人をも避ける空気から逃れるように入ったのは小さな喫茶店だった。薄暗く狭い階段を下りた先にある頑丈な木製のドア。
 重々しいそれを開けると、対照的に軽やかなベルの音が鳴った。
「いらっしゃいませ!」
 ベルの音に似た軽やかな女性の声が聞こえたかと思えばたちまち目の前に女性店員が姿を現す。
「何名様ですか?」
 店内の薄暗さなど吹き飛ばさんとばかりな勢いの明るさに少々圧倒されながらも、私は右手の指で人数を伝えた。
「ではこちらの席へどうぞ!」
 女性店員は特に変化を見せず、ただにこやかに席へと案内してくれる。こちらの態度は気にしていないらしい。それとも明るく接客することに精一杯なのだろうか。

 案内されたのは一番奥のテーブル席だった。壁を左手に置かれているシンプルな2人用。その一席に座ると、手持ちのスマートフォンを取り出した。
「こんなときまで仕事?」
 いつもの声に顔を上げれば、いつもの顔があった。鬼灯みたいなシルエットの服を着た彼女がいつもより大人しくに見えるのは、どうにかお淑やかに見せようとしているのだろうか。
「話が思いつかないんだ、ほっとけ」
 それだけ伝えてやれば「つまんないのお」などと言って店内に目を向けてしまう。相変わらず勝手なことを言う女だ。こちらは今の今まで気づかなかったのだから、声をかけるまでずっと隠れてつけ回すつもりだったのだろうか。
「仕事が迫ってるんだ、俺は会話するつもりはないからな」
 スマートフォンに小さなキーボードを添えながら念押ししたが返事はなかった。不審に思い正面を見れば彼女は店内を凝視していた。
 スマートフォンのテキストアプリを起動させつつ周りを見渡す。薄暗く前時代的錯誤を漂わせている、地下にある狭さを感じる純喫茶。ここで明るいのは先ほどの女性店員ぐらいだろう。
 自分が座っている席と同型のテーブルセットが5つほど並んだその場所は、意外と例えるべきか、多くの声で溢れかえっていた。

「いやいや、『なんて言った?』の前、なんて言ったの?」
「彼女は地味だが華やかさが滲み出ていた」
「だからってよりにもよって女装クラブはないだろう! 俺にバニーガールとかやれって言うのか!?」
「最初はこちらの素性を明かさなかったが、決心して今の仕事を伝えると天使はすんなり受け入れてくれた……」
「そのときは丸い薬を捨てるの」
「ーーこうして俺はどこかの街にくりだすこととなった。もちろん最初は抵抗あったが慣れてくるとその気持ちもなくなった。それでもダチに見せられる姿じゃなかったけどな」
「かと思えば眠そうなときに抱っこすると全然軽いの、この違いなんなの?」
「街に馴染むと次には誰かのスポンサーになりたくなるのが人間というもので、俺ももれなくとあるバーガーショップ店員に入れ込んだ」
「普段の姿は仮の姿で本当は体の長い生き物なのかしら?」
「え、いやごめん、なんて言った?」
「だから猫って不思議なのよ」
「…………ん?」
「そう、赤い薬は空が右へ降ってくるときにたきつけるの」
「あとは持ち上げたら胴体が予想外に伸びたりして」
「違う違う!ワインを生やしたら池の鯉が運転しちゃうから、」
「いなくなったあの人を探すにはあんたの力が必要なのよ!」
「なんで俺が女の格好をしなきゃならないんだよ!?」
「壁に悪戯してるから引き剥がそうとしても重くて中々持ち上がらなかったり」

