僕の最愛の従者へ

 悪魔に襲われたあの日、幼い君は声を失った。
 村を失い、家族を失い、その上、自身の命を失いかけた恐怖がどれだけのものだったのか、僕には想像することしか出来ない。
 僕が君の命を助けることができたのは、ひとつの奇跡だ。
 あの時、本当は手遅れだと思ったんだ。地に倒れ伏した君は死体にしか見えなかった。だから抱き上げて温もりを感じた瞬間、救いたいと思ってしまった。分不相応に、自分のことさえままならない僕が、誰かを助けたいと。
 幼い君は字を知らなかった。声も失ってしまった。村は破壊し尽くされ、何も持ち出せなかった。
 君の名前を知る術はなかった。
 だから僕は、君にタジットという名を与えた。
 ……ということになっているのは君も覚えていると思うけれど、実は違う。ひとつだけ持ち出せた物があったんだ。他でもない君の首に掛かっていた木のロザリオに、君の名前が彫られていた。
 僕はそれを知っていながら、君をタジットと呼び続けた。
 君なら、理由は想像がつくと思う。あの頃、既に僕に自由はなく、家族や友と呼べる人は一人もいなかった。特別な誰かを作ってしまえば、その誰かを人質に取られることはわかっていた。そんな危険は冒せないと理解していた。
 でも、君に側に居て欲しかった。
 手放したくないと願ってしまったんだ。
 僕は君を、声無しという意味の名前で呼ぶことでしか守れなかった。侮辱することで、蔑むことで、君を特別に思っていないと示していた。あくまでも鬱憤を晴らすための玩具なのだと周囲に印象づけなければならなかった。
 我ながら酷い話だと思う。
 僕の事情で、君から名前を奪ってしまった。
 君の両親、或いは近しい人から贈られた尊い名前を奪ってしまったんだ。
 許して欲しいとは言わない。むしろ、永遠に許されなければいい。そのくらい、取り返しのつかないことをしたんだ。
 それなのに、君は僕を慕ってくれた。何度も何度も、君を傷つける真似をした僕を許して、寄り添ってくれた。君にどれだけ救われたかわからない。君が居てくれたから、僕は正気でいられたんだ。
 それが良いことなのか悪いことなのか、もうわからないけれど。
 でも、今僕の中にあるのは、君への感謝の気持ちだ。ありがとうと、いくら言っても足りないくらい感謝してる。僕にとって君は、救いだった。
 変な話だよね。君を救いたいと思って連れ帰ったはずなのに、僕が救われていたんだ。
 君は僕の妹。血の繋がりのない赤の他人だけど、大切な家族なんだ。君の行く末を見守りたかったけれど、僕の周辺はきな臭くなるばかりだ。このままでは君を利用されてしまう。例え君がそれを受け入れたとしても、僕は自分を許せない。君を巻き込んでしまったことの責任は取らなきゃいけない。
 僕さえ死んでしまえば、君を縛るものはなくなる。しばらく監視はつくかもしれないけど、自由が遠いものではなくなるんだ。選ばない理由はない。
 君のためだけじゃない。
 僕自身のためにも、この死はなくてはならないんだ。
 僕の心はもう耐えられない。絶望を期待されることに疲れてしまったんだ。どんなに心を癒やしたって、傷は残る。傷跡が、悲鳴を上げるみたいに疼くんだ。もう嫌だ、って。
 僕にとって、生きることは絶望することだった。
 ようやく、それを終わらせる勇気が持てた。
 僕が僕である誇りを失わないうちに、この命を絶つよ。

 君の本当の名前は、アン。
 とても可愛いね。
 君の名前を呼んであげられなかったことだけが、心残り。

 さようなら。
 いつか、君がこれを読んでくれる日が来ると願って。
 君に幸福な未来が訪れることを願って。

 ヨシュア

サークル情報

サークル名:黒川庵
執筆者名:黒川うみ
URL(Pixiv):https://www.pixiv.net/users/7732903

一言アピール
オリジナルのラノベ・ハイファンタジーを中心に、心に爪痕を残しながら小説を書いています。最近は刀剣乱舞の二次創作(刀さに)なんかにも手を出しています。pixivに色々再録しているので、よろしければご覧ください。

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僕の最愛の従者へ” に対して1件のコメントがあります。

  1. ぶれこみ より:

     作品自体が、ヨシュアかアンへの手紙なのだと思うが、ヨシュアが義兄としても無責任すぎて、どうにも感情移入できない。綺麗事を言っているけど、自分が苦しみから逃れたいだけなんだなと。義妹として拾ったんなら、最後まで面倒みるのが、義兄としての責任だ。だから、これはヨシュアの悲しい物語ではなくて、間接的に語られたアンの悲劇譚なのだろう。命を救われたと思ったら、ろくな男ではなかった。
     短い中に込めた設定は、一見濃密にみえるけど、もう少し細やかな描写が欲しく思った。一部は全体を表すという原理を判れば、描写を細かくできるのではないだろうか。

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