告白
いよいよ、私は死のうと思います。
驚かないでください、いいえ、きっと君は驚かないでしょう。君は私のそういうところを、よく知っているはずです。
君はよく、私を美しいと言いましたね。ええ、覚えています、あれは夏の盛り、うだるような蝉しぐれの、風に落ちる汗のなかで、あるいは春の晩、ちりちりと音を立てる花びらの、その燃える薄明かりの先に、また冬のしんと冷たい朝、それから秋のいっそう晴れやかな雲に託して、君は私を美しいと言いました。
じっさい、私は美しかったのです。しかしそれは、なんと儚いものであったことでしょう。
君に私が出会ったときのことを、覚えておいでですか。忘れるはずはあるまい。だってそう、あれは君のものだったのだから。
私の差し出した手を、君はいぶかしげに見ました。それから言いました、ありがとう、これはとても大事なものです。そうでしたね。まだ幼い、いまよりももっと、ほんとうに幼いころの話です。
そうです、私たちはまだ幼い。そう言ったのも君でした。大人はずるい、汚い、この身は決して大人にはなるまいぞと、君は何べん私に言ったかわかりません。私はそれに何べんうなずいたかわかりません。私たちはよく通じ合っています。ですから、こうして君に手紙を書くのです。
つまるところ、私は絶望したのです。
君は私のからだを見ましたか、見ましたね。そのおぞましさを、君はしかとその目で見たのです。それがどんなにつらく、恥ずかしく、取り返しのつかないことであったか、君はそれだけを知らないでしょう。
思い出されるのは、やはりあの夏です。
深い緑の山の、奥の谷間の小屋にいて、私たちは幼い手足でその隅々までを探検し、庭の大きな石を転がし、あふれ出た蟻の行く手を阻んではゲラゲラ笑っていました。あのときの君の顔といったら!
蟻はとうとうひどく迷って、おばあさまの台所の氷砂糖を持ち出しました。ああ、おばあさまのお作りになる梅シロップはほんとうにおいしかった。あれはまさしく、決して大人にならない無垢で美しい液体です。どうぞ君が受け継いでください。
あのこっくりと琥珀色した液体の、木漏れ日を透かした向こうに見えた山々を、君は好きだと言いました。それはもちろん、不動のものであったからでしょう。季節によって色を変えても、山は山です。どこから見てもそこにあるものです。しかし私は違う。私はもう、だから、ここにはいられないのです。
あの山々を縫って流れる川を、君はまだ夢に見ますか。
水はいつだって冷たかったですね。君が急にパッと服を脱いで、派手な水しぶきを上げて飛び込んだその瞬間を、私はずっと忘れません。あのとき頬にかかった水の珠だけは、すこしぬるかったのです。
私はまったく戸惑ってしまって、そんな私を、君は強引に川へ引き込みましたね。ひどいことをするものです、おかげで私の心臓は、張り裂けるかと思いました。でも次の瞬間には、私は声をあげて笑いました。それで服を脱ぎました。ええ、ええ、ほんとうに、あのころはそれでよかったのです。
私たちのからだはどこもかしこもつるりとしていて、性のひとかけらもなく、ただ同じ人間であるというだけでした。私たちはいつまでもそうであると、信じて疑わなかったのです。だから私は美しかった。君もまた、たいへん美しいものでありました。
いいえ、君が美しさを失ったなどと、ましてや汚れてしまったなどと言うつもりはありません。ほんとうです。美しくなくなったのは私だけなのです。それで、私は絶望したわけです。
そうだ、こんなこともありましたね。あれは春です。緑のまぶしい春。この緑は深く濃いものではありません。ちょうど君の気に入りのインキのような、みずみずしくて透明な緑。あれは私も好きです。もう作られないというのがひどく残念です。
あのとき君は痛いと言いました。私はひどくびっくりして、ずいぶんと泣きました。君が蜂に刺されたのだと思ったからです。ところが君はけろりとして、花の棘が刺さったのだと言いました。まったく人騒がせな君!
君は冷静にそれを抜いて、ちょっと垂れた血をなめて、平気だと笑ってどんどん花を摘みました。君のまわりには蜂がブンブン飛んでいました。私は気が気ではなかった。君は熱心に、花のかんむりを編んでいましたね。
それはどなたに差し上げるものだったのか、私はいまだに知りません。知らないが、それはよいのです。君にとっての棘がなんでもないものだったように、私にとっての花冠はそうだったのです。ただ、君の、それを編むたどたどしい手つきだけが神聖でした。指先を染めた血潮は永遠に君だけのものでしょう。
無頓着な君がその赤い雫を膝の上にこぼしたとき、私はそれを口に含みました。君はくすぐったいと笑いましたね。私はあのとき、心から純粋に、君の怪我のはやく治ることを願ってそうしたのです、けれども、いまもなお同じ心持ちでそれができようと、どうして言えましょうか!