――ここまで聞いたところでようやく彼女がこちらを向いた。
「なるほど、確かにうるさい場所ね」
 納得している顔を見て思わず肩が揺れる。そういえば、いつだったかこの場所を世間話でしたことがあった。なぜ勝手についてきたのかと思っていたが、これを確認したかったらしい。
「ネタがないときに来ると楽しいんだ」
 「普段は煩わしいんだがな」と続けながら手探りするが何も捕まえられない。そういえば飲み水もおしぼりもまだ届いていなかった。
「あなたのその発想は、さすが物書きと言えばいいのかしら……」
 探っている手を彼女が凝視している。何をしているんだと疑問に感じているのだろう。その視線に咎められた気がしてつい手が止まる。
 それと同時に彼女が顔を上げた。
「それで、”これら” はなんなの?」
 言われて店内を改めて見回した。同型のテーブルセットが5つほど並べられた狭い店内は、現在自分以外に客はいない。有線放送らしきピアノ曲と一緒に聴こえてくるのは、数多の人の声。
 声だけだ。
「おそらく残響みたいなものだろう」
「残響?」
「喫茶店に来る客はだいたいお喋りなんだ。一人でも団体でも、あちこちから声が上がる。それが混ざらずぶつかりあって収まりきれずに店内に残ったのが……」
「この声たち?」
 彼女の声に相反するように声がぴたりと止まる。まるで不意に聞こえた大声に驚いて静まったようだ。かと思えばまたすぐに声があちこちから上がり出す。
 さっきと同じ内容の声が、またくりかえされていく。
 それらを意にも介さず彼女は言葉を続けた。
「つまり来店客たちの置き土産ってこと?」
「そう。次の日になるとすっかり消えているし、響いている声は全部 “相手の声までは響いていない” のがその証拠だ」
「ふーん……ちなみに、声は何人分?」
「3人……いや、4人だな」
「それだけ?」
 目を丸くした彼女を見てついつい笑ってしまう。たしかにこの渦みたいな言葉の羅列は何人もの厚さを感じるが、よくよく聞けば。
「声質もそうだが、抑揚の加減や話の順序を想像すればーー」
「お待たせしました!」
 わかる、と言い切る前に再び女性店員がやってきた。今度は片手に丸盆を携えオシボリとグラスを乗せている。それらは当たり前のようにテーブルに移される。
 水の入ったグラスは1つ、オシボリも1つ。どちらも自分の目の前に置かれた。
 顔の位置はそのままに、目だけを動かして彼女を見た。一見人らしく振舞っているが、顔の横にある大きな白い耳がそうではないと主張している。しかしいつもよりは耳が伏せているように見える。努力して人間の振る舞いをしているつもりなのだろうが、そもそも誰にも見えなければ意味がない。
 大人しいフリしている白耳の彼女は主張するように頬を膨らませた。そんな不満そうな顔をされても、こちらではどうすることもできないのだが……そう言ったところで納得してくれる相手じゃないのは百も承知だ。
 ……仕方ない。ふうと息を1つ吐いてから女性店員に伝える。
「あの、すいません」
「?」
「水をもう一つ持ってきてもらえますか?」
 こちらの言葉に女性店員は笑顔を貼り付けたまま首をかしげる。
「待ち合わせですか?」
「いや……」
 答えたところで理解してくれなさそうだとすぐにわかる。多くの声の中で毎日平然と働いている彼女には、きっと響かない感覚だろう。
「そうじゃないんだが……不満なんだ」
 仕方なく曖昧に答えてみれば、女性店員はますます首をかしげる。しかしこれ以上客の機嫌を損ねたくないとも思ったのだろう、若干の不理解の雰囲気を醸し出しながらも「少々お待ちくださいませ」と言ってカウンター内へと戻っていった。
 もう一度正面を見やれば、三角耳の女はやはりずっとそこにいた。不満そうに頬を膨らませたまま。見えるヒトにしか見えない、人ならざる者である彼女。
 そんなに不満ならもう少し人間の振りができればいいのに。たまらず苦笑する。しかし見える見えないはこちら側の責任だといつか彼女が教えてくれたから、彼女自身にはどうすることもできないのだろう。
「全く聞こえない人間は、平和だな」
 目の前に置かれたグラスを手に取りながら、俺はそう言うしかなかった。



サークル名:夜半すぎの郵便屋(URL
執筆者名:能西都

一言アピール
最近は見えないヒトが見える主人公とその周辺がわいわいしている話を書いています。今回もそのシリーズの番外編という形で書いてみました、よろしくお願いいたします。


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