セーフとアウト

ーー返事はいりません。
 電話を無視しつづけた結果、姉は手紙を寄越した。

 真面目な性格を表すように、丁寧に文字は並んでいた。見知った姉の文字を目で追って、そっと封筒に仕舞い直した。元から返事をするつもりはなかった。 

ーー換気もしなさい。
 窓を開けると、生温い室内に冷たい風が吹き込んだ。

ーー野菜を食べなさい。
 冷蔵庫は空だった。冷凍庫には氷とアイスクリーム。私は昨日何を食べたのだったか。思い出すように、ごみ袋に目をやる。カップ麺の容器はプラごみの袋へ。コンビニでもらった割り箸は燃えるごみへ。そういえば、ラーメンのかやくにキャベツが入っていた気がする。セーフ。

ーーそれと、洗濯物は外に干しなさい。
 カーテンレールにかかった仕事用のブラウスはとっくに乾いている。ブラジャーとパンツとキャミソールはあまり外に出したくない。アウト。

ーー掃除機をかけてますか?
 フィルター掃除を促すランプが付いたままの掃除機のスイッチを入れる。大きな音を立てて、足元の塵と髪の毛を吸い込んでいく。セーフ。

ーーちゃんとお風呂に浸かってますか?
 シャワーで良い。アウト。

 細かい指示が姉の声で再生される。
 私に向けられた苛立ちは胸にちくりと刺す。魚の小骨のように引っ掛かり、なかなか取れない。
 3つのセーフと2つのアウト。妹としては、上々の成績だろう。さっさと窓とカーテンを閉めて、ふうと息をつく。イヤホンを耳に押し込み、音楽を流した。高校生の頃に好きだったロックバンドを惰性で聴いている。もうそれほど好きではないけれど、別の新しいものを探す気も起きない。なんとなく聴いている。
 ただ、なんとなく。
 なんとなく生きて、なんとなく働いて、なんとなくだらだらする。なんとなく納税して、なんとなく年金も保険料も払っている。これもきっと、セーフ。

ーーもう大人なのですから、しっかりしてください。
 眉根を寄せた、お節介な姉の顔が浮かんでくる。母よりもうるさいのはどうしてだろう。

ーーLINEくらい読みなさい。
 面倒で、通知をオフにしたのはいつ頃だったか。
ーーどうして、電話に出ないのですか?
ーー元気にしていますか?
ーーお久しぶりです。

「優子へ」から始まる、妙にかしこまった手紙だ。
 たった8行で、姉の考えを推し測ることはできない。わずかな違和感を覚えても、小骨は喉元を抜けていく。考えても仕方ない。この手紙は一方通行だ。

 体に巻いた毛布と暖房の暖かい風に包まれたら、私の体は自然と眠りの淵へと落ちていく。土曜日の昼。土曜日なら、セーフ。

 夢の世界へ辿り着く寸前、玄関のインターホンが鳴った。
 無理矢理に意識を引き戻し、「通話」のボタンを押した。荷物を頼んだ気もしないことはない。

「はい?」
「優子!」
「……お姉ちゃん?」
 声を聞いたからか、姉は遠慮なくドアノブを捻りはじめた。鍵はかかっている。正直、出たくはない。
「いるでしょう!早く開けて!」
 甲高い声は玄関扉越しにも聞こえる。近所迷惑に感じて、しぶしぶ鍵を開けた。
「久しぶり!」
「ひさしぶり」
 私の声は挨拶ではなく、反芻でしかない。

「手紙はもう読んだでしょう」
「え、うん」
「返事はいらないから」
「そう書いてたよね」
「手紙の、返事はいらないから」

「直接にあんたの返事を聞きに来たのよ」
 部屋に入れたこともないのに、姉は直進し、ベランダに続く窓を開けた。さっきよりも風が冷たい。
 テーブルに置かれた手提げ袋からはキャベツが半玉覗いている。
「元気にやってる?」
「ふつう」

 今日は泊まってくから。
 お風呂を入れるわよ。
 ちゃんとお風呂の掃除してよね。
 ご飯は炊いてないの?
 うそ、お米が切れてるじゃない!
 夕飯は野菜炒めにするからね!
 ウインナーすらないってどういうこと?
 ちょっと、布団一組しかないじゃない!

 姉の小言は止まらない。
 手紙に収まらない、あるいは書くほどのことではない言葉の矢が私の体にぷすぷすと突き刺さる。姉に通知オフ機能は使えない。

 
「年末年始くらい、顔を見せなさい」
 少しの間の後に、私は頷く。ようやく姉は言葉の弓を置いた。
 姉の手はごそごそと食品棚の使える食品を探している。ないと思う。

「心配しすぎだよ」
「あんたが心配させすぎなんでしょう」
「……ごめん」

 思い当たる節はある。
 小さく頭を下げると、姉は仕切り直すように手を叩く。昔からの癖だ。
「よし、お肉とお米を買いに行こう!」
 私も急いで、コートを羽織った。

 部屋には、フライパンを傾ける音とご飯が炊ける匂いがする。私は台ふきんでテーブルをごしごしと拭いた。
 いつかのラーメンの二つのシミが目玉のように見えてくる。昨日見えなかったものが、今日はよく見える。
「優子、このサラダ油の賞味期限!2015年じゃない!」
「セーフ」
「アウトに決まってるでしょう!」

 姉の返事はいつも早い。
 心配で部屋に突撃されても困るので、これからはスタンプで返事をしようと思った。
(了)

サークル情報

サークル名:fishy_words
執筆者名:camel
URL(Twitter):@kaerutorakuda

一言アピール
日常と非日常を切り取るcamelと申します。Webアンソロジーに掲載する一作目は「日常」が強めの作品です。姉妹のやり取りをお楽しみください。

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セーフとアウト” に対して1件のコメントがあります。

  1. ぶれこみ より:

     一般的な女姉妹の仲はよく知らないけど、こういう姉妹がいてもおかしくないなと思いました。姉をうるさがって、親や実家に連絡せず、一人暮らしを謳歌しているような妹が、どうにも親近感が湧いて可愛いらしいです。最後になって、姉をうるさいと思っていても招き入れて一緒にご飯を食べ、姉にスタンプで応じる決意をするところは、やはり女の子だなあ、と思いました。姉妹の反発があっても最後は宥和的に終わるので、優しさを感じて好ましかったです。

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