翼をください

 子供の頃、空を見上げた時、鳥を見た。
 自由に空を飛ぶ姿を見て、羨ましく感じた。
 少し大きくなった頃、見上げた空の先、鳥よりも高い所を飛んで行くものを見た。
 それが飛行機と言う、人が動かす機械だと知った時、憧れを抱いた。
 いつかきっと、あれを自分も動かすのだと、心に誓った。
 人が抱く夢としては、困難ではあっても、大きすぎることは無い夢だ。
 成長したオレは、その飛行機を操縦する事が出来るようになっていた。
 初めて一人で空に上がった時の感動は今でも覚えているし、何にも喩えようのないものだった。
 思えば、オレの人生で自分の思うようになったのは、あの時が頂点で、そして、最後だった。
 今のオレは、世界地図の上でしか知らないような国の空を、戦闘機のパイロットとして飛んでいた。
 人殺しの機械を、操縦していた。
 どこでどうなったのか、今ではもう思い出せないし、きっと思い出したくも無い。
 ただ一つ言えるのは、人生ってのは、一度転がり出すと、相当な事をしない限り、崖の下へと落ちて行ってしまうものだって事だ。
 背後から聞こえる、ずっと続く雷のような轟音。地上にいる限り経験しようのない速度で突き進むがゆえ、空気に叩かれ続ける機体。酸素はくれるが、息苦しいマスク。
 何もかも、オレの望んでいたものとは違っていた。
『こちらコントロール。エネミー2、方位2-3-8。エンジェル2。迎撃せよ』
「ラジャ」
 雑音混じりの無線機からの声に、オレは短く答える。
 もう少しクリアならば、オレが心から望んでいないことぐらいは伝わった筈だ。
 指示された方向へと向け、ゆっくりと操縦桿を倒す。
 オレには読めない字を使う連中が造ったこの戦闘機は、真っ直ぐな速度こそ、いっちょ前だが、機敏な動きをさせようとすると、すぐに駄々をこねる。
 人殺しの機械のくせに、パンケーキを作るみたいな真似が必要なのは、何とも癪に障る。
 丁寧に、しかし無駄は無く。
 素人さんがどう思っているかは知らないが、戦闘機って奴は、自由に空を飛ぶようには造られていない。
 敵のいるところまで真っ直ぐに飛んで、飛んだ先で30分ほど必死になって殺そうとしたり殺されまいと頑張ったりすると、後は真っ直ぐ帰るぐらいの燃料しか残らないようになっている。
 どこの誰が考えたかは知らないが、良く出来ていると思う。
 30分も殺し合いを続ければ、いい加減嫌になって逃げ出したくなるのが、まともな人間ってもんだろうが、それが出来ないように造ってあるのだから。
 どんなにクソッタレな所だろうと、誰一人踏み込んだ事の無いジャングルに降りるよりは、いくらかマシだからな。
 計器盤の真正面、一番偉そうな所に据え付けられた画面に、小さな光点が灯る。
 この機体に備えられた粗末なレーダーが、敵、オレが殺すべき相手を捉えたって事だ。
 こいつが一方的ならば何の問題も無いのだが、生憎と向こうもこっちを見つけたらしい。
 そう言う時の動きを見せる。
「ちっ」
 何に対してかは解らない舌打ちをして、オレは機体に許される限りの急旋回を行う。
 十数度の旋回の結果、相手機とすれ違う。
 オレの機体と設計思想が違うのか、えらくスマートな機体だ。
 キザったらしいと、理不尽な思いを抱く。
 いや、実際にキザだ。
 機体に2本、赤いラインが引かれていた。
 けっ、洒落やがって。まるで、女の髪じゃねえか。
 そして羨ましい話だ。
 あんな無駄な塗装が出来るくらい、あちらにはペンキが余っているらしい。
 悪態をつきながらも、オレは必死に機体を操った。
 唾を吐きかけて勝てるような相手では無い事は、その動きからも、赤い線に添えられたいくつかの星マークからも察せられた。
 別に、相手に恨みがあるわけじゃ無い。
 どこの誰かは知らないけれど、思いつく限りでは、オレにあいつを殺さなければいけない理由は無かった。
 だからと言って、何も言わないでこっちの命を差し出すほどの借りも、オレには思いつかなかった。
 自分勝手の極みかも知れないが、オレは、オレが生き続けるために、相手を殺さなければならないのだ。
 機体性能は、聞いている限りでは互角。腕前も、恐らく互角。
 ならば、勝敗を決するのは、運と一瞬の判断。
 そう思った瞬間、機体を叩かれたような振動がオレを襲った。
 被弾した? いや、彼我の位置関係はそれを許していない筈だ。
 だとすればこれは、機体のトラブルだ。
 一般的な財布の感覚からすれば、どえらく高い代物である戦闘機は、一方でほんのちょっとした事でぶっ壊れてしまう。
 ネジ一つ、小石一粒、エンジンに放り込まれただけで、あっという間に数百万ドル以上掛けて造られたスクラップと化すのだ。
 だが、今はそんな銭勘定をしている場合じゃ無い。
 残念な事に、この世にたった一つしかない、自分の命がどうにかなろうとしているのだから。
 色々と計器を確認したが、どうやらエンジンが本当にいかれてしまったらしい。
 帰る事なんて、まず不可能。ついでに言えば、行儀良く降りる事もまず不可能。
 後、オレに出来る事と言えば……、
「メーデー、メーデー。エンジントラブル。ベイルアウトする!」
 脱出をする旨を告げ、オレは脱出装置のレバーを引いた。
 キャノピーが吹き飛び、次の瞬間、オレの身体は空へと放り出された。
 パラシュートが開き、周辺を確認すると、つい先程までオレと運命を共にしていた機体が、火だるまになってジャングルへと墜落していくのが見えた。
 世には、自分の機体になにがしかの愛着を抱く者もいるそうだが、あいにくとオレはそう言った感情とは無縁だった。
 火柱と、天にも届くかの黒煙を上げる機体を見て、何とか死なずに済んだかと思うのが精々だった。
 だが――、
 オレは足元のジャングルを見て思う。
 味方基地からは遠く離れ、むしろ敵側に近い、人跡未踏のジャングル。
 すぐ死なずには済んだかもしれないが、そう長生きができるようにも思えなかった。
 空気を切り裂く、機械が上げる金切り声のような轟音に目をやると、つい先程までオレが相手をしていた機体が旋回していた。
 思わず背筋が凍る。
 世の中には色々ゲスな野郎がいて、こんな風に頼りなく空中を漂っている人間を弄ぶ事を趣味にしているような奴もいるのだ。
 機関砲を撃つまでも無い。戦闘機の速度で傍を通過すれば、それだけで風に舞う枯れ葉のような目にあうことだろう。
 そうなれば、下に降りるまでも無く、オレはあの世行きだ。
 だが、オレが恐怖に震えていたのは、数分の間だった。
 敵機は、オレに近付く素振りは見せず、一定の距離を置いて、周囲を旋回し続けるだけだった。
 希望的な観測をさせてもらえれば、捕虜にするために、オレの墜落地点を知らせているのだろう。
 使い捨てに等しい雇われパイロットを拾いにくる味方と、捕虜にしようとやって来る敵。
 後者の方が確率が高いのは悲しいが、それは致し方無いのだろう。
 さて、どっちが来るにしろ、手持ちの食い物が無くなる前にしてもらいたいものだ。
 オレはジャングルを見ながら、そう思った。

