申請から四十五日経過したその日、待ちに待った知らせが届いた。最初の説明では受諾か否かが知らされる筈だった。ところが通信を寄越した担当はこんな事を告げた。
『明日の就業後に窓口まで来て頂きたい。』
理由は口にせず通信は切れた。予想外の対応に私は首を傾げつつ、指定の場所へと足を運んだ。
窓口で用向きを告げる。面会用の個室で待つよう促される。困惑しながら指示に従う私の前に、担当は更なるイレギュラーを提示した。
「貴方の申請を受諾するにあたり、関連機関と協議を重ねました。」
私はどう応えて良いのか分からず、目線だけでその先を乞うた。
「貴方のこれまでの履修歴、また余暇に取得した知識プログラムの量を鑑み、提出された申請を受諾し、レベル上限の解除を許可します。」
この時の私は踊りださんばりの喜びに包まれた。立ち上がり、礼を述べ握手の為の右手を差出そうと腰を浮かせた。
しかし担当は私を制し『但し』と続きを語り出した。
「検索解除を許可するに当たり、幾つかの条件を満たして頂く必要があります。」
担当は厳かな口調で『探索者』と言うポジションを知っているか?と尋ねてきた。
私は大きく首を横に振る。初めて耳にする単語だ。
「研究者はご存知のように特定の事象、課題、ジャンルに対してのより深い研究を進めるポストですが、探求者は此れまでに確認されていない未知の事象、或いは研究者に委ねる以前の資料の微小な課題を探し、概要を明らかにするポストとなります。」
つまり、『文字』に関する情報を深く求め、いつの日かそれを研究に値する課題まで昇華させる役割に就くなら、限定を解除すると機関は言っているのだ。
私ははっきりと首を縦に振った。その動作以外を持ち合わせていなかったからだ。探求者への移籍以外は取るに足らない条件だった。種の保存法に則り、パートナーと対になり子供をもうけるだとか、現在の住まいから探求者に割り当てられる居住区へ移動するなどは、受け入れて当然の条件だ。
私はそうして漸く『文字』を調べるライセンスを得た。今後、どれだけの知識を受け取るのかと、高揚する気持ちを内に留めながら、新たな一歩を踏み出した。

「此れがお話した本です。」
ライブラリと呼ばれる施設の監督主任は、そう言って一冊の書物を私の前に置いた。
探求者の資格を得てから既に二十余年が過ぎた。やっと此処に辿り着いたのだと、私は感慨と興奮に指先を震わせ、その一頁を捲った。
此れまでに何冊の書物を読んだか知れない。たった一文字を理解するのに一年の半分以上を費やした日々を思う。
『文字』の概念を自身の中に定着させるのに、どれだけの月日が必要だった事か。並ぶ意味不明な記号に役割があると納得するまでに、蓄えた知識の全部を動員しても足りないと地団駄を踏んだ事を私は忘れない。何もかもが今この時の為にあったと、大声で叫びたい衝動を私は理性でねじ伏せた。
「これは所謂フィクションです。物語と分類されております。」
扉に記された題字を読む私の耳に、監督主任の声が流れ込む。
「此れまで二人の探求者がこの解読に臨み、理解不能と結論しております。」
監督主任の前置きを馬鹿馬鹿しい戯言だと私は感じている。『文字』の概念を突き詰めたなら理解不能になどなる筈が無いと、私は密かに舌打ちをした。
「全てを読み終えたら内容をご報告ください。」
そう言って監督主任は私の前から立ち去った。
もう邪魔な存在は失せた。私は意識の全てを並ぶ文字に注ぎ、件の『物語』を読み始めた。

「それで、結局今回も駄目だったのだね?」
歴史管理機関統制局長、アダムス・ナツメ・ギルバートは深い溜息を落とした。
「はい、文字を読むスキルはかなり高い探求者だったのですが…。」
監督主任は申し訳なさそうに言葉尻を濁す。
「君に落ち度は無い。要するに『imagine』が何かと言うことが確定しただけでも成果はあったと言う事だ。」
「はい。」
「文字を読める事と、其処に記されたフィクションをイメージとして展開出来る事は違う。」
「そのようです。」
「次の探求者が現れ、文字の並びから状況を想像してくれる事を待つしか、我々には出来ないのだからね…。」
そう言って、ギルバートは机上の本を閉じた。


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サークル名:アールワークス(URL
執筆者名:真久部 狗蔵

一言アピール
オリジナルはJガーデンにて昭和ノスタルジーやSFミステリーなどで展開しています。似非大正スチームパンクも今後広げていきたいと思います。


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