手紙のかきかた
女王国の首都は、故郷の村よりも風の通りが少しだけ悪いような、そんな気がします。
背の高い建物といえば村の中心にあった教会くらい。霧明かりの向こうにそびえる山々に囲まれての暮らししか知らなかったわたしでしたから、少しばかり息苦しく感じるのも無理ないのかもしれません。
「ディリィ、手紙を書いてみませんか」
「手紙、ですか?」
先生は、文字の書き取り練習をしていた紙束を眺めながら、わたしにそう声をかけてくださいました。
あ、ちなみにその練習は作家である先生の書き損じた原稿の裏紙を使っています。
「ええ、手紙です。読み書き出来る単語の数もだいぶ増えたことですし、これからはただ単語を覚えるよりも自分の言葉として使いこなしていった方がいいですからね」
ゆるく束ねた白髪混じりの金髪をかき上げながら、先生はわたしに向かって微笑みかけてくださいました。
先生は普段から室内でも色の濃い眼鏡をかけていて、その奥の表情まではよくわかりません。先生の助手で雑誌社の編集であるネイトさん曰く「話を聞いてる風でいて、いつのまにか寝てる時もあるから油断ならない」のだそうですが、故郷で文字を教わらずに育てられたわたしの為に、執筆のお仕事の合間にこうしてわたしに文字を教えてくださっているのです。
「でもわたし、手紙っていっても何を書けばいいのかわからないです」
「それを今から教えますよ。なに、最初から上手く書こうなんて思わなくていいんです。気楽にいきましょう。それに」
「それに、何ですか先生」
「ディリィが手紙を書けるようになってくれると、オレとしても助かるんですよ。何せ、オレのココはどうしようもなく壊れてしまっているので」
自分のこめかみのあたりを指でトントンと叩いてみせる先生は、先ほどと同じく口の端を笑みのかたちに歪ませてはいますが、どこか少し寂しそうに思えました。
「わかりました。先生がいつ外出されたのか、買ってこられてきたお酒の銘柄や保管場所をネイトさんに手紙でお伝え出来るように頑張りますねっ」
「えっいや、それは別にしなくていいです。っていうかやめてくださいマジで」
急に慌てだした先生が何だかおかしくて、わたしは笑ってしまいました。
便箋もペンもこの中から好きなのを好きなだけ使ってくださいと箱ごと渡されて、しばし迷った末にわたしは軸に擦り傷がついている万年筆をお借りすることにしました。
先生から渡された「手紙の書き方」を前に、わたしは両手で頬を挟むように押さえながら考え込んでしまいます。
まずは手紙を書く相手、これはすぐに決まりました。エドガーさん――、村に伝わるおぞましい因習から身を挺してわたしを救ってくださって、こうして働く場所と学ぶ機会をくださった恩人。そしてわたしにとって――とても大切な人。
でも、その気持ちをしたためるには、わたしの頭の中にある言葉はまだとても少なくて、どこからどう書き始めればいいのか、真っ白な便箋をいくら眺めていても文字は浮かんできません。
「そんなに根を詰めていると書けるものも書けないよ。ほら、お茶淹れたからどうぞ」
声と共に横から差し出されたティーカップのソーサーには、かわいらしいチョコクッキーが添えられていました。
「あっ、マシューさんすみませんわたしったら」
「いいよいいよ、今日やっておきたかった事はあらかた片付いたし。晩御飯の仕込みを始めるにはまだちょっと早いしね」
マシューさんは先生が下宿なさってるお屋敷の主で、私の雇い主さんでもある方です。マシューさんはふくよかな身体を揺すりながらダイニングテーブルの向かい側へ腰かけると、自分用に小皿へ盛っていたクッキーをさくさくと食べ始めました。
わたしも、一度ペンを置いて休憩をすることにしました。温かな紅茶を一口、渋みが少し強めの香り豊かな味わいは、チョコクッキーと合いそうです。
「不思議なものだよねえ、頭の中ではあれを書こうこれを伝えようって沢山思い浮かぶのに、いざ便箋に向かうとちっとも文字にならない」
「マシューさんでも、手紙を書くのは大変なのですか?」
「大変っていうか……そうだね、気持ちを正直に伝えるのはいつだって大変だよね」
「文字を読み書き出来ても、気持ちを文字にするのは大変なのですね」
そうです、文章を書くのをお仕事になさってる先生ですら毎回ネイトさんに急かされてようやく書き上げられるんですもの、わたしが上手く書けずに悩むのなんて当たり前なのだと思えば、少しだけ気持ちが軽くなったような気がしました。
「ああそうだディリィ、君が世話している花壇にね、さっき見たら花が咲いていたよ」
「本当ですかマシューさんっ! あの、わたし、見に行ってきます!」
台所の横にある勝手口から小走りに外へ出てみると、広い庭の一角に貸してもらった小さな花壇に、ホリホックの花が見事に咲いていました。
霧の天蓋へ向かって真っすぐ上に伸びた茎のあちこちに華やかなピンク色の花弁を広げた姿はとても美しくて、何だかちょっと泣いてしまいそうになります。故郷の村では花壇の世話すらろくに出来なかったわたしが、マシューさんから教えてもらったおかげで、こんな見事な花を咲かせることが出来た。それがたまらなく嬉しくて誇らしかったのです。
熱季の到来を告げる風が庭の草花を揺すって吹き抜けていきます。ああ、この女王国首都で感じていた少しの息苦しさは、きっと自分が心に作っていた壁のせいだったのだと気づきました。
テーブルに戻った私は再びペンを取りました。
「手紙の書き方」には、一度に全部書く必要はないから、取りあえず何かひとつ伝えてみようと書いてありました。
いきなり便箋に書くのは躊躇われたので、いつもの書き取りで使わせて頂いてる裏紙に思いつくまま言葉を並べてみます。
ありがとう、ごめんなさい、うれしい、恥ずかしい――、でも、今一番伝えたいことを便箋に綴ります。
『エドガーさんへ、私の花壇に初めて花が咲きました』
サークル情報
サークル名:手羽先隔離病棟
執筆者名:サンレイン
URL(Twitter):@sunrain2004
一言アピール
青波零也さんの「霧世界報告」シリーズの世界観をシェアさせて頂いております。ファンタジー刑事が事件を解決したりしなかったりします!