通勤時間の駅は混雑していた。最下層と中下層を繋ぐ駅なので、なおさら混んでいる。
 中下層から最下層に向かう者が多いが、その逆も少なくない。ゲートを通り抜ける人々は、時間に遅れまいと誰もが急いでいる。一人が通るたび、長方形のゲート全体が緑色に光り、軽快な電子音が鳴る。
 枡形も、いつものように中下層へ向かうためゲートを通り抜ける。その直後、エラーを示す低い警告音を背中で聞いた。
 まさか自分ではないよな、と思って振り返ると、赤く光るゲートの枠の中には、高校生くらいの少女がいた。エラーとなって驚いているようだった。
 ゲートが赤く光ることはよくある。人々は、我関せずと足早にゲートを通り抜けていく。
 エラーとなって気が動転したのか、はたまた別の理由か。少女は、立ち止まっている枡形を押しのけてその場を離れようとした。
「待ちなさい!」
 警官が二人、人の流れをかき分けて駆けてくる。少女は逃げようとしたが、通行人に阻まれて思うように進めず、あっさりと警官に追い付かれた。
「あたし、何もしてない! 何もしてないわ!」
「いいから、来なさい」
「何もしてないったら!」
 少女の甲高い声が、人混みの向こうへ遠ざかっていく。枡形は駅の出口へ向かった。
 あの少女は、中下層かそれより上の階層の住民で、最下層へ滞在しすぎたのだろう。
 地下都市では、他の階層へ移動した場合、事前申請なしに滞在できる時間は、最大二十四時間だ。
 住民は、個人情報が記録されたマイクロチップを体内に埋め込んでいる。階層を移動する際には必ずゲートを通らなければならず、マイクロチップが読み取られる。それで、移動時間を把握するのだ。二十四時間を経過した場合、あの少女のように警告音が鳴って、警察が駆けつけ、事情を聞かれる。
 たいがいは、想定外の事態に陥って滞在時間が長くなってしまったなど、故意ではない場合が多い。友人や恋人と楽しい時間を過ごすうち、二十四時間が経過してしまった、というのもよくある話だ。
 悪質でなければ、延長した時間分の罰金を払って、説教されて解放される。ただ、何度も繰り返すと、滞在可能時間が短縮されたり、移動を禁止される場合もあった。
 ここ〈一京〉は巨大とされる地下都市だが、環境の激変によって住めなくなった地上と比べれば、どうしても空間は限られる。
 そして、環境の悪い上層よりも下の層へ、人々は行きたがる。限られた場所に過剰に人が集まらないよう、滞在時間が決められているのだ。
 息苦しい。
 枡形は溜息を吐いた。駅を出た後は無人バスに乗った。その昇降口にも、マイクロチップの読み取り装置が設置してある。
 電車もバスも、運賃はマイクロチップに登録してある個人口座から引き落とされる。公共交通機関だけでなく、店で買い物をするときも同様だった。
 バスを降りて職場に向かう間に、人の数はめっきり減っていた。ここ中下層は、最下層の一つ上の階層で人口もそこそこ多いが、端の方は工場が多く、人通りは少ない。工場は機械化が進んでいて、人手はそれほど必要ないのだ。
 枡形が数少ない人手として、バイオプラスチック加工会社で働いているのは、ひとえに、そこが零細企業だからである。完全機械化するには資金も技術も足りないので、人手で補っているのだ。
 そんな会社で働いている枡形は、優れた技術者かといえば、そんなことは全然なかった。
 最下層生まれでありながら落ちこぼれに近かった枡形は、最下層ではどこにも就職できず、入社志望者を集めるのにも苦労していた今の会社に拾われたのである。
 毎日ひたすら、バイオプラスチックを飲食用の容器に加工している。

    ●

 どこまでも広がる青い空には、何の汚れもない白い雲が浮かび、中には海原の果てから生えているような雲もある。振り返れば山があり、深い緑に覆われたそこから、鳥のさえずる声が聞こえてくる。吹き抜ける風はいつでも新鮮で、さわやかな空気を胸一杯に吸い込めばこの上なく壮快な気分になる。一日中、いやそれどころか、何日走り続けても行く手を阻む壁など存在しない、開かれた世界が広がっている――。

