1000万あったら

 その日は特になにかがあったわけでもなく、ただちょっと意外だったのは、あいつの方から飲みに誘われたことであって。多分、あいつも深く考えていないと、俺は勝手に思っていた。そして、俺の仕事が終わるタイミングであいつからメールが入ったのを部下に見られて。
「あっちの上長さん、なんか調子悪いって聞いてましたけど……」
「は? どゆこと?」
 茶化されるかと思ったら、何故か心配された。
「鉄道部の方で噂になってますよ。知らないんですか?」
あいつあかでんのおもり役じゃねえよ、俺は」
 答えつつも、少し心配になってきた。あいつこと鉄道部の事実上トップであり、電車線のすべてを担う男である俺の腐れ縁、あかでんが調子悪いとは。遅延とか故障とかトラブルでも抱えてるのだろうか。
 そんな事を考えていたら。
「銀さん、鉄道部運行の問題じゃないです」
「勝手に思考パターンを読むんじゃねえ、水窪」
「北遠のお姉さま、どうして総括の考えていることがわかるんですかぁ?」
 話がややこしいが、北遠と水窪は同一人物である。水窪が旧名で俺はそっちのほうが呼び慣れているだけ。ちなみに『総括』とは俺のこと。
「そんなの、長い付き合いですもの。いつもの思考パターンじゃない」
「……そんなに想像しやすいか? 俺」
「はい」
 水窪にきっぱり言い切られて、俺は苦笑するしかなかったのだった。

 結局、部下の子も水窪も、あいつがどうなっているのか教えてはくれなかった。首をひねりつつ、あいつから指定された飲み屋に行くしかない。
 あいつは先に店に入っていた。珍しく、個室の部屋。
「どうしたんだ?」
 俺は個室で飲んでる方が落ち着くのだが、あいつはどちらかというとオープンでにぎやか……というか、むしろやかましいくらいの店を選ぶ傾向がある。そして、どうも察するに、わざわざ個室を指定したっぽい。
「なんかあったのか? うちの部下たちが心配してたけど……」
 とりあえず生ビールを頼んだところで、俺は尋ねた。
 いつもと違う行動パターンをこいつが選ぶときは、いつもなにかややこしいことを抱えている。
 何年腐れ縁をやっていると思っているんだ。はっきり言いやがれ。
 と思いつつ、ビールとお通しのう巻き、それから枝豆の皿が机に置かれ、店員が個室の扉を閉めたタイミングで。
 あいつはようやく口を開いたのだ。

「なあ、1000万あったら、変わっていたかなあ」

「……は、い?」
 何の話かわからないだろう。わかる。俺もわからない。
「あ、かで、ん……?」
「いやさ、ちょっと前に会社の決算書届いてさ、読んでたんだよね」
「は、あ……」
 多分、あいつの頭の中では、ちゃんとつながっているんだとは思う。けれど、俺にはさっぱりわからなかった。
 その次の、あいつの言葉を聞くまでは。
「大河関係の臨時バス収入、結構な金額だったじゃん?」

 あ。
 こいつが、あかでんが何を言いたいのか。1000万が何なのか、意味がわかった。

「だからさ、あのとき1000万円あったら、未来変わってたかなあって」
「……前の東京オリンピックのときと、今とで物価が違うことはわかってるよな?」
 困ったことに、こいつの言っている『1000万円』とは昭和の時代、今から50年以上前においての1000万円なのだ。平成が終わった今の通貨で換算をすると大体5000万円くらいの金額になる。そしてその頃は。
「あの頃、そんな金がどこにあったんだ。うちの会社に」
 そこそこ右肩上がりに収益が伸びていたとはいえ、鉄道部においてはそんな金はなかったのである。原因は単純だ。
「オレにかける金削って、奥山さんにあげてればなんとか……」
「なんとかならなかったから、今こうなってるだろが!」
 叫んだ勢いで、たまたま手の中にあった空のジョッキを振り上げたところで。

