したためる想い
私はしがない小説書きでございます。未だこれといった代表作もなく、売り上げもぱっとせず、出版社にも家計にもまるで貢献できていません。しかし他に取り柄もないものですから、書くしかないのです。困ったときの拠り所もないものですから、とにかく書くしかないのでございます。他の仕事と掛け持ちできる程、器用でもありませんし、体力もありません。病気はしませんが、あまりにも虚弱なこの体質がたいそう恨めしくあります。
最近といえば、もっぱら白湯を飲んで過ごしております。お金がないからです。温めるための燃料も本当は惜しい程です。ですが、この寒い時期に氷のような水を飲むと、私の五臓六腑が悲鳴を上げてしまいます。なので温めるのです。好きで白湯を飲んでいる方は構わないでしょうが、私はそれほど白湯は好きではありません。若草の香り立ち上るお茶が飲みたいのが本音でございます。ですが、この収入で我が儘は言えません。
先日は目刺しだかなんだかよくわからない魚を売りつけられました。始めは断っていたのですが、相手も商売人、口が達者なのでございます。話を聞かされているうちに、気がついたら五尾、私の手元にあるではありませんか。確かに安い魚でした。だからこそ目刺しだという商人の話を俄に信じることが出来なかったのでございます。私の貴重な食費と引き換えに手にしたその正体不明の魚は、二日に分けて私の晩のご飯となりました。やはり目刺しかどうかは判然としませんでした。最終的に身体に害をなさない食べ物ならば何でも良かったのです。腹が膨れれば何でも良かったのです。
すべて私が悪いのです。私に甲斐性がないからいけないのでございます。
こうして恨み言を連ねるような手紙をしたためているのも、貧しい現状を羞恥をかなぐり捨てて書き散らしているのも、元はといえば私の働きが良くないからでございます。わかっているのです。でも、書かずにはいられなかったのです。
追い打ちを掛けるように万年筆が詰まるのです。私が無精をしてあまり手入れをしないからなのでしょう。それほど好きでもない藍色のインキが商売道具の中で詰まるのは面白くありません。私の筆を遅くさせる要因がここにもあるのです。
決して貴方様に金の無心をしているわけではありません。そう捉えられても仕方がないことはわかっております。こんな物を書いている暇があれば仕事をしろという貴方様の声が聞こえてくるようでありますが、こんなものでも書かないとやっていられないのです。 さらに頭にくることに、勝手に我が家を住処と決めた野良猫が、図々しくも食事の催促をしてくるのです。食べさせてやる義理はありません。無視を決め込むつもりでいたのに、にゃあにゃあ鳴くのです。私が食べるのでやっとの食事を、名前も首輪もつけていない猫が欲しいと言ってひっきりなしに鳴くのです。ついに根負けして、私は食事を与えました。差し出したごはんを、猫は数回匂いを嗅ぐとさも美味しそうに食べるのです。それを見て幸せな気持ちになってしまったのがいけません。夜はどこで寝ているのか知らないその猫に、日に二度食事を与えています。毎日決まった時間に猫は食事を催促してきます。私が寝ていても書いていてもお構いなしです。猫とは自分勝手な生き物だと思い知らされました。ですが、今更無下にすることなど、出来ないではありませんか。出来ますか? 私は出来ませんでした。
このようにして私の家計は途轍もなく逼迫しております。銭に変えられる小説が湯水のように浮かんでくるのであればこんな苦労はしないのでしょうが、仕方がありません。こんな私に付いている貴方様も不幸かもしれません。ただ、それについては私はお見舞い申し上げるだけでございます。それと、せめて拙宅にいらっしゃるとき、ちょっとでも笑ってくだされば私の気持ちも柔らかくなりそうなものですのに、貴方様ときたら堅苦しい態度と表情で私を威圧してくるのであります。原稿用紙を捲る時の鬼のような形相。何を言われるのか恐ろしくてなりません。家計以上に私が磨り減ります。
どうか次いらっしゃるときは――
ぐしゃり。
