ボトルメール

 歌を始めたきっかけは、君が「よく通る声だからボーカルとか向いてると思う」と言ったからだ。ベースを始めたのは、君が「きっとベースが似合うよ」と言ったからだ。本当はどうだったのかわからない。もしかしたらドラムの方が向いていたのかもしれないし、ギターも弾けたかも。でも、君が与えてくれたものを抱えて、今の私は歌っている。
 歌うことはあてもなく海に流すボトルメールみたいだ、と思う。この歌が誰かに届く保証はない。でも届いて欲しいと思って声を張り上げる。届いたところで返事があるかもわからないし、もしかしたら捨てられてしまうかもしれない。それでも瓶に詰めた思いを海に流す。これは一つの賭け。誰かに読んでもらって、誰かが受け止めてくれることを信じている。
「《あるがままの緑》です! 今日は楽しんで行ってね!」
 ステージから人が密集するフロアに向かって。いや、密集といっても前方だけだ。後方はわりとゆったりと見ている人が多い。今日は三つのバンドがライブをやって、私たちはそのトップバッター。今まで地元のライブハウスだけで活動してきた私たちが初めて立つ、仙台の小さなハコ。
 私の売りはなんといっても声量だ。きっとどこにいてもわかるね、と君は笑っていた。それなのに君の方が勝手にどこかに行ってしまうなんて酷いじゃないか。
 高校のとき、家の事情で学校を辞めなければならなかった私に、君は言った。「歌もベースも腕が鈍ったら許さない」と。それなのにそこから何年も経った今、君は音楽から離れて、何かのメーカーの事務員として生きているなんて。
 別にプロを目指せと言っているわけじゃない。私だって普段はベルトコンベアで流れてくるものを選別したりだとか、そういう仕事をしている。でも君の言う通り、音楽は手放さないで生きてきたのに。
 悔しいんだ。私をこの世界に引き込んだ君の方が先にいなくなるなんて。そんなの許さないって、勝手だってわかってても思ってしまうんだ。
 でも私が言葉でどれだけそれを伝えても、君にはもう届かないってわかっているから。だって君は自分で思っているよりすごく頑固で、一度決めたことは曲げなくて、本当は誰よりも音楽が好きだったから。
 でもね、自分には才能がないと音楽を捨てた君と、私はもう一度歌いたいんだ。プロになるつもりはない。けれど誰かの前で歌うことの楽しさも、苦しさも、心臓を削って燃やす炎のことも、君が全部教えてくれたんだから。
 君の心に音楽の炎がもう燃えないというのなら、私がその炎になってあげるから。
 歌うことはあてもなく海に流すボトルメールに似ている。届いて欲しい。この声が誰かに。そして誰かから誰かの手を経て、やがて君にこの声が届いたら。
 そしたらこう歌ってやろう。
 難しいことはいい。
 ただ、もう一度一緒に音楽をやろう。
 だって私は、君が何の面白味もないと嘆くその音こそが、何よりも好きなんだから。
 この声が早く君に届きますように。届いたら、その音をこの海に流して。海はどこかで繋がっているから、きっと私のところまで届くから。
 不安だったら沢山の壜を流せばいいんだ。今私がやっているみたいに。そんなに難しいことじゃない。だって全部、君が教えてくれたことなんだから。

サークル情報

サークル名:通し稽古―Generalprobe―
執筆者名:深山瀬怜
URL(Twitter):@selenic_acid

一言アピール
音楽小説とときどき百合を書いています。綺麗なだけの音楽よりも、熱く、痛いものを。

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ボトルメール” に対して1件のコメントがあります。

  1. ぶれこみ より:

     ボトルメールという一昔前のフェアリーテイルに出てくるようなアイテムを、ライブで歌う歌に喩えて、歌い手の心境を表すというのは、とても面白い試みだと思いました。「きみ」と「私」の間柄がどこかロマンチックですし、届くか届かないか判らぬ「ボトルメール」のような歌声という表現は、粋ですね。でも、そのような抽象的な想いが先に立って、ライブ会場とか歌っている心境だとかいう臨場感的な現場の描写が無いため、すこし残念に思いました。全体としては、面白かったです。

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