 個室の扉が空き、俺は腐れ縁を血まみれにせずにすんだのだった。

 奥山。あかでんが生まれたときからそばにいた俺とは違い、彼はもともと別会社のモノだった。戦後すぐにいろいろあって、うちの会社の一員となっている。
 そして、奥山もまた鉄道部の一員であった。戦争前に俺は自動車部に転属させられていたし、俺とあかでんの弟分だったモノかさいは戦争に取られていったので、奥山がうちの会社に来るまではこいつだけが唯一の鉄道部のモノ。他に理由はいくつかあるものの、奥山の加入に一番喜んでいたのは他でもないあかでん自身なのだ。喜んでいたというか、あの当時から自動車部にいた連中にいわせると『初恋の君レベル』らしいんだが……。俺はあまり深く考えないようにしている。
 そんな奥山であったが、これまたいろいろあって、仕事をすればするほど赤字を作り出すという状況に陥っていた。その分の穴埋めをあかでんや俺たちでなんとかしていたのだが、自動車社会になっていく世の中、踏切警報機などの設備を整えろという国からのお達しが来たのだ。あかでんの方はヤツの売り上げでスムーズにいったのだが、問題は赤字運行の奥山。赤字体質故に設備投資が後手後手に回っており、最低限の設備をこの期限までに作らないと違法だとまで言われてしまったのだ。
 その時の、最低限の設備を整える費用が。
 当時の金額で、1000万円である。
 ついでに言っておくと、1000万円は最低限の金額であり、実際に国の基準を満たすためにはその何十倍の費用が必要であると試算されていた。当時の彼にそこまで投資して、その借金を返す当てはまったくなかったのである。非常に残念ながら。

 奥山がうちの会社から名前が消えたのは、昭和39年。東京オリンピックが閉幕した、1週間後の話。

「で、でもさ、銀。よく考えてくれよ」
 俺が頼んだ冷酒が届いたところで、ハイボールを片手に、あいつは言う。
「あのあと、奥山さんの沿線、人口が一気に爆発したじゃん?」
「ん、そだね」
「その前に手を入れて設備とかなんとかしておけば」
「お前、その話、一番最初に蹴ったの奥山自身だったこと忘れてるだろ」
 奥山が赤字体質だった原因は設備投資が不十分というか中途半端な点で終わったところにあるのだが、そもそも最初にその話を蹴ったのは奥山自身である。後になって知ったのだが、うちの会社に入社する前、戦時中に軍部自らが設備投資とそれに必要な資金提供をすると言う申し出があったそうだ。それも、どういうわけか奥山は蹴っていた。実際問題、その後の戦火で消失した場所も多く、設備投資をしてもらっても無駄だったかもしれないが。
 今となっては、IFの話であり、その当時想像できたとは思えない。
「それにさ、ほら。今も奥山さんが残っていたら、大河需要でさ……」
 まだ妄言を繰り返す腐れ縁が、そろそろかわいそうになってきた。
 確かに、『おんな城主 直虎』の大半の舞台は、奥山の沿線である。もし残っていたら、少なくとも1年間は終点まで満員状態が続いていただろう。
 だが。だがしかし、言わせてほしい。

「家康が脇役で、井伊谷宮いいのやぐうが主役の大河ドラマが作られるって、今の時代でも信じられねーってば」

 あのときああすればよかったとか、こうしていたら未来が変わっていたかもと妄想することは悪いことではない。俺だって、後悔先に立たずのケースはしょっちゅうだ。けれど、未来はどうしても俺たちの予想をいろいろな方向に裏切るものであって。

「……なあ、あかでん」
「なんだよ」
「奥山さんは生きてるだけいいじゃないか。笠井かさいとは違って」
「……」
 俺の言葉に、あいつは不機嫌そうな表情を浮かべ、ジョッキに残っていたハイボールを一気に煽る。あいつにしてみれば「初恋の君」みたいな相手というのは、奥山ではなく、俺たちの弟分である笠井のほうがふさわしいのではないかと思うのだ。もちろん、恋という感情とは違うものだと思うのだが、俺はよく知らん。
「もしかしたらさ、1000万の1000倍程度の金があれば、奥山さん戻ってくるかもな」
「それ、単位は『円』じゃないだろ。銀」
「さあな」
 ふてくされるあいつの元に本日3杯目のハイボールジョッキが届き、俺はそのジョッキをおちょこの口で軽く小突いてやったのだった。

 ところでその頃。
「っくしゅん!」
「あら、カズハさん。風邪ですか?」
「い、いや……大丈夫です。明日までに治しますよ、イチさん」
 奥山は日本アルプスを超えた向こう側にある街で余生を送っていた。その土地では『カズハ』と名を変え、過ごしている。
 そして、今年はたまたま移籍先の会社が開業100周年記念ということで、カズハ自身も動いていた。
 そんな彼も、当時は想像だにしなかったであろう。昭和で潰えたと思った命が、平成を経て、令和のこの時代まで働き、愛され続けているということを。


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サークル名:R.B.SELECTION(URL
執筆者名:濱澤更紗

一言アピール
公共交通擬人化・浜松エリアなモノたちのお話。55年前のアレコレを未だに引きずってるのは「現存している間は擬人化的に年を取らない」という俺ルールによるもの。ということで。


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