女は長々と書きしたためた便箋をまとめて勢いよく丸めた。折り目一つなかった便箋があっという間に皺だらけになった。万年筆で書かれた癖のある文字も、紙の中で塵のようにくしゃくしゃになった。
「こんな物、送れやしない」
丸めた便箋を手に、ごみ箱を見やる。今朝方、家中のごみをまとめるのに持っていって、今は定位置とは違う遠くにある。投げて入らないこともないが、入らなかったときのことを考えると億劫だ。立ち上がるのはもっと億劫だ。しかし、手の中にあるしょうもないごみを早く消し去りたい。
ぱち。
炭が爆ぜる音が不意に耳に入った。暖を取るために置いてある火鉢のそれだ。
丁度いいものが丁度いいところにあるではないか。
丸く固めた便箋を、ほいと火鉢の中に放り込んだ。程なくして便箋に火が付き、炎が上がったがそれも少しの間のことで、あっという間に灰に変わって火鉢の中に崩れてしまった。
「は」
息をついた。湯飲みの中の白湯は、既に冷たくなっている。お腹も空いた。しかし、食べるものなど、
「そういえば……」
思い出して、億劫と思いながらも土間まで行って戻ってきた。持ってきたのは今朝、またしても買わされた得体の知れない魚。商人は、これはししゃもだと言って憚らなかったが、胡散臭いという思いが先行してこれをししゃもとは信じられなかった。雄だから安く売れるんだとかなんとか言って、確かに安めの値段で押しつけてきた。いわれてみればししゃもにも見える。目刺しにも、他の得体の知れない魚にも見える。結局なんだかわからないまま、寂しい懐からなけなしの銭を払って魚を受け取っていた。
それでもまあいいか、と包みから取り出して、火鉢に網を乗せ、魚を置いた。
まだ火を通してそれほど経っていないのに、どこから嗅ぎつけたのか未だ名前のない居候猫がやってきて、火鉢を覗き込んできた。
「いけないよ。これは塩が強いからね。あんたはいつものごはんになさい」
「んにゃあ」
否か諾かわからないが、猫は鳴いて、火鉢の側から離れない。
知らないからね、と口の中で言って、目刺しのような何かが焼けるのを待った。
ここに熱燗があったらどんなに良かったことか。お酒の代わりにあるのは冷たくなった水。魚に添える飯もない。
ぱちぱちと音がし始めたので、もういいだろうと魚の尻尾を掴んで頭からがぶりと食いついた。
塩がきつい。魚の味などわからない程に塩の味しかしない。こんなものを猫が食べたら泡を吹くに違いない。食べないようによくよく見張っておかなければ。
身が硬い。丁寧に噛まなければ喉に詰まってしまいそうだ。
大して美味しくもない得体の知れない魚を、何故二度も買ってしまったのか。己のことなのに理解に苦しむ。
一尾食べ終わり、もう一尾に手を伸ばそうとしたところで、呼び鈴が鳴った。この家を訪れる人はそう多くない。
「先生。私です」
聞き覚えのある声に、心臓が跳ねた。火鉢の上を片付けている余裕などない。見られたくはないが、急いても事をし損じるだけなのは火を見るより明らかなので諦めた。
「今、行きます」
声を張って答え、弾かれるように立ち上がり、玄関へと走った。
サークル情報
サークル名:カタリベ
執筆者名:タカツキユウト
URL(Twitter):@yuuto_takatsuki
一言アピール
こちらの作品はテキレボEX2の新刊予定の『なみのまにひかる』に収録予定のものになります。相方との二人アンソロで、テーマは「魚を食べる女」。様々な思いを抱えた女性が思い思いに魚を食べます。
なぜかわかりませんが樋口一葉を思い浮かべてしまいました。火鉢と猫と・・・そのせいか知りませんが
手紙の語り口、なかなか流暢かつコミカルで、楽しめました。誰宛の手紙なのか、その解釈は読者に委ねられるのですが、最後に訪ねてきた誰か、それは多分男性であり、主人公の想いを寄せる人なのではないかと、勘ぐらせるところなどが、うまいなと思いました。猫の使い方は、保坂和志さんなどに言わせると、都合がいいと指摘されそうですが、時代不詳の万年筆と火鉢、メザシの取り合わせが、不思議な感じを表現していて、なかなか面白いと思います。いい味が出ていると思います。