「なのに、政府はそれを俺たちに隠しているんだ」
 いつもの御託をまくし立てる葛原は、呂律が少々怪しくなっていた。
「俺たちをこの狭い地下都市に押し込めて、搾取するために。知ってるか、枡形。俺たちが作ったものは、こっそり地上の町に運ばれてるんだぞ」
 カウンター席で並んで座っている枡形は、こっそりため息をついた。
 葛原は酒が入り酔いが回ってくると、この話を始める。自分たちが地下都市で暮らしているのは政府の陰謀だ、と。
 今から百七十年ほど前、地球に小惑星が衝突した。その時に巻き上げられた大量の塵と、その衝突で引き起こされた世界各地の火山活動によって、大気の組成は人類に有害なものへと変化した。空は厚い塵の層に覆われて日光は届かず寒冷化し、地上は、人類だけでなく、生物が生きていくにはあまりに過酷な環境へと激変した。
 そこで、地下都市を建設して移住したのだ。以来、人々は地下都市で代を重ねてきた。いつか、塵が地上に落ちきって、大気の組成も元通りになった時、地上に戻るために。
 その日はまだ来ていない。
「運送屋は毎日のように地上へ出て行くんだろ。あいつらが運んでるんだよ。それに、空調局の奴らだって、通気口のメンテナンスのふりして色々と運び出してるに違いない」
 まくし立てる葛原の声は、陰謀論を展開し始める前よりも高くなっていた。近くの席にいる客の迷惑そうな視線を感じる。バーテンダーの視線も冷ややかだ。いっそのこと迷惑だと言って叩き出してくれ、と枡形は祈った。
「地上は地下都市なんかよりずっと広いのに、一部の連中だけがその恩恵に預かるなんて」
「……じゃあ、今から空調局か運輸局に転職したらいいんじゃないですか」
 枡形は投げやりに応えた。
 人類が地下都市に移住した経緯は、基礎教育課程の初期に習う。地上は今でも塵と有害物質に満ちていて、防護服にマスクがないと、長くは生きていけない、と。
 その上、地下都市移住直前の混乱期と呼ばれる時代、大量の殺戮兵器が生み出され、ばらまかれた。それらの中には未だ稼働しているものがあって、地下都市間を行き来する運輸局員や、地上の通気口のメンテナンスに赴く空調局員が襲われることがあるという。
 そのため、地上に出るには特別な許可が必要だ。物見遊山が目的では絶対に許可は下りないだろう。
 普通は地下都市を出る機会はまずない。地上を目の当たりにしたことがないからこそ、葛原が夢中になっているような陰謀論を主張する者が現れるのも、分からなくはない。
 分からなくはないが、枡形はそんな子供だましもいいところな陰謀論に興味はなく、飲むたびに聞かされるので、辟易していた。
「できればそうしたいけど、年齢的に無理なんだよ」
 残念そうに言う葛原は今年で三十三。運輸局や空調局の応募資格は三十歳までらしい。本当なのか、枡形はあえて確認したことはないが。
 葛原はやがてろれつが回らなくなってきて、うつらうつらし始めた。そんな葛原の手の甲に店員が読み取り装置をかざす。酔っぱらいからもきっちり料金を徴収できるので、こういう店にはマイクロチップはありがたいだろう。
 枡形が自分の分を支払おうとした時だった。
「あんた、バイオプラスチック加工の技術者なんだってね」
 隣の席にいつの間にか、グラスを片手にした女が座っていた。
「どうして、それを」
「あんたの連れが何度か言ってたよ。同じ会社で働いてるんでしょ」
 グラスを持った手で酔い潰れた葛原を指す。そんなことを言っていたかもしれないが、枡形は大半を聞き流していたので覚えていなかった。
「……何か、用でも?」
 女は枡形と同じか少し年上。枡形たちと同じく、仕事帰りのように見えた。ただ、初対面の人間に対して妙に馴れ馴れしい。
「そう警戒しないで。ちょっと話がしたいだけ」
「話?」
 ナンパではなさそうだが、顔を近づけてくる女の目的はさっぱり分からない。
「違うところで、働いてみない?」