 結果的な話をすると、オレを迎えに来たのは、やっぱり敵さんだった。
 捕虜にして、少しでも情報が欲しいのだろう。
 随分と乱暴な感じで銃を突きつけられた時、オレは素直に両手を挙げていた。
 当たり前だ。オレはパイロットだ。
 地べたに落ちてまで、殺し合いをするような野暮な真似はしない。
 こうして、連れて行かれた相手の基地で、オレは奴らをひどくがっかりさせる事となった。
 当然だろう。使い捨てパイロット風情では、連中を満足させるだけの情報など持ってはいないのだから。
 数回の尋問の結果、オレが嘘つきでは無い事を理解した向こうの士官は、ありがたい言葉をくれた。
「明朝、貴様を銃殺刑にする」
 これ以上、捕虜に無駄飯を食わせる余裕は無いってことだろう。どこもたいへんだな。
 こうしてオレは、人生最後の夜を、人生最後の晩餐を摂りながら過ごしていた。
 明日死ぬ人間に与えられるにしては、上等なあばら屋だ。食事の質も、そこそこだ。少なくとも、今朝オレが食ったものよりずっといい。故郷では、犬も食わないだろうけど。
 メシを入れ終わり、ベッドに寝転んだオレの耳に、聞き慣れた音楽が聞こえてきた。
 別にそれは不思議では無い。
 軍隊なんて、娯楽の少ないところでは、そんなものでも癒やしになるのだ。
 問題なのは、それがひどく下手くそだってことだ。素人演奏だって事をさっ引いても尚、ひどいものだった。
 ひどいことをさらに加えれば、どうやらその演奏が、オレのいる営倉のすぐ外でされているらしいってことだ。
 明日をも知れぬ命の身に、ずいぶんな嫌がらせをしやがる。
 さらにさらに加えれば、演奏している奴が吸っているのであろう、煙草の臭いが漂って来ていた。
 酷い臭いだ。香料ばかりが強い。
 まったく、ひどい嫌がらせだ。
 オレは諦めたような笑いを浮かべて目を閉じた。
 翌日、朝食抜きでオレは刑場へと引き立てられた。
 ゼロにならない程度の礼儀で、向こうの指揮官が言う。
「何か最後に望みはあるか?」
 オレは、昇って来た朝日を遮るように、手をかざした。
 この期に及んで、ぴんと張った親指と小指を左右に広げて鳥の形を取ってしまう自分に、軽く笑う。
 オレの望み……。
 指の間から空を見る。
 もう一度、あそこに……。
 叶う筈も無い願いを、オレは飲み込んだ。
「煙草を吸わせろ」
 指揮官の「誰か」の声に、一人の小柄な士官が走り寄ってきた。
 長い赤髪を靡かせた女だった。驚くことに、胸にパイロットの証、ウィングマークがある。
 オレの鼻を、彼女が差し出した煙草から漂う香料の臭いがつく。
 もちろん、オレは笑って、その煙草をありがたくいただいた。


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サークル名:POINT-ZERO(URL
執筆者名:青銭兵六

一言アピール
普段はハードボイルド調探偵モノを中心に活動していますが、今回はミリタリな作品を書いてみました。自作の、少し乾いた感覚は共通しているかと思います。


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