私はおそろしいのです。
君の見た私はどうでしたか。手足が伸びて、いびつになってはいませんでしたか。つるりとしたなんの引っかかりもないからだは、もうどこにもなくなっていたのではないですか。あまりに汚れてしまって、それで君は、言葉をなくしたのではないですか。あのとき。あのとき私は、どんな顔をしていましたか。
あるいは私が蜂であったなら、その残酷な運命を受け入れたかもしれません。知っていますか、彼らはみなメスで(ですから彼らと言うのもおかしな話ですが、なにかこのほうがしっくりくるとは思いませんか)、しかしただひとりの女王たる姉妹のために働き通して死ぬのです。おや、ではだめだ。これは適切ではありません、むしろとてもいい、生き方です。つまり彼らは生殖を知らない。男も女も知らない。一生卵を産まされつづける女王や、ただ一度の性交のためだけに生まれてくるオスとはまるで違うのです。そう、つまり彼らは子どものまま、美しいままで死ぬのです。そこになんの憂いもなく。
私は蜂でありたかった。永遠に美しくありたかった。私は君にとって、永遠に美しい私でありたかったのです。それはまったく私のためだけに。
めずらしく大雪の降った翌朝を、君もきっと覚えていますね。君は一番に、まっさらな白い道を蹂躙しました。顔を真っ赤にして、息を切らして、君は夢中で駆け回ったのです。私を美しいと言うのと同じように。
かつて私はあの雪でした。君の愛する雪でした。
陽光にきらめく雪原を、人はどうしたって汚いものと見ることはできません。私もつまりそうでした。しかしひどいことに、雪はいずれ泥に変わります。君はそれに気づいていましたか。
強すぎる光のために、ひとびとの営みのために、移りゆく季節のために、なにより自身の変化に耐えられないがために、雪は泥へとなるのです。もちろん、耐えられません。到底耐えられるものではありません。しかし私は雪がうらやましい。雪は泥となると、そのうちに天へとかえります、そしてまた雨や雪や雹となって降りそそぎます。川や海や、君の一部ともなるでしょう。私にはそれができません。私は汚れた私のまま朽ちてゆくしかありません。
これをひとびとはほとんど知らないのです。
ああ、なんとしあわせなひとびとであることか!
きっとなにも考えないのだ、それが自然であると思い込んで、ぐちゃぐちゃと交じりあって、絡みあって、まるで自分の正体も忘れて、ただ形に合わせて出っ張ったり引っ込んだりして、それを崇高だと思い込むことの、なにがしあわせか!
私を巻き込まないでほしい。お願いだから。そんな信仰を押しつけないでほしい。君はわかってくれますね、必ずわかってくれるはずです。
だが君は見てしまったのだ。私を見てしまった。私はそうであらなければならないのに、もうすでに出っ張ったり引っ込んだりをはじめてしまっているのです。おぞましい。
おぞましい!
おぞましい!
おぞましい!
これが地獄ですか。では天国とはなんですか。なぜ私はこうならなければならないのですか。彼らの信仰を外れたからですか。では私とはいったいなんなのですか。
私は子どもです。美しい子どもです。どこもかしこもつるりとした子どもです。あるいは雪で、蜂で、あの夏の山です。
私を奪わないでください、
私を奪わないで
ピエタ
ピエタ
ピエタ
もう届かない。
君はいったいどうしてしまったのですか。いいえ、違います、君を責めているのではありません、私の変わったことが罪なのです、君の美しい私でなくなったことが。
君は私を責めますか、責めませんね、責めないでしょう。君はそうやっていつも美しい、そうです、君は美しいのです私以上に!
それを君は知らないのだ
ひどい こんなことがありましょうか
ある。あるからこうして君は私の手紙を読むのです。そうして私はこう言います。
君を愛しています。
だから私は死ぬのです。死ななければなりません。死なせてください。
もうほんとうに、こんなことは言わないと決めていました。面と向かってなどとんでもない、こうして書き残すことさえ、するつもりはなかったのです。私はなぜこうしているのでしょう。おかしなことです。しかしどうにも止まりません。私はずっとこうしたかったのか?
あの秋の馬鹿みたいに色づいたなかを、私は君と歩きたかったのか?
成熟し、実り、孕み、もうこれ以上落ちるところのない季節を?
いいえ、違います。それは幻想です。君はそんなことを一度も思ったことはないですね、ないはずです。ないと言ってください。私がもうなにも聞こえなくなっても、決してないと耳もとで言ってください。
君は子どもです。美しい子どもです。どこもかしこもつるりとした子どもです。あるいは雪で、蜂で、あの夏の山です。君を私から奪わないでください。
君はほんとうに美しい。
私が君から隠れたのは、ひとえにそのためです。
君は私を見つけるでしょうか、きっと見つけるでしょう。そうして涙を流すでしょう。私もいま涙を流しています。私たちは通じ合っています。
星が出ました。昼には虹も出ました。君もそれを見たことと思います。わたしはそれで満足です。
けれども、もし、君がそこに私を見つけず、なにも覚えておらず、それが自然のことと思い、私の言うことを疑い、あるいは理解し、冷静に異を唱え、ときに同調し、私を思い出し、それでも私に触れ、私の告白にこたえようとするならば、どうぞ私を置いて行ってください。
どうか私を、置いていってください。
サークル名:カワズ書房with風待ちの丘(URL)
執筆者名:井中まち
一言アピール
頒布物の内容や雰囲気にはかすりもしないんですが、なんか書けちゃったので投稿しました!一応テキレボ初頒布の『暁を抱いて眠れ』に通ずるものはあるようなないような!ないような!!