 睦言を交わすように声を潜めていたが、内容は少しも艶っぽくなかった。
「……俺を、引き抜きたいのか?」
「あんた、なんか現状に不満そうだったから、どこか違うところへ行ってみたくないかな、と思ってさ」
「辞めたいほどでもない。それとも、辞めたくなるほどの待遇を用意してくれるのか?」
 技術者といってもほんの端くれだ。工業用ロボットの方がよほど腕がいい。
「待遇がいいか悪いかといえば、悪いかもね。でも、世界はまるきり変わるよ」
「転職するくらいで?」
 女は酔っていないように見えるだけで、実はひどく酩酊しているのかもしれない。葛原に続いて酔っぱらいの相手をするつもりはなかった。
「あ、ちょっと待ってよ。話はまだ終わってないんだから」
「続きは他の客にでもしてくれ。俺は、明日も仕事なんだ」
「ここじゃない場所へ――違う都市へ、行ってみたくはない?」
 女の言葉に、立ち上がり駆けていた枡形は動きを止める。
「……〈一京〉以外の地下都市ということか? 〈広咲〉から来たのか?」
「出身は〈広咲〉。でも今は、わたしたちが作った新しい都市に住んでる」
 そんなことが果たして可能だろうか。新しい地下都市を建設するのには、相当な労力と資金が必要だろう。それともまさか地上に作ったのか。
「……地上に?」
 葛原の妄言が実は本当で、地上でも生存可能なのか。
「まさか。小さいけど、ちゃんと地下都市よ。〈一京〉や〈広咲〉から移住した人たちで作ったの。資金も資材も足りないけど、人手も足りなくてね。こうしてスカウトしてるわけ」
「……それなら、俺よりこの人に声をかければいいのに。聞いてたんだろ、葛原さんの話」
「聞いてたわ。でも、その人は陰謀論を楽しむだけで、地上に行きたいわけじゃない。自分の想像が壊れるのが分かっているし、結局、今の生活を変えたくないのよ」
 話を盗み聞きしただけでよく言い切れるな、と返したかったが、それは枡形も思っていたことだ。
 葛原は、あんな話をして気を紛らわせているだけだ。その気があるなら、とっくに行動している。――この女のように。
「でも、あんたはちょっと違う。そうじゃない?」
 口角を持ち上げ、女は妙に確信に満ちた目で枡形を見る。
「わたしたちの地下都市は、〈一京〉からも〈広咲〉からも独立している。だから、マイクロチップも必要ない」
 言って、左手の甲を枡形に見せる。真ん中あたりに、傷が塞がり、肉がうっすらと盛り上がった痕があった。
「マイクロチップがないのに、どうやってここに――」
「忍び込む方法なんて、いくらでもあるの」
 女はいたずらっぽく笑い、チップを取り出した痕を枡形に見せびらかす。
「階層を移動するのにゲートなんか通らない、行きたい場所に自由に行ける、そういう都市になるわ。そのために、いろいろな技術者も必要なの。一緒に新しい都市を作ってみない?」
 彼女の話がどこまで本当なのか、まるで分からない。大ボラ吹きなのかもしれないし、枡形を騙そうとしているのかもしれない。新しい地下都市を作るなど、ちっぽけな世界しか知らない枡形には、想像も付かない大仕事だ。
「――その地下都市の名前は?」
 枡形の問いに、女は嬉しそうな顔で答えた。
「〈青滝〉」
 悪くない響きだ、と枡形は思った。


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サークル名:夢想叙事(URL
執筆者名:永坂暖日

一言アピール
異世界ファンタジーや現代もの、SFを書いています。本作はテキレボ初頒布の地下都市SF『少年よ、塵の中で躍れ』のだいぶ前の話です。同一世界観の短編集『天体観測』もあります。異世界でお墓参りしたり婿取りしたりするファンタジー長編や、とある三きょうだいの日常と青春を描いた連作短編集などもあります。


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